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rikの新句(十九音)独り言。固定概念にはとらわれず、現時点で「生きている証明」をしました。
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なすべくもなきときにこそ、五七七する。


老いてくると、自分のほかに興味を示さなくなってしまう人が多い。
中には、自分自身のことでさえ、お構いなしになっちゃう。私の知っている人で、なかなか下着を替えない人がいた。

何となく臭い(くさい)臭い(におい)がする。
だから、無沙汰をするようになって、とうとう会わなくなってしまった。喧嘩をしたわけではないが、……

でも、古くから聖人で汚い人もいたという。
しかし聖人のことを書くのは、ちょっと差し障りがあるかもしれない。

例えば、私の尊敬する桃水(とうすい)やその弟子のじん洲(じんの字は忘れた)たちは、おそらく臭気芬々(しゅうきふんぷん)として、鼻をつくような悪臭がしていただろう。

私は、彼らを文献で読むだけだから、その挿絵(さしえ)を見ても大丈夫。だから、最初のころから変わらずに尊敬をしている。
桃水がキリシタンの疑いをかけられないようにと、阿弥陀如来の大津絵をくれた人がいた。彼は、その絵の上に

 <せまけれど宿を貸すぞや阿弥陀さま、後生(ごしょう)たのむと思し召す(おぼしめす)なよ>

と消し炭で書いたという。

五七七では、書こうと思ったことが、途中で脱線してもよろしい。

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