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rikの新句(十九音)独り言。固定概念にはとらわれず、現時点で「生きている証明」をしました。
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ひっそりと生きる楽しみ、老いたるゆえに。


いつの間にか、私も老いてしまった。老いたからって、とくに変わったわけではないが、何となく疲れやすくなったことは事実。

そんなわけで、ひっそりと生きているのが、自分に合っているということがわかった。つまり、多くのことをしたり、たくさんの友達と付き合ったりできない。そんなわけで、現在のホームページやFacebookページの程度が、自分にはちょうどよい。

『黒い革袋』にもあるように正直のところ、私は「金持ち」にも「有名」にもなりたくない。それは、決して諦めたのではなく、また「負け惜しみ」や「サワーグレープス」でないことも事実。あまり目立たないことが、よいことだと思う。


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このページ、誰も来ずして自分でいいね!


Facebookページに作った日本健康会である。当初、健康に関するフォーラムなので多くの人が集まると考えた。なぜならば、健康は誰にとっても重要な問題だからである。そして、医学書や家庭用のハンドブックなどが氾濫をしている。

しかし、一方では病人が増えるばかりだ。どの病院も、満員のところが多い。また、救急車もひっきりなしに走っている。

そんなときに個人差を考えて、互いに意見を言えるフォーラムを作った。一律の処方では、病気は治らないと考えたからです。と、まぁ、そんな次第だったのですが、なぜかフォーラムに人が集まらない。仕方ないので自分でそこに書いて、自分で読む。そして「いいね!」を付けるのである。
ラップリン、何と一遍、薬に用いた。


一遍上人は、時宗の開祖。鎌倉時代(1239年)に伊予国(愛媛県)道後で生まれた。当時は、平治の乱・源平の合戦・承久の乱が続き、さらに天変地異・飢饉など、まさにこの世の末で、死が巷にあふれていた時代。

そんな時代に、それまでは皇族や貴族などを中心に広まった仏教を、民衆の救済に生かそうとした法然・栄西・道元・親鸞・日蓮・一遍と鎌倉新仏教の開祖が現れた。そして、一遍は<六道輪廻の間には、ともなふ人もなかりけり、独り生まれて、独り死す、生死の道こそかなしけれ>と言った。

「捨ててこそ」が特徴。<念仏の行者は知恵をも愚痴をも捨て、善悪の境界をも捨、貴賤高下の道理も捨、地獄をおそるる心をも捨、極楽を願う心をも捨、又諸宗の悟をも捨、一切の事を捨、念仏こそ弥陀超世の本願に尤かなひ候へ、……> その一遍が竹筒に入れて配布し、民衆が競って求めた「よろず病の薬」とは。
お互いに、自分のものを発表しよう!


ホームページやブログなど、さらにYouTubeやFacebook・Facebookページなどは、素晴らしいメディアである。私は、そのような場を有効に活用したい。

そこからは、多くの情報が入手できる。一方的に、受け入れることができる。そこには名作や名画、そして名曲が数え切れないほどあるからである。しかし、私は下手でもよいから、なるべく自分の作品を用いようと思う。

つまり、私はそのような場を自分自身の知的空間と考える。そのような最に、適した媒体であることがわかった。知的空間を広げることはインプットばかりではなく、アウトプットをすることのほうが大切である。

「生きている証明」とする私の新句。


この五七七の短詩形を「新句(十九音)」という。私が好んで用いる短詩形。短歌では長すぎるし、俳句では短い。そこで「五・七・七」の計十九音とした。つまり、全部をひらがなで書けば、十九文字になる。

新句(十九音)の作品は、あまりない。したがって、それが比較をされる相手がないので、甲乙がつけられない。種田山頭火や尾崎放哉の作品はある。種田山頭火(1882~1940)は、遍歴しながら自由律による句を作った。いっぽう尾崎放哉(1885~1926)も、波乱に富んだ生活の中で、独自の自由律の句境を確立した。

しかし、私は彼らの自由律よりも「新句(十九音)」形式のほうが作りやすい。そこで、それを自分が「生きている証明」として作り続けている。
お気に入り、次々と見て学習をする。


ホームページやこのブログにも、右上に☆がある。そこをクリックすると、自分でお気に入りにセットした記事を見ることができる。また、YouTubeなども、お気に入りの指定ができる。

お気に入りという言葉は、最初のころは馴染まなかったが、ヴィヴァルディの曲にも「お気に入り」というのがあったりして、次第に慣れてきた。

すると、いったん仮に「お気に入り」にしておいて、後でゆっくりと見て学習することを覚えた。むろん、その「お気に入り」の他にもウエブ検索の結果なども参考にして、自分自身の考えをまとめていけるのでありがたい。
次々と数年続く、お別れがあり。


ここ数年来、親しい友達が次々と死んだ。若いころには、あまりなかったことだが、古稀の前後から、めっっきり多くなった。毎年のように、数人があの世に行ってしまう。

そんなわけで、自分自身のことも何となく自信がなくなってきた。かつては、健康に注意をしていたので、自分は大丈夫だろうなどと考えていた。それが、どうやら万全ではないことが、つくづく思い知らされたのである。

そんなわけで、ほつぼつ「いつ死んでもよいような覚悟」と「身の回りの整理が大切」だとわかってきた次第。財産などは皆無なので、問題はない。しかし、しかかった仕事のすべてが、中途半端になってしまうのは残念である。何とかできないものであろうか。
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