忍者ブログ
rikの新句(十九音)独り言。固定概念にはとらわれず、現時点で「生きている証明」をしました。
ブログ内検索
ご案内


現在、このプログではコメントなどを受け付けていません。
お恥ずかしい個人的な内容が多いからです。それでももしも、ご意見やご質問があればここから願います。


似顔説明

[95]  [96]  [97]  [98]  [99]  [100]  [101]  [102]  [103]  [104]  [105
×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

老いてから、餓鬼のごとくに腹が減りけり。


なぜだろうか。最近になって、腹が減ってしかたがない。若いころならばともかく、すでに古稀を過ぎているから、そんなに働いたり運動をするわけではない。もしかしたら、病気のためかもしれない。

ふつう朝食を抜くが、湯治に行く日である。週に二・三回であるから、隔日のときもある。そんなときは、昼になると何とも腹が空くのである。

ふつう、まず吉野家に行って、ライスカレーとビール。ライスカレーには、まったく肉が入っていない。ビールは、サントリーの天然地下水を用いたモルツ。それで、終わればよいのであるが、まだ腹が減っている。そこで、もう一軒。ルパに寄って、焼きたてパンとアイスコーヒー。あるいは、マクドナルドでビックマックのセット。そのくらいで、何とか腹がいっぱいになって帰宅。お恥ずかしい次第。
PR
コブラーの弾くスカルラッティ、美しくあり。


イレーナ=コブラー(Irena Koblar)は、女性ピアニスト。何年生まれか知らないが、ピアノを弾いている姿は若々しくて美しい。かなり以前の演奏であるかもしれないが、スカルラッティのピアノソナタを弾いてるのを見ていると、ほれぼれとしてしまう。

その容貌よりも、むしろ指の動きが美しいのである。むろん、曲によって違うだろうが「K.1 in Dminor」を聞くと、力強さと繊細さを感じる。

これは、スカルラッティの一番である。ドメニコ=スカルラッティ(Domenico Scarlatti 1685~1757)は、バッハ時代の鍵盤曲に新しい技法を取り入れた作曲家。マリア=マグダレーナ=バルバラ王女のために書いた555曲の練習曲が、そのテーマ性と展開によって後に「ソナタ」と呼ばれる。

くちゃくちゃとガム噛むことで、唾液うながす。


貝原益軒の『養生訓』に、
<痰(たん)は吐き出しなさい。唾液は飲み込みなさい。>
というような記述があった。実際に、唾液は消化のほかにもさまざまな効果をもっているので、そのようにするのがよいでしょう。

よく噛むと、一日に1.5リットルも分泌するらしい。しかし、やわらかい食べ物が普及したので、それほど噛まなくなった。そこで、ガムを噛むことによって、唾液の分泌をうながす。くちゃくちゃと噛んでいると、唾液が出てくる。それを飲み込むのである。

唾液は、口腔内の乾燥を防ぎ、食物の咀嚼(そしゃく)や嚥下(えんげ)を円滑に行う。さらに、消化を若干行い、食物中の味質を溶解して味覚を味わう。そのような機能があるので、糖尿病の場合には一日に2リットルくらい欲しいので、私はガムによって実現をする。
少しずつ身廻りのもの、整理していく。


古稀を過ぎたころから、あまり多くのことができなくなった。すぐに疲れてしまったり、飽きてしまうからである。そんなわけで、将来しようと思って保存しておいたものが、手つかずのまま終わってしまうことがわかってきた。

そこで、身の回りにあるそのような不要なものを少しずつ整理していくことに決めた。今考えると、自分が老け込んでしまうなどと、想像をしていなかった。そんなことはわかりきったことであるが、認識が甘かったのかもしれない。

とにかく、日々の生活を整理して、すっきりとしておく必要がありそうだ。いつ自分がひっくり返ってもよいように、身辺の整理をするのである。私もそんな齢(よわい)に、なってしまったのである。いつの間にか、……。
エスカルゴ好きな友だち、フランス帰り。


エスカルゴをご存知だろうか。蝸牛(かたつむり)である。日本では、あまり食べる習慣はないようであるが、ヨーロッパでは美味の類いに入るらしい。

近くの食堂で、エスカルゴが食べらえる店は少ないようだ。私は、サイぜリアというファミリーレストランで何回か食べたことがある。赤ワインとともに、いただくのであるが、最近になって何となく食べたくないと思うようになった。味もさることながら、あの香りがいやになったのである。

しかし、若いころにフランスで過ごした友だちは、エスカルゴが大好き。とうとう一つも食べられなくなった私の前で、たこ焼きのような鉄鍋から、おいしそうに全部を食べてしまう。さすが、食習慣に慣れた人はすごいと思う。友だちの食べるのを見て、何となく自分がモダンではないような気がしてしまう。

スパイダー・ソリティアできて、こころ和みぬ。


Windowにおまけで付いているゲーム中に入っていたスパイダー・ソリティアである。一日に数回、気分転換や占いとして遊ぶ。実によくできているので、面白い。やってみると、半分ぐらいは上がれる。

私は、籤や賭などは嫌いであるから、本来ならばしない。しかし、気分転換や頭の体操、というか老化予防の一環としてはよいのではないか。

ハノイの塔なども、もともと僧院で修行のためにやったらしい。ゲーム中に、他にも面白そうなのがある。しかし、私は、このソリティアだけしかやらない。それでも、ヒントのときに意味のないカードの動きを教えてくれることがある。そのようなときは、自分自身の判断で進める。たいがい、そういうときは次の手でアウトになってしまっていることが多いが、……。
晴れた日はプチさん(プティ散策)、雨は持ち物整理。


「晴耕雨読」という言葉がある。晴れた日には畑を耕し、雨の日は読書をするというのである。私の場合、晴れた日にはたいがいプチさんをする。そして、雨の日はパソコンをしたり、持ち物の整理をする。つまり、持ち物と言ってもパソコンの中にある原稿もそれなのである。

年金生活者になってからは、とくに日々の仕事がない。原稿などの執筆依頼も、すべて断ってしまった。以前のことを考えると、いくらやってもキリがないからである。

そして、諦めもある。つまり、私が何かを書いても、社会のためにならないのではないかと思うようになったからである。そんな次第もあって、他人のためではなく自分自身のために書くようになった。書くというと大げさで、老化予防のためにメモっておくようなことを日々している。
忍者ブログ [PR]