rikの新句(十九音)独り言。固定概念にはとらわれず、現時点で「生きている証明」をしました。
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リーダーのいない社会が、ヤマアリにあり。
人間の社会にはリーダーがいて、よかれ悪しかれ音頭(おんど)をとります。支配ばかりではなく、扇動や画策などをすることもあるでしょう。
しかし、とくにリーダーがいなくても、互いにコミュニケーションを取っている昆虫がいるので驚きです。
それは、巨大コロニー国家を作っているヨーロッパアカヤマアリです。
私は、宮沢賢治の『どんぐりと山猫』を思い出します。
その小説が、つまらないことを言い争う人間社会を風刺しているからです。
また、アリストテレスの言葉
<人間は生まれながらにして、政治的動物である。>
なども、大いに考えてしまうのですが、……
人間の社会にはリーダーがいて、よかれ悪しかれ音頭(おんど)をとります。支配ばかりではなく、扇動や画策などをすることもあるでしょう。
しかし、とくにリーダーがいなくても、互いにコミュニケーションを取っている昆虫がいるので驚きです。
それは、巨大コロニー国家を作っているヨーロッパアカヤマアリです。
私は、宮沢賢治の『どんぐりと山猫』を思い出します。
その小説が、つまらないことを言い争う人間社会を風刺しているからです。
また、アリストテレスの言葉
<人間は生まれながらにして、政治的動物である。>
なども、大いに考えてしまうのですが、……
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旅先で和んだ人は、一期一会(いちごいちえ)か?
人生には、いろいろな出会いがあります。また、人生自体が旅ではないでしょうか。そして、そこにおける出会いは、一期一会のようです。
私の言っている意味が、おわかりでしょうか。
例えば、こんなことをお話ししておきましょう。
学生時代に親しかった人と再会をしました。風貌や口調は、あまり変わっていません。しかし、考え方が変わってしまったのです。ずいぶんと打算的になりました。企業のトップだったから、当然のことでしょう。
しかし、私は「別の人」を彼の中に見たので、その後は会うのをやめました。つまり、彼とは一期一会だったのです。なぜならば、私が懐かしく思う学生時代の彼は、もはやいないからです。
ゲーテでさえ、二・三人しか親しい友人がいなかったと晩年に吐露(とろ)しています。
そして、私は思うのです。「どうやらエッケルマンも、それに入っていなかった」のではないかと。
人生には、いろいろな出会いがあります。また、人生自体が旅ではないでしょうか。そして、そこにおける出会いは、一期一会のようです。
私の言っている意味が、おわかりでしょうか。
例えば、こんなことをお話ししておきましょう。
学生時代に親しかった人と再会をしました。風貌や口調は、あまり変わっていません。しかし、考え方が変わってしまったのです。ずいぶんと打算的になりました。企業のトップだったから、当然のことでしょう。
しかし、私は「別の人」を彼の中に見たので、その後は会うのをやめました。つまり、彼とは一期一会だったのです。なぜならば、私が懐かしく思う学生時代の彼は、もはやいないからです。
ゲーテでさえ、二・三人しか親しい友人がいなかったと晩年に吐露(とろ)しています。
そして、私は思うのです。「どうやらエッケルマンも、それに入っていなかった」のではないかと。
久々に聴くケンプなり、なつかしき音。
バックハウスなどと比べると、何となく地味な感じがしたウイルヘルム=ケンプのピアノですが、聞き直してみるとそこにはなつかしい音がありました。
中学生のころから、ケンプが弾くベートーベンのピアノソナタをしばしば聞いたものです。
その後、全32曲を続けて聞くのはバックハウス、そしてアンネ=オランドと変わりました。バックハウスのは、だいたい番号順になっていますが、アンネ=オランドは10枚組のCDになっていて、一枚ごとの取り合わせが実によくできています。
そんな日々でしたが、久々に実況の録画でケンプを聴くと、バックハウスやオランドにないなつかしい響きがあったので、驚いた次第。
それは、私にとって「技巧ということを感じさせない技巧」でもあるようです。
バックハウスなどと比べると、何となく地味な感じがしたウイルヘルム=ケンプのピアノですが、聞き直してみるとそこにはなつかしい音がありました。
中学生のころから、ケンプが弾くベートーベンのピアノソナタをしばしば聞いたものです。
その後、全32曲を続けて聞くのはバックハウス、そしてアンネ=オランドと変わりました。バックハウスのは、だいたい番号順になっていますが、アンネ=オランドは10枚組のCDになっていて、一枚ごとの取り合わせが実によくできています。
そんな日々でしたが、久々に実況の録画でケンプを聴くと、バックハウスやオランドにないなつかしい響きがあったので、驚いた次第。
それは、私にとって「技巧ということを感じさせない技巧」でもあるようです。
切り詰める言葉のうちに、余韻(よいん)が残る。
