rikの新句(十九音)独り言。固定概念にはとらわれず、現時点で「生きている証明」をしました。
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面倒になってしまった! 記事の書き込み。
新たな記事を書く。あるいは、前に書いた記事を修正する。つまり、日々更新をしていく。しかし、そんなことがいつしか面倒になってしまった。なぜならば、いつまでたっても自分自身の考え方が確立していないということが、つくづく身にしみてわかったからである。
「字を識(し)るは、憂患の始め」と、宗時代の蘇軾(そしょく)が言ったという。まったく、そのとおりだと思う。字ばかりか、知識を次から次へと求めていくと煩わしくてキリがない。
とどのつまり、未完成の自分がいくらがんばって文章を作っても、その文章は未完成ということになろう。不完全のそしりを免れない。『荘子』にあるように、有限の身で無限を求めるのは、いわゆる「しこめ(醜女)のお化粧」のようなものであろう。自分で気付かないうちが花。
新たな記事を書く。あるいは、前に書いた記事を修正する。つまり、日々更新をしていく。しかし、そんなことがいつしか面倒になってしまった。なぜならば、いつまでたっても自分自身の考え方が確立していないということが、つくづく身にしみてわかったからである。
「字を識(し)るは、憂患の始め」と、宗時代の蘇軾(そしょく)が言ったという。まったく、そのとおりだと思う。字ばかりか、知識を次から次へと求めていくと煩わしくてキリがない。
とどのつまり、未完成の自分がいくらがんばって文章を作っても、その文章は未完成ということになろう。不完全のそしりを免れない。『荘子』にあるように、有限の身で無限を求めるのは、いわゆる「しこめ(醜女)のお化粧」のようなものであろう。自分で気付かないうちが花。
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