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rikの新句(十九音)独り言。固定概念にはとらわれず、現時点で「生きている証明」をしました。
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ガム噛むと、肥満解消、ストレス除く。


近代になって、あまり固い食べ物が少なくなった。そんなために、噛む必要もなくなってしまったようだ。しかし、噛まないということは健康にとって好ましいことではない。

よく噛まないために、どうしても肥満気味になる。つまり、満腹中枢が働かないのだ。したがって、食前にガムを噛むといいかもしれない。肥満防止つまり痩せるためにも効果があろう。さらに、食後にガムを噛むと口腔内を清潔にしてくれる。そんなことに、ガムを利用するのは好ましい。

また、ストレスの削減にも効果があるという。野球選手がガムを噛んでいるのを見たことがあるでしょう。それは、試合中のストレスを減らすためにしていることであり、単に習慣などではない。さらに、監督までくちゃくちゃやっている。試合に勝つのは、大変であろう。いずれにしても、ガムは頭脳の働きをよくしてくれる。そのように考えると、健康に好ましいものと言えるのではないか。
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ストレスを貯めない方法、日々に大切。


ストレス(stress)とは、身体に歪み(ひずみ)の生じた状態を言います。外気温度の寒冷などから、身体に生じた外傷、さらには精神的なショックによって起こる精神の緊張や反応。それらの原因となる状態も含みます。

そのストレスが貯まってしまうと、身体のホメオスタシスが効かなくなります。ホメオスタシス(homeostasis)は、身体のバランスです。つまり、体内にある諸器官が気温や湿度などの外的環境の変化に対して、ある一定範囲の均衡状態を保持したり、姿勢や運動などの肉体的変化に対する均衡状態です。

そんなわけで、ストレスを貯めないことに留意しなくてはいけません。つまり、日々の健康状態を保ちたいからです。
食うことと寝ることの間(ま)に、わずかに学ぶ。


寝食(しんしょく)を忘れて、学問をするなどと言う。しかし、それが本来の姿であろうか。実際には、日々食うために働いたり、動いたりしてきた。そして、食ってからある時間が経つと寝る。寝ると、そのまま眠るのである。

「くっちゃね」と言って、ののしることがある。しかし、それは近代になって植え付けられた躾(しつけ)などの概念だろう。野生の動物などを観察していると、人間の場合はかなり異なっていることがわかる。食事と睡眠の間に少しだけ学ぶことが、人生のすべてかもしれない。

古くは、食事そのものも必要に応じてしたらしい。当然のことだが、朝食はなかった。源氏物語の時代では、帝(みかど=天皇)でも昼になってから、一日の最初の食事をとった。朝飯をしっかり食べるようになったのは、ごく近代のことである。なぜならば、道元がそれまでのしきたりに反し、軽い朝食を始めたという記録があるからである。
安心のために、自分の宇宙価値観。


自分自身が安心立命できないのであれば、いくら勉強をしても仕方がない。おそらく宇宙には始まりがあって、終わりがあるだろう。そして、その中には自分の誕生から死までが含まれる。だから、マクロコスモスの中にいて宇宙における自分の価値観がないと、どうしても安心立命ができない。

いっぽう、ミクロコスモスのことも、それなりにわからないとダメ。自分自身のための安心立命が確立しにくいのは、範囲が膨大であるからだ。

プラズマコスモスという概念もある。ふつう四次元まで感知できるが、宇宙は五次元以上らしい。それが、ビッグバンで始まってクランチ(噛潰し)で終わるという。そこには、ブラックホールの概念などもある。それらを納得できないのは、自分の無能だろうか。しかし、何とかして直感的にわかっておきたい。
あれこれとしたいことあり、手が回らない。


あれもしたい、これもしたいと思う。しかし、すべてには手が回らない。自分の能力は、自分が思っているほどないからである。どうしても、中途半端にならざるをえない。致し方ないことである。

そんなわけで、このプログやホームページの内容は、何とも見苦しい限りだ。一つずつの見直しをして、自分で納得する形に仕上げればよいのであるが、それがなかなかできないのである。

いきおい、百舌の速贄(もずのはやにえ)のようなページや記事が、どんどん増えてしまう。考えてみれば、プログやホームページだけでなく、自分自身の人生そのものも、中途半端であまり意味のないものかもしれない。何とも、お恥ずかしい次第。
どこの誰、何のためにか、はっきりしない。


メールが、毎日たくさん来るようになった。しかし、どこの誰だか、また目的は何なのか、どうもよくわからないものが多い。つまり、何のために何をしようとしているのかが、私には詳(つまび)らかではない。したがって、そのまま削除してしまう。

知らない人から無記名でメールをいただいても、何とも仕方がないのである。問い合わせや忠告であったら、少なくとも実名を書くべきだろう。私は、そのようにしている。

メールは便利ではあるが、何となくニュアンスが伝わりにくい。単なる連絡のようなことならよいが、お願いや質問などの場合には、なかなか思ったことが書けない。中には勘違いされるようなこともあるので、注意をしなければいけない。私は、あまり面倒なことをなるべくしたくない。
いざというときに慌てぬ準備が必要。


何かあったときにでも、慌てないような普段からの準備が必要です。例えば火事になったときは、第一に火から逃げることです。もたもたしていると、焼け死んでしまうからです。しかし、銀行の通帳やカードだけは何とかして持って逃げたいものです。最悪の場合でも、口座番号などは身近にメモしておいたほうがよいでしょう。

さらに自分自身が死んだときの用心も必要です。妻のところに誰かがやってきて「お宅のご主人に貸した一千万円は、いつ返していただけるのですか?」などと言うと困ります。私は、誰からも金を借りていないからです。

とにかく、どさくさのときには間違いや事故が起こりがち。ふだんから、どこに何があるかを明確に把握しておきたいものですね。私は運転免許証などは、パスケースに入れて紐で首にかけるようにしておきます。
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