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rikの新句(十九音)独り言。固定概念にはとらわれず、現時点で「生きている証明」をしました。
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いつまでも若さを保つ「回想創造」。


肉体の衰えは致し方ないとしても、気持ちや精神の老化は何としてでも避けたい。ウルマンの詩ではないが、それは気の持ちようであろう。心や気分は、自分自身の考え方によって、大きく変わるからである。

そこで考えられたのが、「回想創造」を利用する『回想創造法』。老化予防に対する効果のほかに、一種の創作活動であるから、楽しい時間を過ごせる。しかし、それは単に小説やエッセーなどを作るのとは異なる。

脳をリフレッシュするための設定をする必要があるからである。その設定は、男性ならば女性、若ければ老いた年代、などのようにである。例えば、私の場合は男性だから、芹沢光次郎や太宰治の一部の作品にあるような女性の立場、そしてすでに古希を過ぎているから、若いころの時代を設定。つまり、二十歳代の女性の立場で回想創造を試みるのである。
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晩年は「自己福音」と「回想創造」。


晩年と言っても、必ずしも一生の終わりに近い時期というわけではない。ここでは還暦を過ぎ、さらに古希の前後、いわゆる年老いてからの期間のこと。

「幸福な晩年を過ごす」などと言うが、それは心の持ち方だと思う。若い時代はエネルギッシュで、バイタリティーもあった。そして、とくに信仰などなくても、日々何とか過ごせたと思う。しかし、晩年になると違ってくる。

加齢によって、体力がいちじるしく失われたり、病気にもかかりやすくなったりして、身体に自信がなくなるからである。そこで、老化予防に「回想創造」や、安心立命のために「自己福音」が必要になってくる。私も、『自己福音書』や『回想創造法』を始めて、日々何とか元気に過ごしている。
楽しみはシルバーパスの知的空間。


シルバーパスを取得してから、大きな楽しみが一つ増えた。その楽しみは、私にとって一種の知的空間。すべての都営地下鉄路線と都電、日暮里・舎人ライナー、そして都内のほとんどのバスに乗れる。だから、かつて行ったことのない名所などにも、気軽に行くことが可能だ。

そのときの路線スケジュールである。「ケーニヒスベルクの橋」よりも、だいぶ複雑になってしまうが、それでも一筆書きのような楽しみ方もできる。つまり、同じ路線を極力避けるのである。

都営地下鉄大江戸線は、光が丘が起点で都庁前が終点。反対と考えてもよいが、環状に走っているのではなく、むしろ数字の「6」のような動きである。そのために、私は新宿西口から乗って、必要に応じて都庁前で乗り換える。少しぐらい遠回りになっても、なるべく同じところを乗らない。
楽しみは、シルバーパスで経巡(へめぐ)るとき。


もしかしたら、前にも似たようなのがあったかもしれない。しかし、この新句(十九音)では、まったく同じものが何回あってもよい。そのときそのときで、感じたことを書けばよいからである。

例えば、きのう朝飯を食べたからもう食べないとか、さっきトイレに行ったからもう行かないとか、いま息を吸ったからもう吸わないなどとは言わないように、それ自体が繰返しであってよいのだ。つまり、同じことの繰返しが、この新句では許される。だから、気楽に何でも言えるのである。

さらに、そのときそのときで感じ方や気分が異なるであろう。その結果、同じことに対しても違った内容になるかもしれない。一見、それは矛盾をしているように思われるが、そんなこともかまわないのである。幼稚でも支離滅裂でも「生きている証明」になれば、それでよいのだ。
楽しみは地図で探した場所へ行くとき。


見知らぬ土地でも、そこへ行く前に地図を見る。そして、行ってみたいところを探す。公園や神社仏閣などである。ふつう、私はグーグルの地図を見る。しかし、神社のマーク(鳥居の形)や仏閣のマーク(卍)が出ていない場所が多い。ただ、「**寺」などと表記されている。慣れないとわかりにくい。

ヤフーの地図には、神社も仏閣もちゃんと出ていることが多い。そこで、グーグルの補助マップとしてヤフーを用いる。

いずれにしても、地図はドラッグすることによって東西南北いずれの方向にも広がる。また、倍率も大幅に変更できる。おまけに、どちらも航空写真が見れるので、始めたら面白くていつまでもやっている。なかなか飽きない。そして、実際にその場所へ行くときが、また大きな楽しみである。
老いてから、うつらうつらと眠りが浅い。


還暦を過ぎたころから、熟睡ができなくなった。うつらうつらと眠りが浅いのである。その代わりと言ってはなんだが、日中でもトロトロと眠くなることがある。バスの中などで心地よくなって、ついトロトロして、ハッとして目覚める。

夏は冷房が、冬は暖房がしてあるので、コンフォタブルなバスの中。そして、適度な揺れ。眠くなっても、仕方がない。しかし、自分が眠くなると、運転手が眠ってしまわないことを祈るばかりである。

以前には、日中に眠くなることなどはなかった。糖尿病を患ってから、何となくなったみたい。眠りは脳を休めるための動作だろうか、どうやらすぐに疲れてしまう私の脳、ダメな脳である。スタミナがなく、長持ちしないのは、あたかも古くなったバッテリーみたい。
トンネルを抜ける思いは追体験か?


トンネルを抜け出るときに感じる思いは、過去に母親の産道を通ったときの追体験なのであろうか。そんなことを考えたことがある。

私は幼少のときに、鎌倉の扇ガ谷に住んでいた。化粧坂(けわいざか)から長谷へ抜けるときは、よく大仏切り通しを通った。今は車道の大きな切り通しになっているが、当時は人一人がようやく通れるくらいの小さいものだった。今でも両端の口はあるものの、中は通れなくなっている。

また、父に連れられて小坪の磯に釣りに行ったことがある。その道も、やはり自転車がやっと通れるくらいのトンネルだった。そこは厨子マリーナができたときに、大きな車道になってしまった。まだ古い切り通しが抜けられたときに、行ってみたことがある。そのときの感じは、やはり自分自身が出生したときの追体験だったように思えてならない。
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