rikの新句(十九音)独り言。固定概念にはとらわれず、現時点で「生きている証明」をしました。
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撤退は格好悪く、転進とする。
撤退という言葉は、何となく消極的なイメージである。旧陸軍ではないが、私も転進という言葉を使ってみよう。つまり、撤退という言葉は何となく格好が悪いけれど、転進ならば同じことでも何とか我慢ができるらしい。
そこで、私も転進をすることにした。何をかというとパソコン関係の仕事である。つまり、大きく広がりすぎた自分のシステムを整理するのである。
そのためには、
(1) ドメインをやめる。
(2) ホームページ・ブログを減らす。
(3) サークルとグループの数を減らす。
などを少しずつ進めていこうと考えている。
撤退という言葉は、何となく消極的なイメージである。旧陸軍ではないが、私も転進という言葉を使ってみよう。つまり、撤退という言葉は何となく格好が悪いけれど、転進ならば同じことでも何とか我慢ができるらしい。
そこで、私も転進をすることにした。何をかというとパソコン関係の仕事である。つまり、大きく広がりすぎた自分のシステムを整理するのである。
そのためには、
(1) ドメインをやめる。
(2) ホームページ・ブログを減らす。
(3) サークルとグループの数を減らす。
などを少しずつ進めていこうと考えている。
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一つずつ失いてゆく、人生空し。
一つずつ確実に失っていくようだ。それは、物質的なことではなく精神的なことである。例えば、健康。若いころは丈夫だったが、老いてくると病気がちになってくる。また、慢性化してなかなか治らない。
そんなことを考えると、自分の人生は空しいことばかり残っている。
聖書に「ベン=シラの知恵」というのがある。そこには、
<人の寿命は、せいぜい百歳。
……
病を得る前に、養生せよ。
肉体の健康にまさる富はなく、……>
というようなことが記されていた。
一つずつ確実に失っていくようだ。それは、物質的なことではなく精神的なことである。例えば、健康。若いころは丈夫だったが、老いてくると病気がちになってくる。また、慢性化してなかなか治らない。
そんなことを考えると、自分の人生は空しいことばかり残っている。
聖書に「ベン=シラの知恵」というのがある。そこには、
<人の寿命は、せいぜい百歳。
……
病を得る前に、養生せよ。
肉体の健康にまさる富はなく、……>
というようなことが記されていた。
人生は恥の連続、いたたまれなし。
何となく恥をかきながら、生きていると言ってよい。自分が愚かであったために、そうなるのかもしれない。何とかしなければならないと思いつつ、いつの間にか老いてしまったのである。
横井也有の言うように、いったん老いてしまうと、若い人たちの中に入っていくことが難しい。そんなことが、『嘆老辞』に書かれている。また、兼好はその引用もしている。
『徒然草』第七段に、
<命長ければ辱(はじ)多し。長くとも四十(よそぢ)に足らぬほどにて死なんこそ、目安かるべけれ。>
とある。現在は寿命が延びたので、古稀(七十歳)くらいを考えたらよいのだろうか。
何となく恥をかきながら、生きていると言ってよい。自分が愚かであったために、そうなるのかもしれない。何とかしなければならないと思いつつ、いつの間にか老いてしまったのである。
横井也有の言うように、いったん老いてしまうと、若い人たちの中に入っていくことが難しい。そんなことが、『嘆老辞』に書かれている。また、兼好はその引用もしている。
『徒然草』第七段に、
<命長ければ辱(はじ)多し。長くとも四十(よそぢ)に足らぬほどにて死なんこそ、目安かるべけれ。>
とある。現在は寿命が延びたので、古稀(七十歳)くらいを考えたらよいのだろうか。
誰か呼ぶ「君を待ってる」、どういう意味か?
