rikの新句(十九音)独り言。固定概念にはとらわれず、現時点で「生きている証明」をしました。
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ソクラテス、言った言葉は本当なのか?
「ソクラテスが言った」などと言う。しかし、ソクラテス自身は一冊の書も残していない。また、録音をしたテープレコーダなども残っていない。クセノフォンも書いてはいるが、私たちはプラトンの記述からほとんどを知る。
したがって、プラトンがソクラテスをして自分自身の言いたいことを言わせたという懸念は免れない。そのようなことは、よくある。例えば、新約聖書の中でパウロの書いているものは、イエス=キリストの言葉などを言い換えたのではないかと疑問に思うふしもある。
仏典でさえ、不思議な記述が残っている。生まれたばかりの幼児が歩いて、「天上天下唯我独尊」などと言うが、「独尊」ではなく「独存」だったのではないかと、私は思う。
「ソクラテスが言った」などと言う。しかし、ソクラテス自身は一冊の書も残していない。また、録音をしたテープレコーダなども残っていない。クセノフォンも書いてはいるが、私たちはプラトンの記述からほとんどを知る。
したがって、プラトンがソクラテスをして自分自身の言いたいことを言わせたという懸念は免れない。そのようなことは、よくある。例えば、新約聖書の中でパウロの書いているものは、イエス=キリストの言葉などを言い換えたのではないかと疑問に思うふしもある。
仏典でさえ、不思議な記述が残っている。生まれたばかりの幼児が歩いて、「天上天下唯我独尊」などと言うが、「独尊」ではなく「独存」だったのではないかと、私は思う。
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蘇東坡とソロモンが言う「文字」「知恵」空し。
「卒塔婆」でも、「蘇東波」でもない。正しくは「蘇東坡」であり、蘇軾(そしょく 1036~1101)のこと。中国、北宋の政治家・文学者。「人間文字を知るは、憂患の初め」と書き残している。
ソロモンの口調で、コヘレットは演説する。「夢が多いと、幻滅も多い。言葉が多いと、失う時間が多くなる」「銀の好きな人は銀をどんなに集めても飽きず、富みを好む人は富みで満足をすることがない」。そして、「知識が多くなれば、憤激も多くなる」と悲観的な結論である。
現代文明は追い求めるばかりで、その結果について考えていないような気もする。豊かになればなるで、それに比例しては幸福にならないようだ。私も、言葉や知識が多くなると、煩わしいと思う。大いに反省をする次第。すべて、「空の空」である。
「卒塔婆」でも、「蘇東波」でもない。正しくは「蘇東坡」であり、蘇軾(そしょく 1036~1101)のこと。中国、北宋の政治家・文学者。「人間文字を知るは、憂患の初め」と書き残している。
ソロモンの口調で、コヘレットは演説する。「夢が多いと、幻滅も多い。言葉が多いと、失う時間が多くなる」「銀の好きな人は銀をどんなに集めても飽きず、富みを好む人は富みで満足をすることがない」。そして、「知識が多くなれば、憤激も多くなる」と悲観的な結論である。
現代文明は追い求めるばかりで、その結果について考えていないような気もする。豊かになればなるで、それに比例しては幸福にならないようだ。私も、言葉や知識が多くなると、煩わしいと思う。大いに反省をする次第。すべて、「空の空」である。
たのしみは、観音を見るために行く散歩。
いつごろからだろうか。仏像を見るのが好きになった。老人になったためかもしれない。むろん、東京国立博物館などにも行く。しかし、実際に都内の寺を散歩して、自分の足で観音のおられる場所を探すのが、大いに楽しみなのである。
観音の場所と言っても、必ずしも寺院でない。道端に大きな観音さまが立っておられたり、公園などに佇んでおられることもある。例えば、平和島の競艇場横にある平和観音、新板橋駅の近くの道におられる「おふくろ観音」、そして飛鳥山公園に佇む聖観音菩薩などである。
行くときには、なるべくシルバーパスを使う工夫をする。ケチっているようで、お恥ずかしい次第だが少しでも費用を少なくしたいのも事実。例をあげると、板橋へ行くのは都営三田線「新板橋駅」、上野へは大江戸線「上野御徒町駅」。ちょっと歩く距離が増えるが、そのほうが楽しくなることも事実。
いつごろからだろうか。仏像を見るのが好きになった。老人になったためかもしれない。むろん、東京国立博物館などにも行く。しかし、実際に都内の寺を散歩して、自分の足で観音のおられる場所を探すのが、大いに楽しみなのである。
観音の場所と言っても、必ずしも寺院でない。道端に大きな観音さまが立っておられたり、公園などに佇んでおられることもある。例えば、平和島の競艇場横にある平和観音、新板橋駅の近くの道におられる「おふくろ観音」、そして飛鳥山公園に佇む聖観音菩薩などである。
行くときには、なるべくシルバーパスを使う工夫をする。ケチっているようで、お恥ずかしい次第だが少しでも費用を少なくしたいのも事実。例をあげると、板橋へ行くのは都営三田線「新板橋駅」、上野へは大江戸線「上野御徒町駅」。ちょっと歩く距離が増えるが、そのほうが楽しくなることも事実。
死の不安、麗姫(りき)の嘆きと同じであるか?
