rikの新句(十九音)独り言。固定概念にはとらわれず、現時点で「生きている証明」をしました。
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失礼な人がたくさんいる、この社会。
人間の遺伝子は、自分自身のことしか考えないで、身勝手に動くようになっているらしい。そんなわけで、この世の中には失礼な人が多い。
自分の利益のためには、他人の健康や幸福などは考えない。儲かればそれでよいという単刀直入な考え方をする人が、次々と後を絶たない。
また、不愉快な人も多い。
仏典にも「怨憎会苦」(おんぞうえく)という言葉がある。「四苦八苦」の中に「生」「老」「病」「死」などと一緒に含まれている。いやな人や嫌いな人と、一緒に何かをしなければならないという苦しみ。
嫁と姑(しゅうとめ)の間などでも、よくあることだ。
また、私はソクラテスの話を思い出す。
ある人が、「出会っても挨拶をしない人がいる」とソクラテスにこぼす。
すると、彼は「君は道で、足のない人にあったら怒るか?」と尋ねた。
そして、言った。
「挨拶もできない人は、足がないと同じように身体に何らかの精神的な欠陥があるのだ。」
人間の遺伝子は、自分自身のことしか考えないで、身勝手に動くようになっているらしい。そんなわけで、この世の中には失礼な人が多い。
自分の利益のためには、他人の健康や幸福などは考えない。儲かればそれでよいという単刀直入な考え方をする人が、次々と後を絶たない。
また、不愉快な人も多い。
仏典にも「怨憎会苦」(おんぞうえく)という言葉がある。「四苦八苦」の中に「生」「老」「病」「死」などと一緒に含まれている。いやな人や嫌いな人と、一緒に何かをしなければならないという苦しみ。
嫁と姑(しゅうとめ)の間などでも、よくあることだ。
また、私はソクラテスの話を思い出す。
ある人が、「出会っても挨拶をしない人がいる」とソクラテスにこぼす。
すると、彼は「君は道で、足のない人にあったら怒るか?」と尋ねた。
そして、言った。
「挨拶もできない人は、足がないと同じように身体に何らかの精神的な欠陥があるのだ。」
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浩然の気を養うために、プチさんをする。
「浩然の気」とは、『孟子』にある言葉で「自然の空気を吸って、のびのびとしよう」と言ったような意味ではないだろうか。
もっと大きく「天地間に満ちている自然の気」と考えてもよいだろう。
いずれにしても、よい環境で、よい空気を吸うのはよいことである。
よいよいになってからでは、外出ができない。
そこで、元気なうちにプチさんをする。
プチさん(小さい散策)とは、言葉通り「プティな散歩」と言ってよい。身近なところで、気軽にできる範囲でよいのだ。
私は、駅の周辺でプチさんをする工夫をして、いままとめているところ。
詳しくは、下記の「プチさん(小さい散策)」を参照して下さい。
http://www.geocities.jp/rikwhi/index_sousaku.html
「浩然の気」とは、『孟子』にある言葉で「自然の空気を吸って、のびのびとしよう」と言ったような意味ではないだろうか。
もっと大きく「天地間に満ちている自然の気」と考えてもよいだろう。
いずれにしても、よい環境で、よい空気を吸うのはよいことである。
よいよいになってからでは、外出ができない。
そこで、元気なうちにプチさんをする。
プチさん(小さい散策)とは、言葉通り「プティな散歩」と言ってよい。身近なところで、気軽にできる範囲でよいのだ。
私は、駅の周辺でプチさんをする工夫をして、いままとめているところ。
詳しくは、下記の「プチさん(小さい散策)」を参照して下さい。
http://www.geocities.jp/rikwhi/index_sousaku.html
コスモスが堤外に咲き、そこは異次元。
異次元とは、大げさに言えばのことである。
また、私だけのことかもしれない。
コスモスは、宇宙花である。
