rikの新句(十九音)独り言。固定概念にはとらわれず、現時点で「生きている証明」をしました。
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観音は、すでに身近に数柱(すうはしら)あり。
いったい、どこにあるのだと問われそう。それは、ホームページの中。私が、すでに「プチさん駅周辺シリーズ」で経巡(へめぐ)った数千の寺院で撮影した写真の中である。後で見直して、かなりの仏・観音像があることに気付いた。忘れてしまっていたのである。そこで、それらを改めて見直すことにした。
私は、『孝経』の注釈を書いた楊黼(ようふ)のことを思い出す。楊黼は明代の人で、仏典を好み隠棲をして、仕えなかった。その楊黼が、両親に別れを告げて、菩薩に会いに出かける。その途中、僧に「菩薩に会いに行くよりも、仏に会ったほうがよい」と言われる。
「仏はどこにおられるか?」と聞くと、「家に帰ったときに、毛布をかぶり、靴を逆に履いた人が迎えてくれる。その人が、仏じゃ。」と答える。言われたとおり家に戻ると、もう真夜中だった。母親は大急ぎで出てきた。毛布をひっかけ、靴も逆に履いていた。
いったい、どこにあるのだと問われそう。それは、ホームページの中。私が、すでに「プチさん駅周辺シリーズ」で経巡(へめぐ)った数千の寺院で撮影した写真の中である。後で見直して、かなりの仏・観音像があることに気付いた。忘れてしまっていたのである。そこで、それらを改めて見直すことにした。
私は、『孝経』の注釈を書いた楊黼(ようふ)のことを思い出す。楊黼は明代の人で、仏典を好み隠棲をして、仕えなかった。その楊黼が、両親に別れを告げて、菩薩に会いに出かける。その途中、僧に「菩薩に会いに行くよりも、仏に会ったほうがよい」と言われる。
「仏はどこにおられるか?」と聞くと、「家に帰ったときに、毛布をかぶり、靴を逆に履いた人が迎えてくれる。その人が、仏じゃ。」と答える。言われたとおり家に戻ると、もう真夜中だった。母親は大急ぎで出てきた。毛布をひっかけ、靴も逆に履いていた。
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