rikの新句(十九音)独り言。固定概念にはとらわれず、現時点で「生きている証明」をしました。
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間違っているかもしれぬ、死後の概念。
死んだらすべてが終わりだという。確かに、そのとおりかもしれない。
しかし、私は死後の概念いついて別な考え方をしている。
むろん肉体は焼かれて、なくなってしまう。脳も灰になってしまうから、もはや生前のような機能はしないだろう。
しかし、意識が残るような気がする。それは、死後の世界とか丹波哲郎さんが言うような大霊界などとはまったく違って、単に感覚だけの空間ではないだろうか。意識というかこころというか、知覚の一種である感覚なのである。
その感覚は、電磁波やプラズマのようなものであって、空間を漂うことができる。つまり、物質ではない。それは感じるものであって、古くから寺や神社などがあるのもうなずける。こころが脳にあるというのは、もしかしたら間違っているかもしれない。と、私は思う。
死んだらすべてが終わりだという。確かに、そのとおりかもしれない。
しかし、私は死後の概念いついて別な考え方をしている。
むろん肉体は焼かれて、なくなってしまう。脳も灰になってしまうから、もはや生前のような機能はしないだろう。
しかし、意識が残るような気がする。それは、死後の世界とか丹波哲郎さんが言うような大霊界などとはまったく違って、単に感覚だけの空間ではないだろうか。意識というかこころというか、知覚の一種である感覚なのである。
その感覚は、電磁波やプラズマのようなものであって、空間を漂うことができる。つまり、物質ではない。それは感じるものであって、古くから寺や神社などがあるのもうなずける。こころが脳にあるというのは、もしかしたら間違っているかもしれない。と、私は思う。
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少しずつ直していこう、間違った箇所。
間違った箇所を直すのもメンテナンスの一つ。どんどんと作るばかりが能じゃない。したがって、前に作った箇所を見直すのだが。
すると、どうであろう。自分自身で考えたことが、今になってみると恥ずかしいほどの内容である。つまり、自分自身が見たくないと思うほど、お粗末な論理が多い。
そんなわけで、つい見直したくなくなる。
さらに、すべてを削除したい衝動に駆られることもある。しかし、必死になってその誘惑に打ち勝つ。そんなことをすれば、自分自身の一生がムダであったことを自分自身で証明することになるからである。
間違った箇所は、ムリをしないで少しずつ直していこう。
間違った箇所を直すのもメンテナンスの一つ。どんどんと作るばかりが能じゃない。したがって、前に作った箇所を見直すのだが。
すると、どうであろう。自分自身で考えたことが、今になってみると恥ずかしいほどの内容である。つまり、自分自身が見たくないと思うほど、お粗末な論理が多い。
そんなわけで、つい見直したくなくなる。
さらに、すべてを削除したい衝動に駆られることもある。しかし、必死になってその誘惑に打ち勝つ。そんなことをすれば、自分自身の一生がムダであったことを自分自身で証明することになるからである。
間違った箇所は、ムリをしないで少しずつ直していこう。
気付かずに、間違いのまま記述したミス。
うっかりして記述ミスをしたり、勘違いをしてインプットすることがある。そのときは、あまり深く考えなかったのでそのことを忘れてしまう。しかし、後で読み直したときに愕然とする。なぜ、こんなミスをしたのだろうかと。
裸の王様ではないが、誰かにそそのかされて過ちを犯す。それがいいなどと言われて、その通りをする。また、周囲の顔色を気にして自分の考えと異なることをしてしまう。
そんな程度ならまだしもいいが、まったく気付かずにやっていることが何と多いことか。
したがって、救いようのない状態ではあるが、それでも少しずつ自分自身で見直していきたい。
うっかりして記述ミスをしたり、勘違いをしてインプットすることがある。そのときは、あまり深く考えなかったのでそのことを忘れてしまう。しかし、後で読み直したときに愕然とする。なぜ、こんなミスをしたのだろうかと。
裸の王様ではないが、誰かにそそのかされて過ちを犯す。それがいいなどと言われて、その通りをする。また、周囲の顔色を気にして自分の考えと異なることをしてしまう。
そんな程度ならまだしもいいが、まったく気付かずにやっていることが何と多いことか。
したがって、救いようのない状態ではあるが、それでも少しずつ自分自身で見直していきたい。
反復が続くミニマル・ミュージック! ライヒ。
他の番組の途中で、ダイヤル切り替えをしたときにちょっと見ただけだから、スティーヴ=ライヒ(Steve Reich)だったかどうかはっきりわからない。NHKのBS103で、録画演奏をやっていたように思う。管楽器が多い10人以下の編成で、何となくミニマル・ミュージックのような調べだったので印象に残った。
いつまでも執拗にリズムを反復する。そして、それは少しずつ微妙にずれていくようだ。その旋律の中に斬新さがある。ラベルのボレロなどとは、ちょっと違う斬新的な現代風の響き。
そんな刺激を受けたので自分自身のペースに合わせて、シンコペーションを効かして作曲してみたいと考えた。十二音階的な技法を使ってもよいだろう。しかし、あまり知識がないので手掛けるのにちょっと躊躇をしてしまう。