マクロコスモスとミクロコスモスがあるが、私はとくにミクロコスモスについて興味がある。
自分自身が一つのミクロコスモスであって、それ自体をいかに動かしていくかについて、考えなければならない。
しかし、多摩川の堤外に咲き誇っているコスモスを見ると、かなり大きな群生である。
『星の王子さま』のバラが、「自分は一人であって、群生などは考えていない」ことをプティプリンスが知って、後に地球のバラの大群生を見たときに「黙っていたほうがよいだろうなど考えた」ことを、私はそれなりに納得したのである。
異次元とは、大げさに言えばのことである。
また、私だけのことかもしれない。
コスモスは、宇宙花である。
マクロコスモスとミクロコスモスがあるが、私はとくにミクロコスモスについて興味がある。
自分自身が一つのミクロコスモスであって、それ自体をいかに動かしていくかについて、考えなければならない。
しかし、多摩川の堤外に咲き誇っているコスモスを見ると、かなり大きな群生である。
『星の王子さま』のバラが、「自分は一人であって、群生などは考えていない」ことをプティプリンスが知って、後に地球のバラの大群生を見たときに「黙っていたほうがよいだろうなど考えた」ことを、私はそれなりに納得したのである。
青空の中に漂う雲を見ている。
突き抜けるような青空、そんな日が秋になるとある。
私は雲を見ていると、何となく楽しくなる。
雲は、むろん生き物ではない。
しかし、生きているような動きをすることがある。そんな雲を見ていると、想像が限りなく広がる。
「浮き雲」というようなタイトルの小説があるのも、さもありなん。
私は、二葉亭四迷や原田康子の作品を知っているが、他にもかなりあるだろう。インターネットで調べてみれば、そのようなこともわかる。
しかし、私にはそのような必要はない。
私自身の浮き雲で、じゅうぶんだからである。
突き抜けるような青空、そんな日が秋になるとある。
私は雲を見ていると、何となく楽しくなる。
雲は、むろん生き物ではない。
しかし、生きているような動きをすることがある。そんな雲を見ていると、想像が限りなく広がる。
「浮き雲」というようなタイトルの小説があるのも、さもありなん。
私は、二葉亭四迷や原田康子の作品を知っているが、他にもかなりあるだろう。インターネットで調べてみれば、そのようなこともわかる。
しかし、私にはそのような必要はない。
私自身の浮き雲で、じゅうぶんだからである。
友からのメールがないと、安否気遣う。
親しい友人からのメールが久しくないと、「どうしたんだろうか?」などと安否を気遣う。
そして、もしかしたら入院をしたんじゃないか、さらに最悪の場合は亡くなったのではないか、などと思ってしまう。
なぜならば、友人のほとんどは還暦をとっくに過ぎた人たちだから。
それにしても、まったく健康な人が少なくなってしまった。
私は、かつては健康に自信があった。しかし、前立腺を切ってからは、どうも調子がよくない。
カテーテルから院内感染をしてしまって、血液中にパラサイトやコメンサルなどが大量に巣くってしまったからだ。
何とかして、早々にそれらを退去させてしまいたい。
いっぽうでは、冗談ではなく友人に、
「私のメールがなくなったら、死んだと思ってくれ」
といつも言うようになった。
親しい友人からのメールが久しくないと、「どうしたんだろうか?」などと安否を気遣う。
そして、もしかしたら入院をしたんじゃないか、さらに最悪の場合は亡くなったのではないか、などと思ってしまう。
なぜならば、友人のほとんどは還暦をとっくに過ぎた人たちだから。
それにしても、まったく健康な人が少なくなってしまった。
私は、かつては健康に自信があった。しかし、前立腺を切ってからは、どうも調子がよくない。
カテーテルから院内感染をしてしまって、血液中にパラサイトやコメンサルなどが大量に巣くってしまったからだ。
何とかして、早々にそれらを退去させてしまいたい。
いっぽうでは、冗談ではなく友人に、
「私のメールがなくなったら、死んだと思ってくれ」
といつも言うようになった。
肉体は、単に心の乗り物なのか?
