忍者ブログ
rikの新句(十九音)独り言。固定概念にはとらわれず、現時点で「生きている証明」をしました。
ブログ内検索
ご案内


現在、このプログではコメントなどを受け付けていません。
お恥ずかしい個人的な内容が多いからです。それでももしも、ご意見やご質問があればここから願います。


似顔説明

[292]  [293]  [294]  [295]  [296]  [297]  [298]  [299]  [300]  [301]  [302
×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

次々と友を失う現実があり。


しばらく会わないと思っていたら、脳梗塞で倒れて入院をしていたり、寝たきりになっている友達が数人いる。私自身が、もはや古希に近いので、年上の友達は仕方のないことかもしれない。

高齢になると、誰もが身体の不調を訴えるようだ。そして、そんなことを言い続けるうちにアウト。死んでしまった友達も、十人近くなった。

そんなことを考えると、自分の番が間もなく回って来るんじゃないかと、心細いかぎり。
ここのところ、何となく人生がわかりかけてきたのに、それもはっきりと納得できないままにグッドバイするのは、何とも残念。せめて、自分自身ではわかっておきたいことが、まだいくつかあるのに。

やはり、人生の持ち時間が少ないのか。あるいは、今までにムダなことを多くしすぎたのか?

PR
ニンニクもアロエもユリ科、私の薬。


体調が悪くなって、思い当たるふしがあり「食べ物・飲み水」と「生活習慣」に改めて注意・見直しをするようになった。
食べ物には、「にんにく」と「アロエ」を薬として常用するように心がける。身体の新陳代謝が、ここのところ大いに必要だからである。むろん、いずれも無農薬・低農薬のものでなくてはいけない。

ニンニクもアロエも、タマネギなどと同じユリ科である。
『ドン・キホーテ』に、「タマネギやニラは食べてはいけない」などと書いてあったが、『源氏物語』の「月夜の品定め」にはニンニクを常用する博士の娘の話が綴られている。

昔から常用される薬物でない食べ物には、それなりの効果があるらしい。
同様に、飲み水についても注意をしなければならない。
また、生活習慣は見直しをして、少しばかり改善をした。
それらについては、『青空のホームページ』にまとめていこう。「健康入門」の「病からグッドバイ法」に。



「ブルータス、お前もか?」とも似ているCOOP。


「よもや間違いあるまい!」と思っていたところが、……。信用をしていたり、期待をしていたところに、裏切られた感じ。そんなふうに思う人は、かなり多いのではないか。

実は、私は信じていなかったのである。
かつて恩田氏から全農のコンピュータセンターができるときに参加を勧められた。30年くらい昔のことである。しかし、折角ではあるが断ってしまった。

つまり、組織が大きすぎるので、それをかいまくぐる問題が多いのではないかと思った。そして、あまり思うようにできる職場ではないとも考えた。だから、JEOLに行ったのである。

そんな経過があったから、私はCOOPよりもシステムの小さい「神農センター」から野菜や果物、あいがも米、そして「ニッコー食品の冷凍ぎょうざ」などを購入している。
何となく、世のからくりに気付き始めぬ。


いつごろからだろうか?
ふと、世の中全体が何となく傀儡(くぐつ)のように感じ始めたのである。
むろん、裏づけや証拠のような確証はない。
しかし、傀儡師(くぐつし)や傀儡回しのような存在に対する気配をうすうす感じるようになった。

もともと、傀儡は歌などに合わせて動く操(あやつ)り人形のこと。ポーの作品にも「メルチェルの将棋指し」というのがある。
その後、日本では寺社に仕えて、布教などに従事する人も言うようになった。

そして、それが私の場合、インテリジェント・デザイン論と組み合わさって得体の知れない不気味な存在となってきたのだが、……
外食をやめ、食べ物にしばらく注意!


ここのところ、何となく体調が悪い。
そこで、しばらく外食を減らそうと思う。妻との手前、まったくやめるわけにはいかないが。
少なくとも、一人で食堂へ行くことは当分しない。

一回ごとの摂取量が微量であっても、長い間食べ続けると身体に影響が出てくる物質がある。そんな物質のために、やがて「化学薬品症候群」があらわれることは必然。そして、そのようになると原因が特定できないために、自分の身体にとっては大きな問題になる。

とくに味付けをよくしてある外食の場合は、何を食べさせられているのかわからないので、慎重にならざるをえない。
自分なりの宇宙観を作る楽しみ。


難しい文学を読む。しかし、私にはわからない。
精緻な美術、例えば絵画に接する。まったく理解できない。
偉大な音楽を聞く。交響曲などは、途中の楽章で「早く終わればいいなぁ!」などと考えてしまう。

そんなことでは、仕方がない。むしろ、幼稚なものであっても、自分自身のレベルに合ったものがよい。つくづくと、そう思う。

『方丈記』に「がうな」と「みさご」の話がある。

<寄居虫(がうな)は、小さき貝をこのむ。これ身知るによりてなり。みさごは、荒磯に居る。すなはち、人を恐るゝが故なり。我またかくの如し。身を知り、世を知れれば、願はず、わしらず。たゞ靜かなるを望みとし、愁へなきを樂しみとす。>

まったく、その通りだと思う。

無駄なこと、あまりに多き現代社会。


情報が氾濫し、何でも満たされるような社会ではあるが、実際には逆。
確かに先端技術はすばらしい。一昔前と比べれば現代社会は、生活が大いに改善されたはずだ。

しかし、心の問題となると別。
相変わらず、犯罪や事故などが絶えない。同じことの繰り返しならよいが、ますます悪いほうにエスカレートしていく。

何となく、子どもに武器を与えるような構図が現代社会ではないだろうか。もっと精神的な基本的問題を先に解決しなければならないところ、物質文化だけが先行してしまった。

いったい、今後どうなるのであろうか。

忍者ブログ [PR]