rikの新句(十九音)独り言。固定概念にはとらわれず、現時点で「生きている証明」をしました。
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ころころと鳴くコオロギも、いなくなりけり。
秋も深まり、いつのまにかベランダで鳴いていたコオロギ(蟋蟀)がいなくなってしまった。ベランダには植木やサボテンなどがあるので、蝉などがよく飛んできた。遠くから、緑が見えるのであろう。
蝉は、ベランダにある緑の草木にとまって、しばらく鳴いている。そして間もなく、どこかへ飛んで行ってしまうことが多い。中には、木の根元で死んでしまうのもいた。
小さい虫やコオロギなども、夏の間はよく来る。しかし、冬に近づいて寒さが増してくると、いつの間にかいなくなってしまう。死んでしまうのかもしれない。今年も、そうであった。
秋も深まり、いつのまにかベランダで鳴いていたコオロギ(蟋蟀)がいなくなってしまった。ベランダには植木やサボテンなどがあるので、蝉などがよく飛んできた。遠くから、緑が見えるのであろう。
蝉は、ベランダにある緑の草木にとまって、しばらく鳴いている。そして間もなく、どこかへ飛んで行ってしまうことが多い。中には、木の根元で死んでしまうのもいた。
小さい虫やコオロギなども、夏の間はよく来る。しかし、冬に近づいて寒さが増してくると、いつの間にかいなくなってしまう。死んでしまうのかもしれない。今年も、そうであった。
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時間とは概念であり、存在しない。
「時空」という。「時間」と「空間」である。しかし、空間はともかく、時間はどうであろうか。実際に、運動がなければ時間の存在は意味がないのではないか。
われわれは、「ニュートン時間」や「ベルグソン時間」を意識する。そして、ニュートン時間が一種の約束ごとであることに気付く。すべての社会で、物事を時間に関して表示することによって、整理ができるためである。
とどのつまり、時間は人間の脳が考え出した一つの概念ではないだろうか。実際には、異なっている部分を一連の変化から切り出して、定義をすることによって個別化をする。そのようにすることによって、すべてのことが時間の制約によって、個別に定義されるのである。
「時空」という。「時間」と「空間」である。しかし、空間はともかく、時間はどうであろうか。実際に、運動がなければ時間の存在は意味がないのではないか。
われわれは、「ニュートン時間」や「ベルグソン時間」を意識する。そして、ニュートン時間が一種の約束ごとであることに気付く。すべての社会で、物事を時間に関して表示することによって、整理ができるためである。
とどのつまり、時間は人間の脳が考え出した一つの概念ではないだろうか。実際には、異なっている部分を一連の変化から切り出して、定義をすることによって個別化をする。そのようにすることによって、すべてのことが時間の制約によって、個別に定義されるのである。
最近は、鈍い動作とトロンとした目。
施設に入った知人を見舞いに行く。一年前は、頭脳もしっかりしていて、ただ立ち居振る舞いに不自由をしていた友が、ここのところ急速に変わってきた。
動作が鈍くなったことと、生彩がなくなってしまったことに気付く。おそらく加齢によって、何事も面倒になるのであろう。そして、表情まで無関心になってしまった。目がトロンとして、何事にも以前のようには、あまり興味を示さない。
何となく薬の作用ではないかと思うが、はっきりはしないのだ。鈍い動作とトロンとした目は、高齢にありがちな症状なので、仕方のないことかもしれない。つまり、見舞いに行くたびに、その人の人格が少しずつ失われて、認知症が進んでいくような気がするのである。
施設に入った知人を見舞いに行く。一年前は、頭脳もしっかりしていて、ただ立ち居振る舞いに不自由をしていた友が、ここのところ急速に変わってきた。
動作が鈍くなったことと、生彩がなくなってしまったことに気付く。おそらく加齢によって、何事も面倒になるのであろう。そして、表情まで無関心になってしまった。目がトロンとして、何事にも以前のようには、あまり興味を示さない。
何となく薬の作用ではないかと思うが、はっきりはしないのだ。鈍い動作とトロンとした目は、高齢にありがちな症状なので、仕方のないことかもしれない。つまり、見舞いに行くたびに、その人の人格が少しずつ失われて、認知症が進んでいくような気がするのである。
用済みの電池と同じ、役に立たない。
使用済みの電池は、もはや役には立たない。見かけは新品と同様でも、まったくダメである。速やかに捨ててしまわないと、新品と間違えてセットをしたりしてしまう。
