rikの新句(十九音)独り言。固定概念にはとらわれず、現時点で「生きている証明」をしました。
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することがない無学には、ほど遠い我。
すべてのことがわかっている人を「無学」という。そんな状態になるために、日々勉強をするのである。学ぶことがなくなってしまうということ自体、人生の完成かもしれない。
しかし、一方では「無学」になるためには大変な努力をしなければならない。いろいろ考えてみると、「学ぶこと」があったほうが日々の励みになるだろう。また、それがあるからこそ生きがいがある。
そんな意味で、「無学」の状態などは求めるべきでない。と、私は思う。
今のままで、よいのである。必要に応じてその都度とくに知りたいことや興味のあることを学んでいけばよい。どだい、有限の身で無限の知識を追うのは危ういことであると『荘子』には書いてあったと思う。
すべてのことがわかっている人を「無学」という。そんな状態になるために、日々勉強をするのである。学ぶことがなくなってしまうということ自体、人生の完成かもしれない。
しかし、一方では「無学」になるためには大変な努力をしなければならない。いろいろ考えてみると、「学ぶこと」があったほうが日々の励みになるだろう。また、それがあるからこそ生きがいがある。
そんな意味で、「無学」の状態などは求めるべきでない。と、私は思う。
今のままで、よいのである。必要に応じてその都度とくに知りたいことや興味のあることを学んでいけばよい。どだい、有限の身で無限の知識を追うのは危ういことであると『荘子』には書いてあったと思う。
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