rikの新句(十九音)独り言。固定概念にはとらわれず、現時点で「生きている証明」をしました。
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人生は「待ちくたびれ」て、いつしか終わる。
いよいよ私も人生の終盤戦。救世主の現れるのを待ち続けていた民族があるが、私は別に救世主を待っているのではない。それでは、何を待ち続けて待ちくたびれたのか。
それは、一言では言えない。
しかし、無理やりに言ってしまえば、何と言おうか「心の安らぎ」とでも考えたらよいのだろう。何回も参考資料として引き合いに出すので恐縮ではあるが、「私の福音書」(自己福音書)にある「黒い皮袋」である。
そもそも、福音書とは「幸福の音信(いんしん)」の略で、新約聖書冒頭の四福音書や共観福音書のようなスタイルではないと思う。むしろ、パウロの手紙のような書式である。それが、度重なる修正・加筆のために伝記のようなスタイルになってしまったのであろう。……
今年は、パウロの生誕2000年である。
いよいよ私も人生の終盤戦。救世主の現れるのを待ち続けていた民族があるが、私は別に救世主を待っているのではない。それでは、何を待ち続けて待ちくたびれたのか。
それは、一言では言えない。
しかし、無理やりに言ってしまえば、何と言おうか「心の安らぎ」とでも考えたらよいのだろう。何回も参考資料として引き合いに出すので恐縮ではあるが、「私の福音書」(自己福音書)にある「黒い皮袋」である。
そもそも、福音書とは「幸福の音信(いんしん)」の略で、新約聖書冒頭の四福音書や共観福音書のようなスタイルではないと思う。むしろ、パウロの手紙のような書式である。それが、度重なる修正・加筆のために伝記のようなスタイルになってしまったのであろう。……
今年は、パウロの生誕2000年である。
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