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rikの新句(十九音)独り言。固定概念にはとらわれず、現時点で「生きている証明」をしました。
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三木さんのHP拝見、考えてみた。


どうも、ホームページのあり方について自信をなくした。
自分のものを見て冷静に判断をしたり、考えたりするのは、何ともいたたまれない。そこで、先輩である三木さんのHPを見て、客観的に判断をしよう。

自分が、誰も訪問してくれないHPを続けているのは、何のためか?
当初は情熱をもって作成したが、やがてマンネリになっちゃって、諦めと自己満足の域を出ないのはなぜか?
私は、日記をつけるような感じで「健康」に関して、日々社会に警告を与えようとした。大げさに言えば、立正大師の「立正安国論」のように。以前から、私も「この国が健康に関して危機にある」と考えていたからである。

しかし、やがてわかった。
まだ「寝耳に水」ならよいが、むしろ「馬耳東風」なのである。

結局は、何となく宗の蘇軾(そしょく)が書き残した

<字を識(し)るは、憂患の始め>

になっちゃうことを発見して、我ながら愕然とした。
人生において、文字を知って覚えることは、心配をしたり心を痛めることの始まりなんです。学問をして文字を知ると、いろいろな情報が自分自身に入って、それから悩みが生じます。
むしろ、何も知らないほうが気楽でよいのかもしれません。

先輩のHPを見て思ったことだから、自分自身のもっとおそまつなHPであれば、なおさらいっそうのこと。

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