短詞形では、だらだらと説明をすることができません。
かいつまんで、短い表現にする必要があるからです。
細かいことはさておいて、重要なポイントを最初に述べるようにしましょう。そのようにすると、不思議なことに「余韻」が残ります。
さらに、「奥ゆかしさ」まで生じることがあるので、不思議です。
何でもそうでしょうが、あまり細かいことに注意をすると、膨大なことになってしまいます。
私が愛読している『正法眼蔵』という本には、「歯の磨き方」から「お尻の拭き方」までも書いてありました。そして、その「お尻の拭き方」には、「紙の場合」と「箆(へら)を使う場合」など、細々と書いてあるのです。
短詞形では、だらだらと説明をすることができません。
かいつまんで、短い表現にする必要があるからです。
細かいことはさておいて、重要なポイントを最初に述べるようにしましょう。そのようにすると、不思議なことに「余韻」が残ります。
さらに、「奥ゆかしさ」まで生じることがあるので、不思議です。
何でもそうでしょうが、あまり細かいことに注意をすると、膨大なことになってしまいます。
私が愛読している『正法眼蔵』という本には、「歯の磨き方」から「お尻の拭き方」までも書いてありました。そして、その「お尻の拭き方」には、「紙の場合」と「箆(へら)を使う場合」など、細々と書いてあるのです。
「エイズとは、どんな病気か?」調べつつあり。
最近になって、「HIV」とか「AIDS」が問題になっています。急速に増えていて、死んでしまう人が多くなったからです。
何となく「いやらしい病気」と考えがちですが、そうではありません。
エイズは、後天性(Acquired)免疫(Immuno)不全(Deficiency)症候群(Syndrome)なのです。
そして、ヒト(Human)免疫不全(Immunodeficiency)ウイルス(Virus)によって起こる病気なのです。
問題は、私たちの「免疫」という仕組みが効かなくなることです。つまり、ホメオスタシスのバランスが崩れて、体内の抵抗力がなくなってしまうのです。
そのために、普段なら何ともないウイルスや細菌、さらにはカビなどに感染をして、アウトのなっちゃうんです。
歯周菌が血液中に入っても、問題が生じるようです。男性同士の性行為から感染するともいわれますが、それは血液を介してなる場合が多いようです。
また、母親から赤ちゃんへダイレクトに感染することもあるので、感染経路はいちがいに言えません。
最近になって、「HIV」とか「AIDS」が問題になっています。急速に増えていて、死んでしまう人が多くなったからです。
何となく「いやらしい病気」と考えがちですが、そうではありません。
エイズは、後天性(Acquired)免疫(Immuno)不全(Deficiency)症候群(Syndrome)なのです。
そして、ヒト(Human)免疫不全(Immunodeficiency)ウイルス(Virus)によって起こる病気なのです。
問題は、私たちの「免疫」という仕組みが効かなくなることです。つまり、ホメオスタシスのバランスが崩れて、体内の抵抗力がなくなってしまうのです。
そのために、普段なら何ともないウイルスや細菌、さらにはカビなどに感染をして、アウトのなっちゃうんです。
歯周菌が血液中に入っても、問題が生じるようです。男性同士の性行為から感染するともいわれますが、それは血液を介してなる場合が多いようです。
また、母親から赤ちゃんへダイレクトに感染することもあるので、感染経路はいちがいに言えません。
親鸞を在家で奉る(まつる)、「妙好人」(みょうこうにん)。
知らなかったのではあるが、私が自作のことで外村繁や林田茂雄の話をしたら、彼らを「妙好人」と呼ぶのだと言う。高守さんが、教えてくれたのである。
あまり聞かない言葉であるが、「みょうこうにん」と読むそうである。
それでは、なぜ「妙なる」という字と「好ましい」という字が用いられているかまでは、気後れがして聞けなかった。
もしかしたら、「妙好」は人名なのかもしれない。
高守さんは、国文学の大家であるとともに、仏教の知識がものすごく深い。さらに、キリスト教に関しても学者肌。
私は、仏教やキリスト教に関してわからないことだらけ。そこで、高守さんに聞きにいくことにしている。
そして、忘れないために上のような新句(十九音)の形にして覚えることにしてるんだ。
知らなかったのではあるが、私が自作のことで外村繁や林田茂雄の話をしたら、彼らを「妙好人」と呼ぶのだと言う。高守さんが、教えてくれたのである。
あまり聞かない言葉であるが、「みょうこうにん」と読むそうである。
それでは、なぜ「妙なる」という字と「好ましい」という字が用いられているかまでは、気後れがして聞けなかった。
もしかしたら、「妙好」は人名なのかもしれない。
高守さんは、国文学の大家であるとともに、仏教の知識がものすごく深い。さらに、キリスト教に関しても学者肌。
私は、仏教やキリスト教に関してわからないことだらけ。そこで、高守さんに聞きにいくことにしている。
そして、忘れないために上のような新句(十九音)の形にして覚えることにしてるんだ。