重度の糖尿が出ちゃったので、うつらうつらすることがある。とくに、昼のご飯を食べた後である。そんなときに、大きな声で「君を待っているよ!」と呼ばれたような気がした。誰からかもわからない。もしかしたら、神経のせいかもしれないが、その声は神の啓示のようなオゴソカな響きでもあった。
まさか、神の啓示はないだろうが、何をどう呼んでいるかは、一切言われないので自分自身で考えてみた。白昼夢であるかもしれない。しかし、そのようなことが生じるほど日々真剣には生きていない。
結局は、もしかしたら「もうじき死ぬ」のかもしれない。そして、地獄の死者が「君を待っているよ!」と言ったのではないかと考えるようになった。おそらく、それが妥当な見解ではないかと思う。
重度の糖尿が出ちゃったので、うつらうつらすることがある。とくに、昼のご飯を食べた後である。そんなときに、大きな声で「君を待っているよ!」と呼ばれたような気がした。誰からかもわからない。もしかしたら、神経のせいかもしれないが、その声は神の啓示のようなオゴソカな響きでもあった。
まさか、神の啓示はないだろうが、何をどう呼んでいるかは、一切言われないので自分自身で考えてみた。白昼夢であるかもしれない。しかし、そのようなことが生じるほど日々真剣には生きていない。
結局は、もしかしたら「もうじき死ぬ」のかもしれない。そして、地獄の死者が「君を待っているよ!」と言ったのではないかと考えるようになった。おそらく、それが妥当な見解ではないかと思う。
目が悪くなってから、日々プログを見ない。
ここのところ、がっくりと目が悪くなってしまった。白内障とか緑内障ではないようだが、とにかく目が疲れる。また、飛蚊症どころではなく目キラキラになることがある。まるで、滝の内側にいるような状態になってしまう。むろん、作業はできない。
そんなわけで、目を大事にするようになった。とくに目に負担をかけないことが大切である。小さい文字を長く読むとアウト。だから、ぎっしりと小さい文字が詰まった長文のブログなどは見ないようにしている。どうしても必要ならば、文字を大きくして見る。
そんなために、いきおい自分自身の閉じた世界にいるようになる。横井也有の『嘆老辞』にある孤独感を感じるように私もなってしまった。やはり、加齢による問題なのかもしれない。
ここのところ、がっくりと目が悪くなってしまった。白内障とか緑内障ではないようだが、とにかく目が疲れる。また、飛蚊症どころではなく目キラキラになることがある。まるで、滝の内側にいるような状態になってしまう。むろん、作業はできない。
そんなわけで、目を大事にするようになった。とくに目に負担をかけないことが大切である。小さい文字を長く読むとアウト。だから、ぎっしりと小さい文字が詰まった長文のブログなどは見ないようにしている。どうしても必要ならば、文字を大きくして見る。
そんなために、いきおい自分自身の閉じた世界にいるようになる。横井也有の『嘆老辞』にある孤独感を感じるように私もなってしまった。やはり、加齢による問題なのかもしれない。
だらだらとする悪い癖、治していこう。
私には、いつまでもだらだらとする悪い癖がある。読書やパソコンなどの場合である。さっとやめればいいのであるが、いつまでもキリなく続けている。そんなために、最後のほうの作業は、何となく効率が悪い。
でも、最後のほうで今までにわからなかったことが、ひらめいてわかることもある。同じことの繰り返しの中から、思わず本質が見えるのである。
いずれにしても、反復は意味がないようではあるが、その中から何かを悟ることもある。そして、そこに真理が含まれていることも多い。わかりきったことでも、あまり知られていないこともある。ふだんの作業では、見逃されているからであろう。そんなことも、だらだらの最後のほうで、わかることもある。
私には、いつまでもだらだらとする悪い癖がある。読書やパソコンなどの場合である。さっとやめればいいのであるが、いつまでもキリなく続けている。そんなために、最後のほうの作業は、何となく効率が悪い。
でも、最後のほうで今までにわからなかったことが、ひらめいてわかることもある。同じことの繰り返しの中から、思わず本質が見えるのである。
いずれにしても、反復は意味がないようではあるが、その中から何かを悟ることもある。そして、そこに真理が含まれていることも多い。わかりきったことでも、あまり知られていないこともある。ふだんの作業では、見逃されているからであろう。そんなことも、だらだらの最後のほうで、わかることもある。
「どっこいしょ」、「めんどくさい」と「疲れた」はダメ。
何かをするときに「どっこいしょ」と言う人がいる。老いてくると、単に立ち上がるときにも「どっこいしょ」が出てくる。「どっこいしょ」とまではいかなくて、「よいしょ」と言う人もいる。
さらに、何かをしようとするときに、「めんどくさい」と考えたり、言ったりする。これも、何となく老化現象のようである。精力的にやる気を失ってしまったのかもしれない。
「疲れた」もダメである。「疲れた」「疲れた」と連発をする人がいる。慢性疲労や疲憊(ひばい=疲労困憊)の状態になっているのかもしれない。いずれにしても、老いの始まりであって、困った状態である。
何かをするときに「どっこいしょ」と言う人がいる。老いてくると、単に立ち上がるときにも「どっこいしょ」が出てくる。「どっこいしょ」とまではいかなくて、「よいしょ」と言う人もいる。
さらに、何かをしようとするときに、「めんどくさい」と考えたり、言ったりする。これも、何となく老化現象のようである。精力的にやる気を失ってしまったのかもしれない。
「疲れた」もダメである。「疲れた」「疲れた」と連発をする人がいる。慢性疲労や疲憊(ひばい=疲労困憊)の状態になっているのかもしれない。いずれにしても、老いの始まりであって、困った状態である。