人間の場合も、同じようなことが言えるのではないか。老人は図体が大きく、立派に見えても、すでに体力や根気力がない。摩耗してしまった機械や消耗した電池と似たようなものであろう。
最近になって、つくづくと自分自身を考えてしまう。かつてのような根気力や体力が、すでにないのである。見かけは一人前であるが、作業自体はまったくダメ。すぐに疲れてしまって、続かない。もっと悪いのは、なかなか作業が始まらないことである。
使用済みの電池は、もはや役には立たない。見かけは新品と同様でも、まったくダメである。速やかに捨ててしまわないと、新品と間違えてセットをしたりしてしまう。
人間の場合も、同じようなことが言えるのではないか。老人は図体が大きく、立派に見えても、すでに体力や根気力がない。摩耗してしまった機械や消耗した電池と似たようなものであろう。
最近になって、つくづくと自分自身を考えてしまう。かつてのような根気力や体力が、すでにないのである。見かけは一人前であるが、作業自体はまったくダメ。すぐに疲れてしまって、続かない。もっと悪いのは、なかなか作業が始まらないことである。
濾過をして冷やした水に、酢を入れて飲む。
糖尿病の末期になって、やたらと喉が渇いて水が飲みたい。そこで、ハーレーで濾過をした水をフランス製のガラス容器に入れて、冷蔵庫で冷やしておく。そして、飲むときに少量の酢を加える。
そのようにすると、味が付いて飲みやすい。炭酸飲料やビールなどと比べると味が薄いが、それでも何となくおいしい。
酢は身体によいという。私は、富士酢というメーカーが古来からの製法で作っているものを飲んでいる。酢と酒は、兄弟みたいなものなので、何となく満足をするのである。
糖尿病の末期になって、やたらと喉が渇いて水が飲みたい。そこで、ハーレーで濾過をした水をフランス製のガラス容器に入れて、冷蔵庫で冷やしておく。そして、飲むときに少量の酢を加える。
そのようにすると、味が付いて飲みやすい。炭酸飲料やビールなどと比べると味が薄いが、それでも何となくおいしい。
酢は身体によいという。私は、富士酢というメーカーが古来からの製法で作っているものを飲んでいる。酢と酒は、兄弟みたいなものなので、何となく満足をするのである。
いくらでも水が飲みたくなるのはなぜか?
前にも言ったが、最近になって、とても水が飲みたくなる。もしかしたら、糖尿病の末期状態かもしれない。ハーレーで浄化をした冷たい水、瓶ビールなどをはじめとして、炭酸飲料のペットボトルなど何でもよい。
とにかく、喉を潤(うるお)してくれるものが欲しくなる。さもないと、口腔が乾いてしまい、言葉を発するのにも不自由になってしまう。
いきおい水分を多く飲むため、不便なことも生じる。つまり、オシッコが近くなることである。おそらく、体内の水分が多くなるためであろう。そして、血圧もかなり上がっているのかもしれない。いきおい、遠くへ行くのが億劫になってしまった。
前にも言ったが、最近になって、とても水が飲みたくなる。もしかしたら、糖尿病の末期状態かもしれない。ハーレーで浄化をした冷たい水、瓶ビールなどをはじめとして、炭酸飲料のペットボトルなど何でもよい。
とにかく、喉を潤(うるお)してくれるものが欲しくなる。さもないと、口腔が乾いてしまい、言葉を発するのにも不自由になってしまう。
いきおい水分を多く飲むため、不便なことも生じる。つまり、オシッコが近くなることである。おそらく、体内の水分が多くなるためであろう。そして、血圧もかなり上がっているのかもしれない。いきおい、遠くへ行くのが億劫になってしまった。
包み込む思想があって、こころ安らぐ。
これでは何のことかわからない。包み込むとは、ある対象の部分集合のことである。例えば、『論語』の中に自分が納得をする文章があるとする。むろん全体ではない。一部分でよいのである。
そのように全体を「A」とすると、自分自身の考えが「B」であって、「A」の中にあるということ。また、「B」の中に含まれない部分が「A」にあってもいっこうにかまわない。
包含関係がかなり複雑であっても、直感的に「包み込む思想」があれば、その全体「A」についても、納得できるというわけである。
これでは何のことかわからない。包み込むとは、ある対象の部分集合のことである。例えば、『論語』の中に自分が納得をする文章があるとする。むろん全体ではない。一部分でよいのである。
そのように全体を「A」とすると、自分自身の考えが「B」であって、「A」の中にあるということ。また、「B」の中に含まれない部分が「A」にあってもいっこうにかまわない。
包含関係がかなり複雑であっても、直感的に「包み込む思想」があれば、その全体「A」についても、納得できるというわけである。