rikの新句(十九音)独り言。固定概念にはとらわれず、現時点で「生きている証明」をしました。
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季語などは不要、下の句、五でなくて七。
この新句(十九音)のことである。短歌や俳句が難しくて、私には力及ばなかった。そこで、考え出した短詩形。
俳句のような季語はいらない。また、韻なども一切不要。だから、思ったことを思ったままに綴ればよい。また、他人の真似をしてもよい。例えば、明恵上人(みょうえしょうにん)が<あかあかやあかあかあかやあかあかやあかあかあかやあかあかやつき>と短歌に歌ったのを知って、自分なりに
あかあかと、あかあかあかと、あかあか夕日!
などと、下の句を七字で収めてもよいだろう。さらに、まったく同じ句が何回もあってよいのだ。そんなわけで、誰でも気楽に作れる。
この新句(十九音)のことである。短歌や俳句が難しくて、私には力及ばなかった。そこで、考え出した短詩形。
俳句のような季語はいらない。また、韻なども一切不要。だから、思ったことを思ったままに綴ればよい。また、他人の真似をしてもよい。例えば、明恵上人(みょうえしょうにん)が<あかあかやあかあかあかやあかあかやあかあかあかやあかあかやつき>と短歌に歌ったのを知って、自分なりに
あかあかと、あかあかあかと、あかあか夕日!
などと、下の句を七字で収めてもよいだろう。さらに、まったく同じ句が何回もあってよいのだ。そんなわけで、誰でも気楽に作れる。
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フンメルとカークブレンナ、改めて聞く。
いままであまり聞けなかった作曲家ではあるが、「YouTube」で探すとかなり出てくる。いずれも、素晴らしいピアノ曲を残しているので有難い。
ヨハン=ネポムク=フンメル(Johan Nepomuk Hummel 1778~1837)は、ハンガリー(現在はスロヴァキア)のオーストリア系作曲家である。また、ピアニストでもあった。当時は、ベートーベンと並び称せられて、むしろ技術的には上だったという意見もある。
フレドリッヒ=カークブレンナ(カークブレナー・カークブレンナー・カルクブレンナー Friedrich Wilhelm Kalkbrenner 1785~1849)は、ショパンとほぼ同時代の作曲家、そしてピアニスト。ショパンを弟子にしたいと申し入れたことで、有名である。
いままであまり聞けなかった作曲家ではあるが、「YouTube」で探すとかなり出てくる。いずれも、素晴らしいピアノ曲を残しているので有難い。
ヨハン=ネポムク=フンメル(Johan Nepomuk Hummel 1778~1837)は、ハンガリー(現在はスロヴァキア)のオーストリア系作曲家である。また、ピアニストでもあった。当時は、ベートーベンと並び称せられて、むしろ技術的には上だったという意見もある。
フレドリッヒ=カークブレンナ(カークブレナー・カークブレンナー・カルクブレンナー Friedrich Wilhelm Kalkbrenner 1785~1849)は、ショパンとほぼ同時代の作曲家、そしてピアニスト。ショパンを弟子にしたいと申し入れたことで、有名である。
蝋燭が燃えるのと似て、人生終わる?
蝋燭(ろうそく)が燃え尽きるように、私たちの人生は、終わってしまうのではないだろうか。何となく、そんな感じがする。
蝋燭は自(みずか)らが燃え、回りを明るくする。そして、それを一生涯ずっと続ける。そして、最後は燃え尽きてしまうのである。何とも、人生を象徴しているような気もする。
ある人が地獄か極楽で、数多くの蝋燭の燃えているのを見せられ、それらは地上の人たちの生きている状態なのだと説明される。勢いのよいもの、弱いもの、そして消えかかっているもの。そんな話も、あながち嘘ではないような気もする。
蝋燭(ろうそく)が燃え尽きるように、私たちの人生は、終わってしまうのではないだろうか。何となく、そんな感じがする。
蝋燭は自(みずか)らが燃え、回りを明るくする。そして、それを一生涯ずっと続ける。そして、最後は燃え尽きてしまうのである。何とも、人生を象徴しているような気もする。
ある人が地獄か極楽で、数多くの蝋燭の燃えているのを見せられ、それらは地上の人たちの生きている状態なのだと説明される。勢いのよいもの、弱いもの、そして消えかかっているもの。そんな話も、あながち嘘ではないような気もする。
一瞬の輝きありて、蝋燭つきぬ。
蝋燭が燃え尽きるとき、最後にぱっと明るくなる。一瞬の輝(かがや)きとでも言うのであろうか。そして、その輝きの後で消えてしまう。
何となく、人間の一生を暗示しているようである。蝋燭が燃えるように、日々を過ごしてきたものが、最後になってもう一度だけ大きく輝く。それは、最後の力を振り絞っているようにも見える。
