rikの新句(十九音)独り言。固定概念にはとらわれず、現時点で「生きている証明」をしました。
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「これはこれ」「それはそれ」だと区別が必要。
いろいろなことを興味にまかせてやっていると、だんだん複雑になってきて、終(しま)いには何が何だかわからなくなってくる。そこで、あらかじめ体系を考えた区分を用意しておくことが必要である。
とくに「青空のホームページ」の中なども、今考えてみるとひどいものである。必要に迫られたり、単なる興味にまかせて、次々とページを増やしていった。いきおい中が雑然として、体系や分類がなっていない。
むろん、少しずつ直していこうとは考えている。しかし、やってみると意外にも面倒で、他の多くの箇所にも影響が出てくる。仕方がないので、そのままの形を残して、小さい手直しにならざるをえない。それは何となく「しこめ(醜女)がお化粧をする」ようなものであろうか。そして、そのこと自体があまり意味のないということを知りながら、……。
いろいろなことを興味にまかせてやっていると、だんだん複雑になってきて、終(しま)いには何が何だかわからなくなってくる。そこで、あらかじめ体系を考えた区分を用意しておくことが必要である。
とくに「青空のホームページ」の中なども、今考えてみるとひどいものである。必要に迫られたり、単なる興味にまかせて、次々とページを増やしていった。いきおい中が雑然として、体系や分類がなっていない。
むろん、少しずつ直していこうとは考えている。しかし、やってみると意外にも面倒で、他の多くの箇所にも影響が出てくる。仕方がないので、そのままの形を残して、小さい手直しにならざるをえない。それは何となく「しこめ(醜女)がお化粧をする」ようなものであろうか。そして、そのこと自体があまり意味のないということを知りながら、……。
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極端に言えば、誰とも話したくない。
話をしていると、楽しいという人がいる。実際に、お互いに気心を知った人と話をしていると心が和むことが多い。しかし、私はそうでない。何となく、自分自身が誤解をされて、いやになってしまうからだ。
饒舌な人や、無口の人がいる。言葉を巧みに使った演説や書物に出会うと驚いてしまう。『荘子』なども、そうであろう。とても、自分にはできないことだと思う。言えば言うほど、誤解をされてしまうような気もする。
首相だった犬養毅が殺されるときに「話せば分かる」と言ったそうだ。すると、犯人の青年将校らは「問答無用」と答えて、撃ったという。おそらく問答などをしていたら殺害できないと判断をしたためであろう。考えてみると、もっと早い時期に問答をすべきであったのかもしれない。そんなことが、一人の人間の中でも、起こりえるのではないか。
話をしていると、楽しいという人がいる。実際に、お互いに気心を知った人と話をしていると心が和むことが多い。しかし、私はそうでない。何となく、自分自身が誤解をされて、いやになってしまうからだ。
饒舌な人や、無口の人がいる。言葉を巧みに使った演説や書物に出会うと驚いてしまう。『荘子』なども、そうであろう。とても、自分にはできないことだと思う。言えば言うほど、誤解をされてしまうような気もする。
首相だった犬養毅が殺されるときに「話せば分かる」と言ったそうだ。すると、犯人の青年将校らは「問答無用」と答えて、撃ったという。おそらく問答などをしていたら殺害できないと判断をしたためであろう。考えてみると、もっと早い時期に問答をすべきであったのかもしれない。そんなことが、一人の人間の中でも、起こりえるのではないか。
吸い物の中に、自分の顔が揺れおり。
吸い物を飲もうとして、ふと見ると、自分自身の顔が映っていることがある。味噌汁などでも、光線の具合で写る。何となく不思議なことである。
鏡が像をはっきり写すようになったのは、近代になってからであろう。かつては、表面を仕上げる技術が進んでいなかったために、ぼんやりと写ったようである。したがって、鏡で写した像が明確ではないというように考えられた。
だから、『新約聖書』第二コリント書だったろうか、「鏡に写したように、おぼろげである」というような例えがあった。いずれにしても、吸い物や味噌汁の中で浮かぶ自分の顔は、揺れてもいるから、何となく不気味でもある。
吸い物を飲もうとして、ふと見ると、自分自身の顔が映っていることがある。味噌汁などでも、光線の具合で写る。何となく不思議なことである。
鏡が像をはっきり写すようになったのは、近代になってからであろう。かつては、表面を仕上げる技術が進んでいなかったために、ぼんやりと写ったようである。したがって、鏡で写した像が明確ではないというように考えられた。
だから、『新約聖書』第二コリント書だったろうか、「鏡に写したように、おぼろげである」というような例えがあった。いずれにしても、吸い物や味噌汁の中で浮かぶ自分の顔は、揺れてもいるから、何となく不気味でもある。
文庫本、読めなくなって、もどかしさ増す。
いつごろからだろうか。視力が衰えて文庫本の活字が見にくくなった。以前はカバンの中に、古典などを入れておいて、電車の中や待ち合わせなどでも、ちょっとした暇ができると取り出して読んだものだ。
それがダメになってからは、読みたい本も読めなくなってしまった。また、前に読んだ本の再読も思うようにならない。むろん大型本ならば、何とかなるのであるが、四六時中の携帯にはムリであろう。
