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rikの新句(十九音)独り言。固定概念にはとらわれず、現時点で「生きている証明」をしました。
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作曲の楽しみもある、素人(しろうと)趣味。


作曲の楽しみとして、クラッシックギターの場合を考えてみる。
私は、ギターなど弾けない。右手に重度な傷害があるからである。実際に筋(すじ)が切れてしまって、手そのものに力が入らない。つまり、握力さえもまったくないのだ。

でも、作曲ならできるかもしれない。
作曲を初めてしたのは、かなり大人になってから。何もわからなかったが、ただ自分なりにやってみたのである。
今回は旋律がなく、ただダラダラと進むBGM用の練習曲を考えてみた。自分は練習など、できないのではあるが、……

旋律のないイ短調

そのうち、アラフェンスばりの協奏曲ができるかも?

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道元と懐奘(えじょう)を思う、がまとみみずと。


道元と懐奘(えじょう)を考えると、何となく懐奘のほうがわかりやすい。いま、私が調べている

 <切に思ふことは必ずとぐるなり>正法眼蔵随聞記

という記述は、ポールマイヤーなどにもあった。

さらに、

 <「仏というは蝦蟆(がま)蚯蚓(みみず)ぞ」といわば、蝦蟆蚯蚓をこれぞ仏と信じてひごろの知解(ちげ)を捨つべきなり。>(正法眼蔵随聞記)

 <学道の人はもっとも貧なるべし。>(正法眼蔵随聞記)

 <学道の人はまずすべからく貧なるべし>(正法眼蔵随聞記)

 <人の心もとより善悪なし。善悪は縁に随って起こる。>(正法眼蔵随聞記)

 <ほう(まだれの中に龍)居士(ほう公)は、参禅のはじめ、家の財宝を持ち出して海に沈めようとした。>

 <玉は琢磨によりて器となる。人は錬磨によりて仁(ひと)となる。……>

 <自ら卑下して学道をゆるくすることなかれ>(正法眼蔵随聞記)

などと言う言葉に、大いに感激をした。
道元は、わが国の曹洞宗の祖と言われる。さらに、次のような言葉を残している。

 <仏道をならふといふは、自己をならふなり。自己をならふといふは、自己をわするるなり。自己をわするるといふは、万法に証せらるるなり>(正法眼蔵)

 <ただわが身をも心をも、はなちわすれて、仏の家になげいれて、仏のかたよりおこなはれて、これにしたがひもてゆくとき、ちからもいれず、こころもつひやさずして、生死をはなれ、仏となる。>(正法眼蔵)

なお、正しくは「正法眼蔵」を「しょうぼうげんぞう」と読むらしい。
さらに、私は考える。
もしかしたら、弟子のほうが師より数倍も優れていたのではないか?

 <自己をならふといふは、自己をわするるなり。>(正法眼蔵)

雪の中の白い梅についての記述が『正法眼蔵』にある。

 <人間は知識をいっぱいもっているが安心できる世界はないのではないか?>

『正法眼蔵』の「梅花の巻」である。
私にも、静かに目を瞑る(つぶる)と雪の中の白い梅の花が見えるようだ。
「尿」という文字が気になる、手術の後は。


昨年の夏に、前立腺肥大の手術を受けた。その結果、外科的には大成功。まったくオシッコの苦しさはなくなった。しかし、その後「尿」という文字が目にとまりやすくなったようだ。

例えば、「尿前の関とはどういういわれだろう?」などと考える。
松尾芭蕉の『おくのほそ道』に「尿前の関」というのが出ていた。それは、「ひとまえのせき」と読むらしい。宮城県玉造郡鳴子町尿前にあって、近くに鳴子公園や日本こけし館がある。
北羽前街道から、ちょっと入ったところである。

以上、前立腺肥大症をやってから、「尿」という字が目に入ってしかたがないという単なるお話。

割礼はするべきものか? しなくてよいか?


ユダヤ人の男子は、生まれて間もなく割礼をする。旧約聖書にもあるように、それは神との契約である。聖書の記述には、「割礼をしていない者たち」と、敵のような呼ばわり方がある。しかし、妥協的な教義変更を好んだパウロは、宣教に大きな障害になっていた割礼を廃してしまった。それによって、異邦人に対する伝道が飛躍的に伸びたという。

砂漠の地のように水の乏しい地域では、オチンチンの清潔を保つためにも好ましいことだろう。また、ギリシアの彫刻に見るように、オチンチンの皮が剥(む)けていない人が多いらしい。明治以前に来日をした外人の誰かが書いていたが、「風呂で見たら、ほとんどの人が剥けていたので驚いた」とあった。さらに、日本のように水が豊富なところでは、とくに割礼が必要ではないかもしれない。包茎の人は一日に一回、オチンチンをまくって、水を流しながら洗うこともできるからである。

日本でも割礼をしている家系があることを漏れ伝え聞く。それは、天皇家。しかし、私は天皇家がなぜユダヤの習慣をもっているのかは知らない。
エスペラント、なぜ広まらぬ? 素晴らしいのに。


エスペラント語は、理想的な人工語であるのに、なぜ普及して広がらないのだろうか?

ここのところ、私はちょっとエスペラントの学習をした。
でも、いまさらエスペランチストになるわけではない。
なぜ、この言語が世界で大流行をしないかが、不思議であったからだ。

中学生のころ「エスペラントの父ザメンホフ」という岩波新書の本から抜粋が国語の教科書にあった。伊東三郎さんが書いた本で、非常に内容が優れていた。
そのころ、父が京大以後にお世話になった人ということで、伊東三郎さんのお嬢さんと、やはり秦さんの息子(剛平さん)と娘(良子さん)三人の英語の勉強を母がみていた。むろん、無料でしていたと思う。

秦さんの息子は、キリスト教大学を優秀な成績で出て、今は美大の教授になられた。しかし、伊東さんの娘さんも秦さんの娘さんも、その後どうなったか知らない。

秦さんも伊東さんも金銭を父に貸してくれたそうであるが、どちらかの方の学生時代のあだ名か忘れたが「西洋乞食」と言ったそうだ。しかし、それは風袋のことであって、いずれも資産家の家系だったらしい。

ご承知のようにエスペラントは人造語である。
……
また逢える、そんな思いが、ふつふつとする。


高齢になると親しい友達が減ってしまいます。
意見が異なって別れてしまったのは、仕方のないことです。それよりも、死んでしまった人が次第に増えてくるからです。

老いてくると、女性ばかりが恋しくなるのと違います。
人間が恋しくなるのです。

血圧が高いときには、ふらふらとする。


血圧が高くなると、ふらふらします。
ふらふらするだけであればいいんですが、やがて循環器系に問題を起こしてしまうでしょう。

体重を減らしたり、運動をすることによって、何とかふつうの値に戻す必要があるようですね。
脳梗塞や心筋梗塞にならないために。
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