『荘子』(そうじ)に、こんな話がある。麗姫は、艾(がい)の国境を守る役人の娘であった。晋の国に連れ去られるときに、さめざめと涙を流して悲しんだ。しかし、王とともに立派な宮殿で生活し、毎日おいしいご馳走を食べるようになったときに、なぜあのときに悲しんだのであろうかと後悔するようになった。
そのようなことを記した後、荘子(そうし)は次のように書いている。「だから、死者も自分が死ぬ前に、なぜあのように生きることに執着していたのかと、後悔をしないともいえない。」
つまり、経験をしたことがない未来については、嘆き悲しんでも仕方がないということであろう。しかし、私には麗姫の例が、直感的にどうもしっくりしない。釈迦やダライラマ、そして身近には勝五郎のような人もいる。ほとんどの人が再生をしないので、そんな心配は不要なのだろうか。
『荘子』(そうじ)に、こんな話がある。麗姫は、艾(がい)の国境を守る役人の娘であった。晋の国に連れ去られるときに、さめざめと涙を流して悲しんだ。しかし、王とともに立派な宮殿で生活し、毎日おいしいご馳走を食べるようになったときに、なぜあのときに悲しんだのであろうかと後悔するようになった。
そのようなことを記した後、荘子(そうし)は次のように書いている。「だから、死者も自分が死ぬ前に、なぜあのように生きることに執着していたのかと、後悔をしないともいえない。」
つまり、経験をしたことがない未来については、嘆き悲しんでも仕方がないということであろう。しかし、私には麗姫の例が、直感的にどうもしっくりしない。釈迦やダライラマ、そして身近には勝五郎のような人もいる。ほとんどの人が再生をしないので、そんな心配は不要なのだろうか。
簡単なタイプのアトピー、早めに治す。
もしも、あなたが簡単なタイプのアトピーであったら、早めに治してしまうほうがよい。慢性の状態になると、なかなか治りにくくなるからである。長い間の食事や生活習慣によって、アトピーになることが多い。「化学薬品症候群」と私は言っているが、多くの化学薬品が体内に蓄積することによって、皮膚のホメオスタシスのバランスが崩れて、そうなるのではないだろうか。
私は学者でもないし、医者でもない。それでも、自分自身のアトピーを何とか克服した。それも、いわゆる薬を用いることなく、食生活と生活習慣の改善によってである。
自分の工夫でたいがいは治るが、ムリなこともある。それは、母親の胎内にいるときにアトピーの遺伝質を引き継いで生まれた場合。そのようなときは、病院に行って根本的な治療を受けなければならない。
もしも、あなたが簡単なタイプのアトピーであったら、早めに治してしまうほうがよい。慢性の状態になると、なかなか治りにくくなるからである。長い間の食事や生活習慣によって、アトピーになることが多い。「化学薬品症候群」と私は言っているが、多くの化学薬品が体内に蓄積することによって、皮膚のホメオスタシスのバランスが崩れて、そうなるのではないだろうか。
私は学者でもないし、医者でもない。それでも、自分自身のアトピーを何とか克服した。それも、いわゆる薬を用いることなく、食生活と生活習慣の改善によってである。
自分の工夫でたいがいは治るが、ムリなこともある。それは、母親の胎内にいるときにアトピーの遺伝質を引き継いで生まれた場合。そのようなときは、病院に行って根本的な治療を受けなければならない。
治らない病気と、治る病気とがある。
個人差があって一概には言えないが、治る病気と、治らない病気とがある。簡単に治る病気は、糖尿病・高血圧症。長い間の不摂生でなった病気であるから、逆にある程度の期間をかけて治療に当たれば完治するはず。しかし、すでに失明していたり、脚を切断してしまったり、透析をしているような人は、もはや治らないかもしれません。
