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rikの新句(十九音)独り言。固定概念にはとらわれず、現時点で「生きている証明」をしました。
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新句する、短歌・俳句の限界知って。


私は、あまり文学的才能がない。したがって、短歌や俳句をやってはみたが、とても太刀打ちができないことがわかった。つまり、その才能がないのである。

しかし、短詩形を自分自身の記録やメモに残すことが必要なこともわかっている。そこで、新句(十九音)なるものを考えた。文字数から言えば短歌より少ないし、俳句より多い。私には、ちょうどよい長さの文字数である。

かつて、石塚左玄が食べ物や健康に関する和歌(短歌)を残した。そして、そこには「私の歌は文学的価値はないが、……」と謙遜をされていた。しかし、その内容は現代にとっても素晴らしいものである。つまり、ニーモニックほど短くないが、一連のテーマを記憶するには手ごろな長さであったからだろう。
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どんよりと曇った日には、部屋で本読む。


冬の空がどんよりと曇っている日などは、大好きな散歩ができない。青空が出ていないとデジカメの写真がうまく写らないし、また雨が降ってきたりすると風邪をひいてしまう。

そんなわけで曇った日には、仕方なくどこにも行かず部屋にいる。じっとしているのではなく、本を読んだり、地図を見たりするのだ。また、パソコンをすることも多い。

書物は前に読んだものを書棚から取り出して、読み直すことが多い。また、地図も前に行ったところのものを眺めている。パソコンが動いているときは、グーグルの地図やヤフーのものを眺める。倍率を変えてみたり、航空写真にしてみたり、またどこまでもドラッグをして見て行ったり、いつまでも飽きない。曇った日にも、それなりの楽しみがある。
ときどきは、、ピカッと光る「つぶやき」もある。


Twitterを見ていると、流行や話題がわかる。しかし、多くは私に関係のない記事。おそらく、その投稿者と興味や日々の考え方などが違うからであろう。しかし、ときにはピカッと光るようなつぶやきもある。

そんなときは、うれしくなって投稿者のあらましなどまで見てしまう。そして、「なるほど」と思うことが多い。その記事は、さっそく「お気に入り」に入れる。忘れてしまわないためである。そして考えた結果、時には返信や問い合わせなどをする。

そして、後になっても何回か見る。いろいろなことを考えさせられたり、新たな発見などがあって面白い。そんな楽しみが、Twitterの中にもある。パソコンは私の知的空間を広げてくれるのでありがたい。


尿療法、さくらももこと森繁久弥。


「尿療法」は「尿飲療法」とも言って、簡単に説明するとオシッコを飲む療法である。そして、それがすべての病気の予防になると言う。そんなことを説いている人がいる。私は、飲むのではなく舐(な)めるので「ラップリン」と言うが、中尾良一先生や高田麻りもさん以外にも多くのファンがいる。例えば、さくらももこと森繁久弥。

さくらももこは、本名三浦美紀、1965年生まれの漫画家。自分の少女時代をモデルとした代表作『ちびまる子ちゃん』で有名。エッセイストとしても活躍し、確か『もものかんづめ』に書いてあったと思う。

森繁久弥(1913―2009)は、早稲田大学在学中から演劇活動。中退後は、東宝劇団、古川緑波(ろっぱ)一座などを経て、新京放送局。映画は、『夫婦善哉(めおとぜんざい)』など。舞台は、『屋根の上のヴァイオリン弾き』など。アナウンサの逸見さんがガンで亡くなる前に、その療法を薦めたそうだが、彼はインテリのために従わなかったという。
エビ・カニやウニ・イクラなど、食べ過ぎてはダメ。


いずれも珍味でおいしいが、プリン体が多く含まれている。そして、食べ過ぎると身体に故障を起こす。ひどい場合は、死に至るようである。

エビ(海老)やカニ(蟹)は、高価であるから多くは食べられない。また、ウニ(雲丹)やイクラなども、どちらかといえば高級料理。したがって、料亭などで接待に出すのではないか。

同席したことがないから、はっきりはわからないが、田中さんや小渕さんは、それでやられたのではないかと思う。総理大臣ともなると、そのようなものを接待のときに出されるに違いない。日々少しずつであっても、次第に体内に影響をもたらすのであろう。おいしいと言って食べているうちに、どんどん死に近づいてしまう。
「なるほど」と「そのとおりだ」と「的外れ」あり。


メールで社会事情の意見が来たり、Twitterなどで記事を読んでいると、「なるほど」と思うことがある。また、「そのとおりだ」とか「まったくだ」などと、賛同をする。「まったく違う」ことや「的外れ」の意見は、めったにない。そして、それぞれの人が、真剣に社会の成り行きを見ているということがわかる。

私は政治や宗教に疎(うと)いので、何となく「おかしい」と感じることがあっても、鋭いメスを入れて意見をまとめることができない。そこで、他人の意見を参考にしたり、そこから学んだりするのだ。

とくに、たまさんがリポートをした社会情勢、つまり国際的に日本の置かれた状態などは、大いに学ぶべきものがある。そんなわけで、いつも勉強をさせてもらう。そしていつまでも、たまさんがお元気であられることを祈っている。
寺々に魚籃観音、拝顔に行く。


魚籃観音がおられることを知ったら、私は遠い寺にでもお目にかかりに行く。しかし、遠いと言ってもせいぜい東京都内。地方にも行きたいが、若いころのようには体力が続かないからである。

魚籃観音は、三十三観音の中にもましますご一体。やはり、その中の馬郎婦(ばろうふ)観音と同じだと言う人もいる。いずれにしても、女性のお姿をしている観音さまである。

その魚籃観音について、「陝右(せんゆう)の人たち」というモディファイをしてみた。時代を現代に移し、主人公を魚売りではなく、花売りにした。さらに、経でなく花の名前の暗誦にした。その作品はあまり秀作ではないが、それでも自分自身の安心立命にいくらか役立っている。そんなことから、魚籃観音に関心をもつようになったのである。
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