もっとも、死ぬ前に輝かない人も多くいる。寝たきりになってしまって、輝くにも輝けない。そんな状態は、困ったことである。
蝋燭が燃え尽きるとき、最後にぱっと明るくなる。一瞬の輝(かがや)きとでも言うのであろうか。そして、その輝きの後で消えてしまう。
何となく、人間の一生を暗示しているようである。蝋燭が燃えるように、日々を過ごしてきたものが、最後になってもう一度だけ大きく輝く。それは、最後の力を振り絞っているようにも見える。
もっとも、死ぬ前に輝かない人も多くいる。寝たきりになってしまって、輝くにも輝けない。そんな状態は、困ったことである。
小野神社、菊のご紋と随身椅像。
京王線聖蹟桜ヶ丘駅から徒歩十分(かちじゅっぷん)ほどのところにある小野神社。参拝者は少ないが、とても由緒のある神社である。鳥居にも門にも、菊のご紋が付いている。菊のご紋は朝廷と関係があって、勝手に付けるわけにはいかない。
また、延喜式内社である。つまり、「延喜式の内に記載された神社」で格式が高いことを示している。式内社は、延喜式(延長五年(927年))に記載されていて、当時から朝廷に重視された神社であることを示している。
随身椅像(ずいしんいぞう)とは、椅子に腰掛けている神さまを警護する近衛の武士。それが二体残されている。古いほうの一体は、元応元年(1319年)の作であり、小野神社建設当時から安置されていたという。
京王線聖蹟桜ヶ丘駅から徒歩十分(かちじゅっぷん)ほどのところにある小野神社。参拝者は少ないが、とても由緒のある神社である。鳥居にも門にも、菊のご紋が付いている。菊のご紋は朝廷と関係があって、勝手に付けるわけにはいかない。
また、延喜式内社である。つまり、「延喜式の内に記載された神社」で格式が高いことを示している。式内社は、延喜式(延長五年(927年))に記載されていて、当時から朝廷に重視された神社であることを示している。
随身椅像(ずいしんいぞう)とは、椅子に腰掛けている神さまを警護する近衛の武士。それが二体残されている。古いほうの一体は、元応元年(1319年)の作であり、小野神社建設当時から安置されていたという。
「ナルヘソ」を「メルヘン」と読む、豊かなこころ。
カタカナで「ナルヘソ」と書いてある四字を「メルヘン」と読むくらいのこころの豊かさがあればよいと思う。つまり、そんなところに「ナルヘソ」は出てこないばずで、そこの文は「メルヘン」になっていると考えながら読んでいる。
読書をしていると、そんなことがよくある。つまり、次を読む前に、自分自身である程度の先読みをして、内容を決めてかかっているのだ。
まったく最初の読書では、そのストーリに関しては、すべての文字が初体験。それでも誤字や脱字があれば、目ざとく見出す。やはり、それはある程度の自分自身の考えた文章を心にもっているためであろう。
カタカナで「ナルヘソ」と書いてある四字を「メルヘン」と読むくらいのこころの豊かさがあればよいと思う。つまり、そんなところに「ナルヘソ」は出てこないばずで、そこの文は「メルヘン」になっていると考えながら読んでいる。
読書をしていると、そんなことがよくある。つまり、次を読む前に、自分自身である程度の先読みをして、内容を決めてかかっているのだ。
まったく最初の読書では、そのストーリに関しては、すべての文字が初体験。それでも誤字や脱字があれば、目ざとく見出す。やはり、それはある程度の自分自身の考えた文章を心にもっているためであろう。
仕掛かりの文書の整理、する時期となる。
たくさんある文書や書類の整理をする時期になったようだ。年齢から考えて、いつ死ぬかわからないし、死ななくても、認知症やアルツハイマー病になってしまう可能性が大いにある。身の回りの知人が、すでに何人かそういう状態であるからだ。
文字に書いたものばかりではない。むろん、持ち物などもそう。物の整理は、妻でもできよう。しかし、文書は自分でなければまとめられない。
そこで、まず不要なものを捨ててしまうのと同様に、今後もあまり意味のないモチーフなどは削除をしてしまう。また、持ち物を整理・整頓して、どこに何があるのかを明確にするのと同様に、創作用の素材などはパソコン内に分類をして入れておく。すぐに取り出せるような工夫をしておくことも必要である。
たくさんある文書や書類の整理をする時期になったようだ。年齢から考えて、いつ死ぬかわからないし、死ななくても、認知症やアルツハイマー病になってしまう可能性が大いにある。身の回りの知人が、すでに何人かそういう状態であるからだ。
文字に書いたものばかりではない。むろん、持ち物などもそう。物の整理は、妻でもできよう。しかし、文書は自分でなければまとめられない。
そこで、まず不要なものを捨ててしまうのと同様に、今後もあまり意味のないモチーフなどは削除をしてしまう。また、持ち物を整理・整頓して、どこに何があるのかを明確にするのと同様に、創作用の素材などはパソコン内に分類をして入れておく。すぐに取り出せるような工夫をしておくことも必要である。