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rikの新句(十九音)独り言。固定概念にはとらわれず、現時点で「生きている証明」をしました。
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できるなら人とかかわり、もちたくもなし。


煩わしいことが嫌いな私は、できることなら人とかかわってトラブルなどになることを避けたい。

『徒然草』第七十五段に、次のようなくだりがあった。
「つれづれわぶる人は、いかなる心ならむ。紛るゝ方なく、唯一人あるのみこそよけれ。世に從へば、心外(ほか)の塵にうばはれて惑ひ易く、人に交はれば、言葉よそのききに隨ひて、さながら心にあらず。人に戲れ、物に爭ひ、一度は恨み、一度は喜ぶ。そのこと定れることなし。分別妄(みだ)りに起りて、得失やむ時なし。惑(まど)ひの上に醉へり、醉(よい)の中に夢をなす。走りていそがはしく、ほれて忘れたること、人皆かくのごとし。いまだ誠の道を知らずとも、縁を離れて身を閑(しづか)にし、事に與(あづか)らずして心を安くせんこそ、暫く樂しぶともいひつべけれ。」

まったく、その通りだと私も思う。
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息まずに、ぬるりと出るを待つ心がけ。


尾篭(びろう)な話で恐縮ですが、ウンコをするときのことである。あまり、うんうんと息むのはダメ。なぜならば、息むと血圧が上がって、そのままトイレで倒れてしまうことがあるから。

出そうで、出ないことがある。とくに外出の前などでは、困ったことだ。電車やバスの中で、トイレに行きたくなる可能性が大きいから心配である。そこで、なるべくならば家で全部を出してから出かけたい。

あまり力(りき)んでも逆効果。出ないときは、何か他のことを考えたり、行うのがよいらしい。トイレで、本などを読むのもよいでしょう。また、何か歌ってみたり、朗読をするのもよいようだ。それでも出ないときは諦めて、後ですることを考えればよい。朝一番にするなど、生理的に排便の時間をあらかじめ決めておくと、何となく出やすいのかもしれない。
「今日どこに行くか」を決めるときは楽しい。


晴れた日は、たいがいプチさん(プティ散策)をする。各駅周辺の小さい散歩だが、駅を経巡(へめぐ)ることで毎回フレッシュな気持ちになれる。まったく行ったことのない場所もあるが、そんなところでも何となく懐かしく感じる。

行く前には、行くところを決める。それが、また楽しい。その日の天候などを考えるとともに、自分自身のコンディッションも考慮する。つまり、体調のよい悪いによっても行き先が変わる。

道を歩いているときはまず問題ないが、ふつう敷地や建物の中に入れない。公共施設や寺などは大丈夫だが、それでも注意をする必要がある。寺院の場合は「参拝をさせてください」とことわったほうがよい。とにかく、どの方面へ行くかスケジュールを決めるときは、楽しい時間である。
雨の日はバスを乗り継ぎプチさんをする。(二)


以前にも同じ作品があったことを覚えている場合には、かっこの中に数字を入れて区別をする。また、記述が継続するような場合も、かっこを利用するとよいでしょう。

それはともかく、雨が降ると行動範囲が狭くなる。肺炎になることを恐れて、濡れないようにするからです。いきおい、歩かずにバスを利用したプチさん(プティ散策)を買い物にすることもあってよい。

例えば、酒の種類が多くあって、価格が安い店へ買い物に行くことにしよう。傘は不要だ。まず、聖蹟桜ヶ丘駅のバスターミナル。そして、多摩センター駅へ。四路線あるので、便利。聖蹟桜ヶ丘も多摩センターもバスターミナルには屋根がある。その続いているスーパーに入って買い物。そして、戻ってくる。雨に濡れないですむから、風邪も引きにくくありがたいことである。
雨の日はバスを乗り継ぎプチさんをする。(一)


雨の日は、あまり戸外を歩くことができない。風邪を引いたり、ことによってはインフルエンザにかかってしまうからだ。そこで考えたのが、バスに乗って窓から景色を見たり、未経験の路線を確認したりすること。

いきおい始点から終点までの乗車が多い。バス側から見たら、シルバーパス利用者はあまり歓迎される客でないかもしれない。たいがい私は、最後部の左窓側の椅子に座る。運転手からいちばん離れたところである。

終点では、その付近をうろうろする。そして、一台後のバスで戻るか、次の行き先に向かう。そんなことをして、いったい何になるかと問う人が多い。私は仕方なく、アレキサンダー大王やナポレオンの遠征が何になったのかと聞き返す。相手はたいがい呆れて、以後は何も言わなくなるようだ。
プチさんを見直してみる、記憶とともに。


プチさん(プティ散策)を始めてから、すでに五年になる。最初のころは、行き当たりばったりで、写真も思いついたままに撮って貼り付けた。公衆の設備、神社・仏閣など、行ったところは写したつもりである。

しかし、後になってみると、何となくバラバラな感じがする。むろん、思い出や印象など、いまだに残っている場合もある。また、そこを探し当てるまでの苦労や最初に見たときの感動なども、鮮やかな記憶であることが多い。

前に回ったところの写真や記事を見るのは、何とも楽しいものだ。私は最近になって、右足を痛めたのでムリができない。そこで、すでに回ったところの修正や追加をしていこうと考えている。かつて見た風景や建物に再会をするのも、何となく楽しみである。
何となく疲れた感じ、老いがなせるか?


若いころ、私は少しぐらいのことでは疲れなかった。それが、最近になって、ちょっと何かをするとすぐに疲れてしまう。たった一時間くらい、歩いただけである。もしかしたら、太田事件の関係かもしれない。

精力絶倫という言葉がある。そんなにすごくなくてもいいから、少々ねばりがなくてはいけない。それが、すぐに飽きちゃったり、面倒になるのである。その結果、疲れが出てきてしまう。

そもそも、「疲れ」とは何であろうか。五十年くらい前に学んだ衛生管理者のテキストには、「疲労素が、体内に蓄積をした状態」と書いてあった。つまり、身体の新陳代謝機能が衰えてしまって、リカバリーができない状態なのではないか。それは「老い」に現われる現象であり、何となくすぐ放電してしまう古くなったバッテリーのことを考えてしまう。いかがなものだろうか。
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