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rikの新句(十九音)独り言。固定概念にはとらわれず、現時点で「生きている証明」をしました。
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現実は夢か幻(まぼろし)、欺かれおり。


私たちの日々は、「喜怒哀楽」、「四苦八苦」などの連続。
しかし、『般若心経』ではないが、すべてが実際は「空」なのである。つまり、日々の現実と考えている現象は、脳のもたらす幻影という。とっぴであるが、そのように考える理論があるらしい。

私たちは、自分自身がいわゆる平均と思っていることに誤謬があるのではないか。まず、その大きさである。

むろん、細菌に比べると大きい。しかし、宇宙の大きさと比べると微塵以下。したがって、現実と言っても空間と時間の中で意識をする瞬間なのであって、『般若心経』の考えから言ってしまえば、すべて「空」であって、仮の姿でしかない。言ってしまえば、脳が欺かれているのである。そんなふに、ふと考え始めたのである。
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ことごとく中途半端で終える怠慢。


若いときのような情熱が、すでになくなってしまったのだろうか。
やってみて何となく傾向がわかると、ついそれで終えてしまう。怠慢というか、不真面目のそしりを免れないであろう。

本当は、もっとがんばって完成度の高いものにしなければならない。しかし、持ち時間がもはや多くないので、つい手抜きの状態になる。
つまり、傾向がわかっても対策がないのである。

かつて、受験のための雑誌に『傾向と対策』というのがあった。
本来は、「傾向」がわかれば「対策」が容易になって、万全である。まず、傾向を知るということが、万事に大切な所以(ゆえん)。

そんなことがわかっていても、傾向がわかってしまうと興味が薄れてしまうのは、もしかしたら加齢によるものなのだろうか。
どのような人もよいこと、一つは残す。


どんな悪人であっても、生涯にいくつか善行をしているらしい。
芥川龍之介のかんだたやペテロの母親でさえ、生前によいことをしたという。むろん、ヒトラーや東条英機も、多くの善行を残しているだろう。フォルクスワーゲンなどが、いまだに走っているところを見ると、何とも素晴らしいではないか。また、大東亜共栄圏の発想自体は、いかがなものであろうか。

しかし、十王たちは人間のやったことの善行と悪事をプラスマイナス清算をして評価をするという。したがって、あまりよいこともせず、そうかと言って悪いこともしなかった人は、相殺されても目立たない。

そして、そんな結果になる人生が「可もなく不可もなし」というのであろう。それなりに、やはり素晴らしいことではないか。
ほどほどにすること覚え、こころ和みぬ。


若いころは、何事も徹底してやったもんだ。そのために、面倒な反復や努力を惜しまなかった。しかし、老いてくると体力や気力がない。そして、集中力を長続きさせることができなくなる。

そんなわけで、ほどほどにすることを覚える。全力投球ができない、情けのない状態である。しかし、そうすることによってこころが安らかになり、気持ちが和むことは事実。
つまり、自分の限界を見極めたいいかげんな妥協をしたことになる。そうすることは、すでに可能性にチャレンジするファイトがなくなってしまったので、いたしかたないことかもしれない。

いつまでも、若々しくありたいものだ。

何故か? 最初のころの気力なくなる。


最近になって、どうしたことだろうか。
ホームページの作成やプログの記述に関して、ちょっと気力がなくなってしまったみたい。何となく情熱が薄れて、億劫なのである。つまり、面倒くさくなってしまったのだ。もしかしたら、歳や健康のせいかもしれない。

「生前の空間」と「死後の世界」についても、タイトルだけをインプットしたところで、ちょっと挫折。原稿やメモは、テキスト形式ですでにあるのだか、それらをまとめる気力がない。

なぜだろうか。
もしかしたら、あまり意味のないことと考えたかもしれない。
それでも、自分自身が死ぬときに必要なのであるから、少しずつでも何とかして仕上げていきたいと思う。
ごちゃごちゃと書いたページは読むのしんどい。


このプログもそうであるが、何となく意味のないページが見受けられる。いつも、いくつかのプログを次々と見ているが、小さい文字でびっしりと書いてあるものもある。

このプロバイダだけでも、1分間に100くらいアップロードされる。おそらく全国で書かれるページは、膨大な量であろう。

中には、まったく自分自身しかわからないような記事もある。最初から、読まれることを考えてないようだ。
どちらかと言うと、私もそうであるが、それでもせめて文字を大きくして10行くらいで済ましたいものだ。
プチさんのコースは、いつもほぼ同じ道。


最近になって、プチさん(プティ散策)はあまり遠くへ行かず、近場のコースを歩くようになった。だいたい次のとおり。

(1) 鯉のマンホールを二つ見る
(2) 灌漑用水だった小さい川
(3) 関戸四丁目町界町名地番整理記念碑(昭和六十二年四月一日)
(4) 清水堀緑地
(5) 都市開発記念碑
(6) 九頭龍神社を参拝
(7) 九頭龍公園の小山へ登る

九頭龍公園から川崎街道を超えて多摩川まで出るのがふつうだが、古茂川公園の横の道を斜めに通って駅デパートに行き、買い物をして多摩川堤防をやめてしまうことも多くなった。
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