忍者ブログ
rikの新句(十九音)独り言。固定概念にはとらわれず、現時点で「生きている証明」をしました。
ブログ内検索
ご案内


現在、このプログではコメントなどを受け付けていません。
お恥ずかしい個人的な内容が多いからです。それでももしも、ご意見やご質問があればここから願います。


似顔説明

[106]  [107]  [108]  [109]  [110]  [111]  [112]  [113]  [114]  [115]  [116
×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

何故か「病の器」? 古希過ぎてから。


自分自身では、もともと健康なほうであったつもり。それが、還暦を過ぎ、さらに古希を迎えたころから、次々と病気になる。そして、なかなか治らない。初めての軽い病気もあるが、過去にお馴染みのものもある。

とくに、高血圧や糖尿病には困ったものだ。いままでに、何回か経験をしたがその都度、何とか治してしまった。それが、今回は手強(てごわ)い。高血圧は何とか食事と生活習慣で治したが、糖尿病がしつこいのである。

そこで、原点に返って本格的に始めた。インシュリンの出なくなった腎臓も、自分自身で入れ替えてしまおうと考えた次第である。おそらく、一年がかりであろう。あまり長くない自分の余生を考えると、ちょっとムダのような気がしないでもないが、人生の目的の一部としてやってみようと決心をした。
PR
地図を見て、想像をする楽しさもあり。


雨の日は、外を歩くのが億劫である。とくに冬の寒い日は、散歩ができない。そこで、自室で市役所などでもらった地図を見たり、グーグルなどのパソコン地図を見たりする。

パソコンの地図では、航空写真も見ることができる。上空から見た景色は、実際に歩いたところを彷彿とさせる。しかし、まだ行ったことのない場所でも、何となく親しみを感じる。

つまり、まだ実際に歩かない場所でも何かと想像ができるのである。むろん、縮尺を変化したり、ドラッグして地図の範囲を広げたりできる。また、距離の測定などもプロットしていくだけで簡単。部屋でそんなことをしていると、いつまでも飽きない。
雨の日は腰痛が出て、体調悪い。


湿度が高いと身体によくないのかもしれない。雨が降ると、何となく腰痛が出てくる。そして、その腰痛が身体全体に作用して、調子がよくないのである。

むろん、雨の日は散歩に行けない。部屋にじっとしているのは、ますます体調を悪化させるので、隣にある市の支所や商店街が入っているビルに行く。そして、その中を歩いてみる。ワンフロアずつ移動するには、エスカレータに乗らずに階段を利用しても良い。

いずれにしても、一日中じっと座りっきりでパソコンをやったり、読書をするのは、身体のためによくないらしい。人間の身体は、本来ひっきりなしに動かしているように設計されているのではないか。私の場合、じっとして瞑想にふけるとか、座禅をするような精神的に高度な身体ではないらしい。
老いてから、独りよがりの意味のなき日々。


古希を過ぎたころから、自分自身の考え方が大きく変わった。あまり他人の意見を考えずに、自分だけがそれでよいのだと思い込むことが多くなった。諦めでもないが、畢竟(ひっきょう)独り善がりである。

なぜそのようなことになったかを考えると、まず自分の考えがわかってもらえないことである。妻に話しても、親しい知人に言っても、私の考えていることがわかってもらえない。「そうだ、そうだ」などと言って聞いてもらいたいわけではない。意見を言ってもらいたいのだ。

つまり、老いてから自分の考えが何となく間違っているように思えてならない。むしろ自分というよりか、社会全体の常識や通念がすでにおかしくなってきているように感じてならない。そうなると、自分の意味自体がなくなってしまう。
ほどほどにすることもよし、老いた日々には。


若いころには何でも完璧にするために、大いにがんばった。知力はともかく、体力があったからできたのだと思う。また、少々のことでは、バテない身体であった。

それが、どうであろう。最近は何かすると、すぐに疲れてしまう。いつの間にか、そんな身体に変化してしまった。したがって、ムリはできない。

割り切ってしまって、完成が遅くなっても、ほどほどにすることにした。つまり、根(こん)をつめると体調を損なってしまうことがあるからである。老いてくるとムリができない身体になるとは、よく言ったものだ。そんなことを身にしみて、実感するようになった。ほどほどにすることの習慣を付けなければならない。そして、自分自身が老いてきたことも自覚する必要がある。
老いてから、杖をつく人、目立ち始める。


「老いてから杖をつく」のではない。もともと杖をついていた人は、かなり多いだろう。

自分自身が古希を過ぎたころから、やたらに「杖をついている人が目につく」ということなのだ。若いころは杖を付いた人など、あまり気にしていなかった。しかし、自分が老人になって足を痛めてからは、「杖をついて歩いている人が多い」ということが改めてわかった次第。

加齢とともに、足の力は弱くなるらしい。バスの乗降のとき、よたよたよろよろしている老人が多い。とくに、シルバーパスの利用者は動作が鈍く、のろのろしている。バスの運転手は怒鳴りつけたりなどしないが、それでもよく我慢をしていると感心してしまう。あまり採算性のよくない客だから、かなり迷惑なのかもしれない。
われわれの社会はこどく、気付かぬままに。


現代社会の中に置かれたわれわれの状態は、こどく(蠱毒)とも言ってよい。互いに他を食い尽くして、強いほうだけが生き残る。「弱肉強食」と言ったり、「勝てば官軍、負ければ賊軍」などとも言う。つまり、強ければ何をしてもよい社会構造になってしまった。

そんな社会が、科学技術が発達をした現代社会には好ましいのであろうか。自由競争などと言って互いに他を淘汰しながら、強いほうが残って社会的に意義があるなどと思う。

そんなことが常識になってしまった現代社会は、現代の学校教育にも問題があろう。少なくとも人としての生き方を教えていれば、商社などの一流企業に入っても、そのようなことはしないであろう。常識までを麻痺させてしまう社会では、あまり先行きは明るくない。
忍者ブログ [PR]