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rikの新句(十九音)独り言。固定概念にはとらわれず、現時点で「生きている証明」をしました。
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バカにする悪い習慣、現代科学。


現代科学が、すでに何もかもすべてを解明したというわけではない。それなのに、すべてを科学的に割り切ろうとする。どだい、それはムリではないか。時代の進むことによって、いろいろなことが解ってきたのは事実である。

例えば、天動説なども地動説が言われるまでは、それが長く信じられてきた。説明をするのに広範な論理のほうが、事実に近いと考えるからである。その反面では、仮説が多くまかり通ってしまったことである。

オッカムの剃刀ではないが、あまり仮説が多すぎると、その焦点がぼやけてしまう。直感やひらめきでも物事が解決することもあるということを私たちは迂闊にも忘れてしまったのではないか。
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『ピアニスト』という映画に、揺らぎと不安。


たまたまケーブルテレビで『ピアニスト』という映画をやっていた。私は見て、心に揺らぎを感じ、ストーリの展開に対する不安を持ち続けた。揺らぎというのは、心がかなり動揺することである。

そして、ピアニストの世界に対して、今までもっていた「自信の揺らぎ」さえを抱いてしまった。映画は、中年のピアノ教師エリカがピアニストになるために幼少から母親に厳しく教育され、恋人を作ったり、流行の服を着ることさえもできない日々であった。それでも、ピアニストとして成功しなかった。しかし、国立音楽院のピアノ教授になったのである。

そんな独身の彼女の前に、才能ある若者ワルターが現われたのだ。そして、「ぼくは、あなたがどんな哀しい秘密を持っていても愛します」と告白をされたのだが、……。
楽しみはバスで出かけて、吉野家・ミスド。


吉野家とミスドに、バスで出かけるのが楽しみなのではない。バスを利用してプチさん(プティ散策)をする。それが、まず楽しみ。右足の膝を痛めてから、あまり多くを歩けない。せいぜい、二キロメートル。以前のように十キロ以上は、もはやムリ。そこで、バスを大いに利用する。すると、足に負担をかけずプチさんを楽しめる。

あちこちを回って、いろいろなものを見る。また、知らなかったことを知ったりする。そんな楽しみがある。

そして、聖蹟桜ヶ丘駅まで無事帰ってくる。午後二時過ぎなので、腹も減っている。そこで、吉野家に行き牛丼とビール。私にとっては、ゴージャスな昼食。さらに、ミスタードーナツでエンゼルクリームとオールドファッション。それに、ブレンドコーヒー。大きな楽しみである。
目的もなくバスに乗る高齢の人。


私も似たような者ではあるが、聞いてみるとどこへ行くという目的もなく、ただバスに乗る高齢者がいるみたい。シルバーパスを利用すると、バス代が無料だから気楽である。

かつて、病院の待合室が老人のたまり場になって問題になったことがある。その後、医療費がかかるようになってからは、それがなくなったようだ。

しかし、考えてみるとバスに乗るのは健康上も好ましいのではないだろうか。歩きすぎて膝の関節がすり減ってしまうようなことがないし、乗降には段差があるので、運動不足にならない。また、窓から外を見ていると、変化があって楽しい。適度に揺れるので考えが浮かんだり、思索に好ましい場所である。そんなわけで、日中のバスにはシルバーパスを利用する人たちが多く乗っているのだろう。
考える最適の場所、バス後部席。


昔から「三上」などと言う。欧陽脩の『帰田録』による「文章を練るのに最適の三つの場所」のこと。つまり、馬上・枕上(ちんじよう)・厠上(しじよう)である。

欧陽脩は貧しい家庭に生まれ、四歳で父を失う。したがって、正規の教育を受けず、独学で進士の試験に合格。高官への途が開けたが、改革派である范仲淹を弁護したため、夷陵県令に左遷された。数年後に、再び中央に返り咲き、翰林学士などの要職を歴任。その後、蘇軾を見いだしたり、蘇洵や王安石を登用した。

馬上など、現在の私にはありえない。また枕上では、すぐ眠ってしまうことが多い。そして、トイレで「考える人」のスタイルをしてみてもダメ。結局、文章を練るのではなく草稿を得るのは、バスの後部座席がよいみたい。
楽しみは冬の青空、風の弱い日。


十五年くらい前までは冬の青空があって、風が吹いている日には、多摩川の河川敷に凧揚げに行ったものだ。しかし、古希を過ぎたころから、凧揚げをやめた。その代わり、プチさん(プティ散策)をするようになった。

公園や神社仏閣などでは、デジカメ写真を撮る。青空の日には、くっきりした写りになる。曇っていると、建物の屋根と空の境界がぼやけてしまう。また、晴れていないと、何となく全体的に映像がシャープにならず引き締まらない。

そこで、冬でも青空の日が楽しみ。しかし、風が強いと身体が冷えて、体温が奪われる。風邪をひいてしまうと、肺炎を併発するので要注意。だから、風の弱い日が好ましい。そんなわけで最近は、冬でも青空、そして風のない日が大きな楽しみである。
ゴミ箱か? 知的空間などと言っても。


ここで知的空間などと偉そうに言っても、単にガラクタがいっぱい入っているゴミ箱に過ぎないのではないか。ゴミ箱がちょっと言い過ぎとしても、せいぜいおもちゃ箱の類い。

自分で大切と思ったことを次々とストックする。しかし、後で考えるとそれほど大事なことはあまりなく、ほとんどが価値のないものである。その時点では、何となく大事そうに感じて、保存をしようと考えた。なぜそんなふうに考えたのかは、後になると忘れてしまう。

とにかく、自分自身が納得できる知識の空間を作る。あまり他人のことを考えなくてもよい。みっともないとか、恥ずかしいなどと言ってみても、始まらない。なぜならば、自分が主体となってそこに居ればよいのであるから、小さくても一向にかまわないのだ。
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