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rikの新句(十九音)独り言。固定概念にはとらわれず、現時点で「生きている証明」をしました。
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死の不安、麗姫(りき)の嘆きと同じであるか?


『荘子』(そうじ)に、こんな話がある。麗姫は、艾(がい)の国境を守る役人の娘であった。晋の国に連れ去られるときに、さめざめと涙を流して悲しんだ。しかし、王とともに立派な宮殿で生活し、毎日おいしいご馳走を食べるようになったときに、なぜあのときに悲しんだのであろうかと後悔するようになった。

そのようなことを記した後、荘子(そうし)は次のように書いている。「だから、死者も自分が死ぬ前に、なぜあのように生きることに執着していたのかと、後悔をしないともいえない。」

つまり、経験をしたことがない未来については、嘆き悲しんでも仕方がないということであろう。しかし、私には麗姫の例が、直感的にどうもしっくりしない。釈迦やダライラマ、そして身近には勝五郎のような人もいる。ほとんどの人が再生をしないので、そんな心配は不要なのだろうか。

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