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rikの新句(十九音)独り言。固定概念にはとらわれず、現時点で「生きている証明」をしました。
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観音に会いたくて行く高幡不動。


高幡不動尊には、しばしば行く。いつも戸外におられる定慧観音、そしてその奥の観音さま、それから魚籃観音。さらに五重塔が開いているときは外国の観音さま、そして下のホールにおられる美しい観音さま。

そんなわけで、何柱かの観音さまを拝顔できる。高幡不動尊の境内は、私にとって楽しい場所である。奥殿にも、別な魚籃観音がおられる。ぼってりしたお顔の観音さまで、鯉の入っている大きな籠をお持ちである。しかし、何となく私の観音さまのイメージと違うので、とくにお目にかかりたいとは思わない。

気分のよいときは、歩いて聖蹟桜ヶ丘駅まで帰る。そんなときは、百草園の駅の近くの個人のお宅の観音さまを仰ぎ見て帰る。白くて美しい観音さまだ。そして、赤ちゃんをだっこしているのが印象的である。
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老人は、もたもたしてて危なっかしい。


老人は、なぜかもたもたしている。動作が緩慢なのである。だから、何となくいやだなぁと思っていた。しかし、気がついてみるとすでに自分がその老人になっているのだ。情けない話である。

とくに、バスの中。「停まるまでは、立たないでください」とアナウンスがある。おそらく、倒れて怪我をした人が多かったためであろう。見ていると、停まっているときの乗り降りも危なっかしい。もたもたしているどころか、すでにヨタヨタしている。急ブレーキや急発進があったら、ひとたまりもない。

私は、あまり手摺りを使うことが好きでない。ウイルスの感染が多いからだ。エレベータのボタンなども、ティッシュで押すほどである。何とか安全で、衛生的な毎日を送りたいものである。
楽しみは身近なことで実現しよう!


身近な楽しみは、いくらでもあると思う。莫大な費用をかけた海外旅行などをしなくても、バスで行くだけでも結構楽しめる。むしろそのほうが、気楽でよいのではないかと私は思う。

また、多くの人が集まってする楽しみもある。その場合、気兼ねやトラブルの心配をしたら、人間関係も楽しいことばかりではない。いいときはいいだろう。しかし、いったん互いに気まずくなると精神的な負担も増えてしまう。

そんなわけで、私は少ない人数で、あまり大げさなことをしないほうがよいのではないかと思うようになった。その結果、プチさん(プティ散策)を始めた。楽しみのほかにも、健康や老化予防なども実現してくれるからである。
パソコンで「碧空」を聞き、なつかしくあり。


CDや古いLPレコードなど持っているが、残念ながら「碧空」はない。そこで、私はパソコンで聞く。まず、Yok先生の編曲である。これは、癖のない演奏でみずみずしく素晴らしい。実際のタンゴバンドと聞きまごうばかりである。何となく楽しくなって、しばらくはBGMとして流しておく。プログを訪問してくださった誰かも、同じことを言っておられた。

時折りはkenones12さんのYouTubeのものを聞く。これも、ゲッツイの原版で素晴らしい。SPレコードの音そのもの、私が学生時代に聞いたものと同じ。それに、ノスタルジックな映像が付いている。さらに、「たぬきクラスメモリー」なども拝見。この方が72歳であったら、驚き。何と若々しい人だろう。さらに、私はウルマンの詩「青春」を思い出す。

Yok先生kenones12さん、なつかしくしてくれる作品をありがとう。

「そんなこと、して何になる?」とも、問われそう。


プチさん(プティ散策)などと言って、あちこち写真を撮ってきて、アルバムにする。下らんと言えばその通りで「そんなことして、いったい何になるのだ?」とも問われそうな内容。そこで、仕方なしに問い返す。そして、珍奇な問答。

「朝飯を食べて、何になるのですか?」「一日の活動源になる」「一日の活動源にして、何になるのですか?」「働いて、社会に貢献をする」「貢献をして、何になるのですか?」「……」

落語の枕に、「もう寝ている」という「根問い」がある。家でゴロゴロと寝ている与太郎のところに、学識豊かなご隠居がやってくる。「若い者が怠けていてはいけない。働け!」「働くと、どうなる?」「働くと、金が入ってくる」「金が入ってくると、どうなる?」「金が入ると、楽ができて寝ていられる」「もう寝ている」
行き着けぬこともありたり、地図なきゆえに。


たいがいのところは行き着けなかったり、迷ったりすることがない。初めてのところでも、そうである。しかし、最近は足が弱くなったため、何キロも歩いて探すことができない。途中で諦めて、やめてしまう。

先日、地下鉄新板橋で降りて、谷津大観音(寿徳寺)へ行こうとした。地図で見ておいたが、詳細は駅で案内をもらおうとした。しかし、改札口は無人化で係員がいない。仕方がないので、そのまま降りて探したが、結局はダメ。たまたま来た王子行きのバスに乗ってしまった。

そこで、都電から「日暮里・舎人ライナー」を乗り継いで、谷中観音(全生庵)に行くことにした。しかし、道にある地図には載っていない。やはり探したが、見当たらない。一日に二箇所もわからなかったことなんか、生まれて初めて。地図の有りがたさを思い知った。

雨の日はバスで往復、楽しからずや。


雨が降ると、外歩きが億劫になる。また、風邪から肺炎になるのを恐れる。そこで、バスを利用して濡れない工夫をする。つまり、屋根があるターミナルから、やはり屋根のあるターミナルまで行く。むろん、折り畳み傘をもってはいるが、そのようにすると傘をささないですむ。

例えば、聖蹟桜ヶ丘駅のバスターミナルから、多摩センター駅行きのバスに乗る。三路線以上あるが、どれに乗ってもよい。すると、多摩センター駅バスターミナルに到着。そこも、屋根付きであるから濡れない。多摩センター駅のスーパーで洋酒などを買って、それからまたバスで帰る。

そんなことをして、いったい何になるかという人がいるだろう。しかし、身体を動かすことで、ちょっとした運動にもなる。また、バスに乗って揺られることで、脳のリフレッシュなどもできるみたい。
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