文庫本は価格が安いので、書き込みなどが自由にできる。それが手がかりとなって、次々と考えがまとまっていく。次第に理解を深めることが可能である。最近は、再読をして確認することができなくなったので、ついつい自分自身の記憶を怪しんで、その引用を控えてしまう。単に眼鏡を使用すれば、それで解決する問題であろうか。
いつごろからだろうか。視力が衰えて文庫本の活字が見にくくなった。以前はカバンの中に、古典などを入れておいて、電車の中や待ち合わせなどでも、ちょっとした暇ができると取り出して読んだものだ。
それがダメになってからは、読みたい本も読めなくなってしまった。また、前に読んだ本の再読も思うようにならない。むろん大型本ならば、何とかなるのであるが、四六時中の携帯にはムリであろう。
文庫本は価格が安いので、書き込みなどが自由にできる。それが手がかりとなって、次々と考えがまとまっていく。次第に理解を深めることが可能である。最近は、再読をして確認することができなくなったので、ついつい自分自身の記憶を怪しんで、その引用を控えてしまう。単に眼鏡を使用すれば、それで解決する問題であろうか。
仕掛かりのページ見直し、完成したい。
私のホームページには、仕掛かり中のものが多い。途中まで作りかかって、そのままになっている。中には「百舌の速贄」のように、忘れてしまったものもあるだろう。
作業としては、「まとめる」「分ける」「整理する」などが必要だ。「まとめる」は、二つ以上のものを一つにすることである。「分ける」は、大きくなりすぎた一つを二つ以上にすること。「整理する」は、不要なものや重複しているものを取り去ったり、不足しているものを補(おぎな)って付け加えること。
いずれにしても現在の状態は、かなり見っともないものであろう。無知蒙昧を赤裸々に見せて、恥を晒(さら)しているのと変わりがない。もっとも、それが現実であるから仕方ないことではあるけれど、……。
私のホームページには、仕掛かり中のものが多い。途中まで作りかかって、そのままになっている。中には「百舌の速贄」のように、忘れてしまったものもあるだろう。
作業としては、「まとめる」「分ける」「整理する」などが必要だ。「まとめる」は、二つ以上のものを一つにすることである。「分ける」は、大きくなりすぎた一つを二つ以上にすること。「整理する」は、不要なものや重複しているものを取り去ったり、不足しているものを補(おぎな)って付け加えること。
いずれにしても現在の状態は、かなり見っともないものであろう。無知蒙昧を赤裸々に見せて、恥を晒(さら)しているのと変わりがない。もっとも、それが現実であるから仕方ないことではあるけれど、……。
他人(ひと)ごとは無関心なり、自己本位ゆえ。
現代社会において他人(たにん)のことを慮(おもんばか)るほど余裕のある人は少ない。自分の利益をまず考えてから、動く人が多い。つまり、ギスギスした社会のようだ。
自分の利益をベースとすることが当然であるので、価値観もそれに基づいている。そんな社会であるから、ギクシャクしてうまくいかない。ふつう、一方が利益を得れば、他方が損をする。結果的には、騙されたようなケースが生じてしまう。だから、破局をまぬかれないことも多い。
現代社会において、施無畏者のような人もいることはいる。社会に奉仕することを日々の仕事として、それに喜びを感じている。しかし、鉄眼(てつげん)のような人は、めったにいないであろう。
現代社会において他人(たにん)のことを慮(おもんばか)るほど余裕のある人は少ない。自分の利益をまず考えてから、動く人が多い。つまり、ギスギスした社会のようだ。
自分の利益をベースとすることが当然であるので、価値観もそれに基づいている。そんな社会であるから、ギクシャクしてうまくいかない。ふつう、一方が利益を得れば、他方が損をする。結果的には、騙されたようなケースが生じてしまう。だから、破局をまぬかれないことも多い。
現代社会において、施無畏者のような人もいることはいる。社会に奉仕することを日々の仕事として、それに喜びを感じている。しかし、鉄眼(てつげん)のような人は、めったにいないであろう。
何となく危険が多い風の強い日。
風の強い日は、危険が多い。物が飛んだり、看板が落ちたりする。また、目には埃(ちり)や埃(ほこり)が入る。注意をしていても、災害に遭う可能性は大きい。
そこで、なるべく部屋にいるようにする。どうしても、出かけなければならないときは、なるべく建物の中を通って行く。幸い、私の部屋は駅まで傘なしで行ける。つまり、屋根が続いているのである。
したがって、デパートや食堂などは屋根続きで行けるから、あまり被害に遭うことはないでしょう。ただ、屋根があって傘が必要でない場所でも、吹き抜けのような箇所もあるので、注意が必要。駅の改札までは五分ほどで行けて、とても便利。でも、雨の日や風の強い日は、はなるべく出かけないようにしている。
風の強い日は、危険が多い。物が飛んだり、看板が落ちたりする。また、目には埃(ちり)や埃(ほこり)が入る。注意をしていても、災害に遭う可能性は大きい。
そこで、なるべく部屋にいるようにする。どうしても、出かけなければならないときは、なるべく建物の中を通って行く。幸い、私の部屋は駅まで傘なしで行ける。つまり、屋根が続いているのである。
したがって、デパートや食堂などは屋根続きで行けるから、あまり被害に遭うことはないでしょう。ただ、屋根があって傘が必要でない場所でも、吹き抜けのような箇所もあるので、注意が必要。駅の改札までは五分ほどで行けて、とても便利。でも、雨の日や風の強い日は、はなるべく出かけないようにしている。