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rikの新句(十九音)独り言。固定概念にはとらわれず、現時点で「生きている証明」をしました。
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「もう少し先で休もう」などと言いつつ。


友達とプチさん(プティ散策)をする。
お互いに古希前後であるから、すぐに疲れてしまうんだ。そこで、ベンチなどがあると「休もうか」と相成る。

しかし、友達には先が見えない。つまり、行程を理解していない。私は、まだ行かなければならない場所を知っている。したがって、あまり休んでは目的地に行けなくなってしまう。

もともとプチさん(プティ散策)ではムリをしないことが原則。しかし、途中でへたってしまっては帰れなくなる。そこで、早々(はやばや)とそこをスタートせざるをえない。

友達は、いつも恨(うら)めしそうな顔をする。

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み仏のうてなに乗りた心地する日々。


晩年になると、あまり欲をかいたり、我をとおすことがなくなるみたい。
むしろ、どうにでもなってくれ。なるがまま。そんな流れに自分を置くようだ。
あたかも、み仏の台(うてな)に乗ってしまった心地。
すると、不思議なことに安心立命ができる。

なぜだろうか。
自分の我執(がしゅう)がなくなると、物事が素直に見えてくるらしい。
次々と心配をしたり、あれこれと詮索をしても、いたしかたない。
そんな日々になると、結構いろいろなことがわかってきて楽しい。

芸術や科学や文化にも疎(うと)くなって、むしろ自然の風景や草木など、さらには風や空などに、今までに見なかったものが見えてくる。
何とも楽しいことではないか。

一時期は、衰えつつも回復があり。


初期の疾病であると、自分自身の体力によって回復をする。いわゆる、ホメオスタシスというのであろう。

しかし、ある時期を越えると、坂道を転がり落ちるように病状が進むという。そして、留まるところを知らないように悪化していく。

私たちの身体には、いわゆる耐用年数が決まったような箇所がある。例えば、膝の関節である。もともと、動物は子どもを作った時点で、自分自身の存在が不要になるらしい。

現代のように長生きをして、日々楽しむように身体はできていない。遺伝子が、そのようには作られていないからである。そこで、何とか衰えないように自分自身で工夫をする必要が生じる。
少なくとも、思考をつかさどる脳の機能については。
ものすごい可能性もつ、ペイントショップ。


今までは、フォトレタッチツールとして用いていた「Paint Shop Pro」というソフト。主に、デジカメ写真のトリミングや縮小、そして修正などに使っていた。
最近になって、ホームページの文章に手書きの挿絵やカットを入れようと考えた。そこで図形を書こうとして、この「Paint Shop Pro」を利用したい。

ずっと以前は、「花子」というのを「一太郎」というワープロとともに使っていたのだが、それらをやめてから久しい。

そんなわけで、図形作成にも「Paint Shop Pro」を使い始めたのではあるが、何ともすごい可能性をもっていることがわかった。もっとも、一回バージョンアップしたのだが、それに付いていけなかったので、以後はしていない。
何とかして、自分自身が使えるツールにしたいものだ。
持ち物の整理をしよう、非常時のため!


ここのところ、何となく身の回りが不安定。社会情勢もあまりよくない。いつ事件に巻き込まれても、不思議ではないと思う。
第一、自分自身の健康についても、自信がなくなってしまった。

そんなわけで、万一のことを考えて、ぼつぼつ身の回りの整理を始めた。
しかし、よくよく考えてみると整理するようなものはあまりない。財産もなければ、信用もない。恥のかき捨てでよければ、何もしなくてよいことがわかる。

ホームページの中も、このプログでもみっともなくてよければ、そのままでよいことがわかった。しかし、そのままでは自分自身でも何が何だかわからない。せめて必要なときに、どこに何があるかをすぐに思い出せるようにしておきたいものだ。
 忍び寄る二つの恐怖=「栄過」と「化症」。


 「栄過」は栄養過多。「化症」は化学薬品症候群。
 最近では、栄養過多が病気の原因になることが多い。また、不注意による塩分や砂糖の取りすぎにも、かなりの問題があろう。それが何年か経って、突然に重い症状が現れるというところが、現代生活の恐怖だ。

 ちょうど殺人鬼が相手を定めて、見えないところから狙っているというのと似ている。狙われるほうにも不注意があったからだろう。

 最近の食品は、砂糖と塩のオンパレード。例えば、清涼飲料水などにも、かなり砂糖が含まれているようだ。そのようなものばかり、飲み続けると当然のことながら、やがて糖分の摂りすぎになる。
 また、塩分にも油断がならない。佃煮(つくだに)や塩辛(しおから)には、多量の塩分が含まれていることはわかる。しかし「こんなものに」というようなものにも、塩分が多量に含まれている。例えば、パンである。

 一つ目の恐怖を取り除くにためは、砂糖と塩が多量に含まれている食品自体を多くは摂らないこと。もう一つは、化学薬品を体内に入れないこと。
用もないのに歩くのは、愚かなことか?


いやいや、とんでもない。用がないからこそ、歩くのである。老いてくると、それを日課として、健康を保持しなければいけない。

唐木田の福祉センターに来ていた人。落合に住んでいたのだが、仲間と口喧嘩(くちげんか)をしてから、来なくなってしまった。そして、家でブラブラとしている間に足が衰えてしまって、出歩きが不自由になってしまったという。

さらに、そうこうするうちに倒れてしまい、そのまま救急車。それでも、一命は取り止めなかった。つまり、お陀仏になってしまったんだ。

用はなくても、足が萎(な)えないようにするため、少しでも歩くようにしたい。口喧嘩をするのなら、あまり人がいるところへは行かないほうがよいかもしれない。と、私は思う。
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