魂が生命体で、一種のエネルギーと考える私には、なかなか理解しにくいことである。
だいいち、わざわざ「肉体」と「心」とを分けて考えるのはなぜか。
おそらく、機能の面から説明がしやすいからであろう。心の受容器として、五感があると考えれば、それはそれでわかりやすい。
しかし、「脳」を考えるとわからなくなる。
ディスカバリーチャンネルの「生命誕生」という番組を見たら、「脳は、すでに胎児のときから機能する」という。母親の胎内で、胎児はすでに思考ができるようになっているらしい。
すると、脳は「肉体」なのであろうか。あるいは、「心」なのであろうか。
また、肉体にある千億個もあるニューロンは、何となく「心」の機能を果たしているのではいのか。
肉体を単に「心の乗り物」などと考えるのは、ちょっと早計であろう。
しかし、このようなことを考えている私自身は、ちょっとどころではない大バカものかもしれない。
魂が生命体で、一種のエネルギーと考える私には、なかなか理解しにくいことである。
だいいち、わざわざ「肉体」と「心」とを分けて考えるのはなぜか。
おそらく、機能の面から説明がしやすいからであろう。心の受容器として、五感があると考えれば、それはそれでわかりやすい。
しかし、「脳」を考えるとわからなくなる。
ディスカバリーチャンネルの「生命誕生」という番組を見たら、「脳は、すでに胎児のときから機能する」という。母親の胎内で、胎児はすでに思考ができるようになっているらしい。
すると、脳は「肉体」なのであろうか。あるいは、「心」なのであろうか。
また、肉体にある千億個もあるニューロンは、何となく「心」の機能を果たしているのではいのか。
肉体を単に「心の乗り物」などと考えるのは、ちょっと早計であろう。
しかし、このようなことを考えている私自身は、ちょっとどころではない大バカものかもしれない。
「無責任ではないか?」とも、先輩は言う。
始めはいきおいこんで作成したホームページだが、訪問者も少なくさっぱり。当初の仲間から、「やっぱり、投げ出したぞ」と言われたくないので、やめるわけにはいかない。
仕方なく、自分自身のノートやメモのような使い方をしている。原稿や思いつきを、そのままアップロードしておいて、インターネット上で推敲をする。それが、もっとも簡単で効率のよいやりかただから。
恥をかくとか、みっともないなどということは、あまり考えていない。そもそも、私が生きていること自体、それがすでに恥ずかしいことだ。
ホームページが大きくなると、ホームページビルダーの中で疑似サイトができない。メモリの容量が、足りなくなるからであろう。そんなために、未完成のままインターネットを利用して、そこを見ながらホームページビルダーで修正をしなければならなくなる。
だから、私の場合はほとんどが結論もないままの中途半端なページ。
しかし、おそらくそのようなことはできなくなるだろう。なぜならば、このままでは、やがて法令が改正されてインターネット上の「未完成な作品」や「破廉恥な行為」、そして「犯罪」などを厳しく統制するであろうから。
始めはいきおいこんで作成したホームページだが、訪問者も少なくさっぱり。当初の仲間から、「やっぱり、投げ出したぞ」と言われたくないので、やめるわけにはいかない。
仕方なく、自分自身のノートやメモのような使い方をしている。原稿や思いつきを、そのままアップロードしておいて、インターネット上で推敲をする。それが、もっとも簡単で効率のよいやりかただから。
恥をかくとか、みっともないなどということは、あまり考えていない。そもそも、私が生きていること自体、それがすでに恥ずかしいことだ。
ホームページが大きくなると、ホームページビルダーの中で疑似サイトができない。メモリの容量が、足りなくなるからであろう。そんなために、未完成のままインターネットを利用して、そこを見ながらホームページビルダーで修正をしなければならなくなる。
だから、私の場合はほとんどが結論もないままの中途半端なページ。
しかし、おそらくそのようなことはできなくなるだろう。なぜならば、このままでは、やがて法令が改正されてインターネット上の「未完成な作品」や「破廉恥な行為」、そして「犯罪」などを厳しく統制するであろうから。