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rikの新句(十九音)独り言。固定概念にはとらわれず、現時点で「生きている証明」をしました。
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間違っているかもしれぬ、死後の概念。


死んだらすべてが終わりだという。確かに、そのとおりかもしれない。
しかし、私は死後の概念いついて別な考え方をしている。

むろん肉体は焼かれて、なくなってしまう。脳も灰になってしまうから、もはや生前のような機能はしないだろう。
しかし、意識が残るような気がする。それは、死後の世界とか丹波哲郎さんが言うような大霊界などとはまったく違って、単に感覚だけの空間ではないだろうか。意識というかこころというか、知覚の一種である感覚なのである。

その感覚は、電磁波やプラズマのようなものであって、空間を漂うことができる。つまり、物質ではない。それは感じるものであって、古くから寺や神社などがあるのもうなずける。こころが脳にあるというのは、もしかしたら間違っているかもしれない。と、私は思う。
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最近,死者の夢。
亡き父母、義父母、現役時代の知人、に夢で良く出会う。 rikuさんの言う、彼らの感覚が夢のスクリーンを通して私に語りかけて来るのだろう。

平素はご無沙汰しているので、少しは墓参に来るか?遺族に挨拶が必要なのかも知れない、それが為、「お盆」や「送り火」があるんだろう。
死者の感覚が寂しいのかもしれない。
宇宙空間を自在に飛び交う事が出来ても、生前の生きている知人、親族が恋いしいのだろう。
tama 2008/08/15(Fri)08:26:12 編集
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