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rikの新句(十九音)独り言。固定概念にはとらわれず、現時点で「生きている証明」をしました。
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何となく、世のからくりに気付き始めぬ。


いつごろからだろうか?
ふと、世の中全体が何となく傀儡(くぐつ)のように感じ始めたのである。
むろん、裏づけや証拠のような確証はない。
しかし、傀儡師(くぐつし)や傀儡回しのような存在に対する気配をうすうす感じるようになった。

もともと、傀儡は歌などに合わせて動く操(あやつ)り人形のこと。ポーの作品にも「メルチェルの将棋指し」というのがある。
その後、日本では寺社に仕えて、布教などに従事する人も言うようになった。

そして、それが私の場合、インテリジェント・デザイン論と組み合わさって得体の知れない不気味な存在となってきたのだが、……
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訳が解らない世の中
一例を挙げると、大昔、インドの釈迦は僧になり、托鉢で生きてきた、そうすると、喜捨を施す大衆は魚や肉や、アラユル、食物を施した筈だ、考えると釈迦は食事の選択は出来ない、佛教で定めた、禁忌の食物が、どうのこうのと言えなかったのではないか、後世の坊主が勝手に決めた戒律を現代まで持ち込み、京都の坊主連中は観光税を掛けられると、抵抗し拒否する。

このような矛盾が、積み重なり、全てが虚構の世の中になった。
暮らし難いのは当然だ。
tama 2008/02/05(Tue)09:20:51 編集
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