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rikの新句(十九音)独り言。固定概念にはとらわれず、現時点で「生きている証明」をしました。
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いつまでも歩いていたい、自分の足で。


ここのところ、ちょっと足の具合が悪い。
かつては、20キロメートルくらい歩いても何ともなかったので、健脚だと言われた。しかし、最近は4キロメートルくらいが、せいぜいのところ。

あまり長く歩くと、膝が痛くなってしまう。
親しかった人を見ていると、歩けなくなるとアウトみたい。杖をつく程度ならよいが、ひどいのは車椅子。そして、寝たきりになる場合も多いようだ。

何としてでも、車椅子や寝たきりにはなりたくない。
いったいどうしたらよいのだろうか。

青空のホームページ』の「健康のページ」にまとめてゆきたい。

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プチさん(プティ散策)は、老いたる日々の知的探検。


知的探検などと、ちょっと大げさかもしれない。
伊能忠敬や松尾芭蕉のことを考えると、何の目的もなく駅周辺をぶらぶらするのは、ちょっと恥ずかしい。また、種田山頭火のように僧形(そうぎょう)をして、全国をほっつき歩くわけでもない。

何のことはない。身近で安全な気分転換と足のトレーニング。つまり、自分がボケないための工夫と足萎(な)えないための運動。

しかし、それでいいんだ。
そして、それを「知的探検」などと考える。大きいか小さいかは、考え方次第。パラサイトから見たら、私の身体は銀河系くらいあるかもしれない。いっぽう、FMから見たら芥子(けし)の種子より小さいであろう。

豺狼のごとくに群れる閉店のとき。


「閉店」には、「その日の営業を終えて店をしめる」ことと「本来の仕事をやめてしまう」ことの意味がある。ここでは後者、つまり店じまいのことである。

いつも思うのであるが、そんなときには人がいっぱい。今までの閑古鳥が不思議なみたい。食べ物や衣類などの店のほかにも、ローカル線などの運転でも同じ現象。まったく、豺狼のようである。

「豺狼」(さいろう)とは、野犬や狼の類。ダメになりかかったところへ群がる人々の性格は、蛆(うじ)やウイルスの習性と似ていて不気味でもある。

「豺狼、路に当たれり、いずくんぞ狐狸を問わん」とは、「野犬や狼が前にいるときに、狐や狸などを問題にしていれるか?」という意味。大悪人が権勢を誇っているときに、その下の小童(こわっぱ)を除いても仕方がない。
つまり、欲求にしたがって行動することよりも、その貧困な思想という生来の原因を除かなければならない。
楽しみは、まれに友来て語り合うとき。


何となく橘曙覧風である。しかし、私にとって、事実は事実。正直な気持ち。
かなり以前に、

「たのしみは、まれに友来て語りあうとき。」

というのがあったと思う。

そこでは、私の心に「ふっと生じたり、何気なくやってくる」友の思い出などを語った記憶がある。親しかった友だちの多くが、すでに亡くなってしまった。花が咲いたりしても、その友を思い出すことがあって、蝋梅(ろうばい)の季節になると、大岩さんが偲(しの)ばれる。」と言った内容。

新句(十九音)では、まったく同じ作品が何回あってもよい。
久々に、府中病院尋ねる羽目に。


ぐるっと回って、元に戻るようなケースがある。
健康について自信がなくなったので、総合診断をして欲しいと思った。人間ドックのような精密検査とその結果の処置・加療である。以前、会社の厚生保険加入社だったときにした「一日人間ドック」のように費用がかかってもよい。

そこで、所轄の府中社会保険事務所に行った。すると、すでに非加入者だから、保健所へ行ってみろと言う。そこで、調布経由で永山にある保健所を尋ねた。しかし、そこでも検査はしていないと言う。そして、市へ行けと言う。

仕方ないので、そこから歩いて市役所に行った。すると、健康関係は「健康センター」でやっているという。何のことはない、関戸の九頭竜会館である。私の住んでいるところから、歩いて五分足らず。
次の日に行って係官と話した結果、結局は市で対応ができなくダメだから、前に入院をした府中病院に行くのがベストだとわかった次第。
あるいは、行かないのがベストかもしれないが、……
新しい発見があり、楽しいプチさん。


「プチさん」とは、「プティ散策」の略。つまり、「小さい散歩」のこと。
とくに、改まった目的もない。また、どこまで行くかとか、どことどことに行くなどとは、最初から決めない。むろん、疲れたら途中でやめる。

そのときどきの気分や天候の変化によっても、スケジュールが変わる。
そんなのんきな散歩である。

それでも、いつも通らない一本裏の道などを行くと、いろいろな発見がある。つまらないようなことでも、自分自身にとって新たな感動や驚きがあることもあろう。
また、今までに気付かなかったことがあったり、再発見があったりする。例えばマンホールの蓋なども、よく見ると面白い。何とも、プチさん(プティ散策)は気軽で、楽しいもんだ。
ぜひ、あなたもやってごらんなさい。

居ながらにして、楽しめるプチさんの記事。


雨の日は、どこにも行けない。せいぜい行って、隣のデパート。京王デパートやアートマンなどは、傘なしで行ける。

しかし、たいがいは部屋でテレビを見たり、パソコン。
前に作ったプチさん(プティ散策)のページなどを見る。思い出などもあって、なかなか楽しい。そして、必要に応じて書き直したり、書き足す。

作家の誰かが志賀直哉を訪ねたら、引き出しから小品を取り出して加筆・訂正を楽しそうにしていたという。私は、そんな記事をかつて読んだことがある。つまり、「小説の神様」などと言われた人でも、何回も書き直すらしい。
したがって、才のない私が書き直すのは、当然のことであろう。
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