治らない病気は、前立腺肥大症・歯周病など。それらは、どうしても外科的な治療や抜本的な対策をとらなければ、なおりません。いずれも身体の一部の変化と言えるからです。
現在、私が研究中の病気はガンとヒマン。おそらく、いずれも比較的簡単に治るでしょう。初期ガンは必ずしも悪化するとはいえないので、精神的治療も大切。現在、私はワイル博士からヒントを得て、「なんその法」なども確かめてみようと考えているところです。
個人差があって一概には言えないが、治る病気と、治らない病気とがある。簡単に治る病気は、糖尿病・高血圧症。長い間の不摂生でなった病気であるから、逆にある程度の期間をかけて治療に当たれば完治するはず。しかし、すでに失明していたり、脚を切断してしまったり、透析をしているような人は、もはや治らないかもしれません。
治らない病気は、前立腺肥大症・歯周病など。それらは、どうしても外科的な治療や抜本的な対策をとらなければ、なおりません。いずれも身体の一部の変化と言えるからです。
現在、私が研究中の病気はガンとヒマン。おそらく、いずれも比較的簡単に治るでしょう。初期ガンは必ずしも悪化するとはいえないので、精神的治療も大切。現在、私はワイル博士からヒントを得て、「なんその法」なども確かめてみようと考えているところです。
秘書さんのくださる豆は、とてもおいしい。
私は、大豆・小豆などの豆類が大好き。豆だけ食べていても、おそらく栄養は偏らないであろう。五穀とは、ふつう米・麦・粟(あわ)・豆・黍(きび)または稗(ひえ)を言う。「聖書」(ダニエル書)にもあるが、菜食のほうが健康によい。最近になって「ローマの健闘士が、肉でなく豆・大麦・野菜などを主食とした」ということが、文献からわかったそうです。パプア・ニューギニア人は、芋・豆・野菜を食べ、動物性食物をほとんど食べない。つまり、「バランスよく何でも食べる」わけでもないのに、民族は絶えていない。
「新約」に、皮衣を着てイナゴを食べていたパプテスマのヨハネの話がある。生臭坊主のような印象を受けるが、そのイナゴは昆虫ではなく「いなご豆」だったということが、最近になってわかったそうだ。すると、やはりヨハネも菜食主義だったのでしょう。 また、皮衣はラクダの毛で織った布。なめし皮を着て虫を食べていたのではありません。
豆が魅力的だったことは、「旧約」にもある。「すると、ヤコブは言った「では、今すぐ誓ってください」 エサウは誓い、長子の権利をヤコブに譲った。ヤコブは、エサウにパンとレンズ豆の煮物を与えた。エサウは飲み食いしたあげく、立ち去って行った。こうしてエサウは、長子の権利を軽んじた。」
私は、大豆・小豆などの豆類が大好き。豆だけ食べていても、おそらく栄養は偏らないであろう。五穀とは、ふつう米・麦・粟(あわ)・豆・黍(きび)または稗(ひえ)を言う。「聖書」(ダニエル書)にもあるが、菜食のほうが健康によい。最近になって「ローマの健闘士が、肉でなく豆・大麦・野菜などを主食とした」ということが、文献からわかったそうです。パプア・ニューギニア人は、芋・豆・野菜を食べ、動物性食物をほとんど食べない。つまり、「バランスよく何でも食べる」わけでもないのに、民族は絶えていない。
「新約」に、皮衣を着てイナゴを食べていたパプテスマのヨハネの話がある。生臭坊主のような印象を受けるが、そのイナゴは昆虫ではなく「いなご豆」だったということが、最近になってわかったそうだ。すると、やはりヨハネも菜食主義だったのでしょう。 また、皮衣はラクダの毛で織った布。なめし皮を着て虫を食べていたのではありません。
豆が魅力的だったことは、「旧約」にもある。「すると、ヤコブは言った「では、今すぐ誓ってください」 エサウは誓い、長子の権利をヤコブに譲った。ヤコブは、エサウにパンとレンズ豆の煮物を与えた。エサウは飲み食いしたあげく、立ち去って行った。こうしてエサウは、長子の権利を軽んじた。」