他の番組の途中で、ダイヤル切り替えをしたときにちょっと見ただけだから、スティーヴ=ライヒ(Steve Reich)だったかどうかはっきりわからない。NHKのBS103で、録画演奏をやっていたように思う。管楽器が多い10人以下の編成で、何となくミニマル・ミュージックのような調べだったので印象に残った。
いつまでも執拗にリズムを反復する。そして、それは少しずつ微妙にずれていくようだ。その旋律の中に斬新さがある。ラベルのボレロなどとは、ちょっと違う斬新的な現代風の響き。
そんな刺激を受けたので自分自身のペースに合わせて、シンコペーションを効かして作曲してみたいと考えた。十二音階的な技法を使ってもよいだろう。しかし、あまり知識がないので手掛けるのにちょっと躊躇をしてしまう。
母が子と、父を殺すに至るときまで。
仲が悪い夫婦があって、いつしか互いに殺意を抱くようになった。そんな中で、息子も父を嫌って母に加担するようになる。しかし、気立てのよい次女は父も哀れだと思った。
と、まぁそんな小説を書こうと計画した。
しかし、いくら心理的な描写をしてみても、それは日常茶飯事のこと。よくある三面記事の内容である。
殺してからの遺体の処理なども考えた。そして、そこには新しい斬新な物語になる素材が見つからない。少なくとも、私の実力では。
そんなために、「なりゆき」(仮題)という作品は挫折をして、取りやめになった。子どもが母を見ていると、そこには何とも愚かしいことが多くあることも事実だから。
仲が悪い夫婦があって、いつしか互いに殺意を抱くようになった。そんな中で、息子も父を嫌って母に加担するようになる。しかし、気立てのよい次女は父も哀れだと思った。
と、まぁそんな小説を書こうと計画した。
しかし、いくら心理的な描写をしてみても、それは日常茶飯事のこと。よくある三面記事の内容である。
殺してからの遺体の処理なども考えた。そして、そこには新しい斬新な物語になる素材が見つからない。少なくとも、私の実力では。
そんなために、「なりゆき」(仮題)という作品は挫折をして、取りやめになった。子どもが母を見ていると、そこには何とも愚かしいことが多くあることも事実だから。
「コカ」と「ムー」、十日発売、楽しみであり。
「コカ」という雑誌がある。正式には、小中学生用の月刊誌で「子供の科学」という。その内容は、私のレベルにちょうどよい。大いに学ぶことがあるからである。
毎年、四月号には「コカ・ダイヤリー」が付録になる。翌年三月までの日記と基礎知識がある。日記には、天体の様子や種々の記念日などがわかるようになっている。「子供の科学」の発売予定日も、ちゃんと書いてある。
いっぽう「ムー」というのは、学研の出している月刊誌。
やはり、私はときどき買う。発売日になると書店に行って、興味のある内容であるとうれしい。
例えば、私たちが常識では考えないテーマなども扱われる。それが、かなり科学的アプローチなので説得力がある。つい引き込まれて、自分の考え方を修正したりすることがあるくらい。
「コカ」という雑誌がある。正式には、小中学生用の月刊誌で「子供の科学」という。その内容は、私のレベルにちょうどよい。大いに学ぶことがあるからである。
毎年、四月号には「コカ・ダイヤリー」が付録になる。翌年三月までの日記と基礎知識がある。日記には、天体の様子や種々の記念日などがわかるようになっている。「子供の科学」の発売予定日も、ちゃんと書いてある。
いっぽう「ムー」というのは、学研の出している月刊誌。
やはり、私はときどき買う。発売日になると書店に行って、興味のある内容であるとうれしい。
例えば、私たちが常識では考えないテーマなども扱われる。それが、かなり科学的アプローチなので説得力がある。つい引き込まれて、自分の考え方を修正したりすることがあるくらい。
睡眠が短くなって、疲れがたまる。
いつごろからだろうか。睡眠時間が、かなり短くなった。実際には、睡眠時間が短くなったのではない。睡眠が分断されて、二・三時間ごとに起きてしまう。オシッコがしたくなるのではなく、それは「目覚め」というよりも、むしろ「眠りの中断」である。
したがって、いくら寝ても疲労困憊(ひろうこんぱい)してしまう。いわゆる疲憊(ひばい)という状態である。それが原因であろうか、しばしば日中でもうつらうつらすることがある。
私は自動車の運転をしていないので、事故は起こさない。しかし、何となく危険な状態である。例えば電車に乗っていて、つい乗り過ごすことなどがある。はっと気付くと、次の駅。
若いころも、そんなことがあった。しかし、それは大酒を飲んだとき。何となく、歳をとったら酒を飲んでいるときによく似た状態になるのだろうか。
いつごろからだろうか。睡眠時間が、かなり短くなった。実際には、睡眠時間が短くなったのではない。睡眠が分断されて、二・三時間ごとに起きてしまう。オシッコがしたくなるのではなく、それは「目覚め」というよりも、むしろ「眠りの中断」である。
したがって、いくら寝ても疲労困憊(ひろうこんぱい)してしまう。いわゆる疲憊(ひばい)という状態である。それが原因であろうか、しばしば日中でもうつらうつらすることがある。
私は自動車の運転をしていないので、事故は起こさない。しかし、何となく危険な状態である。例えば電車に乗っていて、つい乗り過ごすことなどがある。はっと気付くと、次の駅。
若いころも、そんなことがあった。しかし、それは大酒を飲んだとき。何となく、歳をとったら酒を飲んでいるときによく似た状態になるのだろうか。