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rikの新句(十九音)独り言。固定概念にはとらわれず、現時点で「生きている証明」をしました。
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急速に衰え始め、気力失う。


どうしたことだろうか。最近になって、体力が急速に衰え始めたようだ。まぁ、古希を過ぎたので、仕方がないのかもしれない。しかし、気力まで喪失したのでは、如何(いかん)ともしがたい。

何事にも興味があって、それなりに探究心をもっていたが、ここのところ何となく飽きっぽくなっちゃった。したがって、気分的にもやる気がしなくなったのである。

細かいことをしようとすると、つい面倒くさくなってしまう。そんなことではいけないと考えても、どうにもならない。今までやっていた研究なども、先に進めないので困ってしまう。もう少し涼しくなったら、何とかなるのではないかなどと、考えてはいるのだが、………
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老人は眠りが浅く、すぐに疲れる。


自分がとうとう老人の範疇に入ってしまったころから、何となくわかったこと。若かったころのような熟睡が、なかなかできない。早めに床につくと、午前三時ころに目が覚めてしまう。そこで、パソコンなどを始める。

しかし、三時間もすると疲れが出てくる。仕方がないので、また布団に入る。そして、再び九時ごろに起きることになる。何となく眠りが浅いために疲れも速く、生活のテンポが乱れてしまう。

何とかならないかと考えたのだが、身体が弱っているので、どうすることもできない。かろうじて健康の日々を保っているものの、それは病気一歩手前の状態らしい。したがって、ちょっと不都合なことがあるとすぐに疲れてしまい、その結果することが、何となく億劫になってしまうのである。
健康と老化予防と安心立命。


このホームページやブログの三つのテーマである。そもそもホームページの最初の目的が、メンバーの健康。そのためには何をしなければならないか、また何をしたらダメなのかなどをメンバーで検討をした。その結果、糖尿病の予防方法や循環器障害の対策などを取り上げ、それなりに理解ができた。

次に老化予防の研究をした。そして、食べ物や生活習慣などの他にも、回想創造法が有効であるということがわかった。そして、実際にやってみて、それなりの効果があったので驚いた次第。

さらに、安心立命。これは、何となく宗教くさくなってしまうが、ここでは科学的アプローチをする。したがって、経験的にわかっていることの他にも、直感で信じられる事柄なども検討する。納得できることでないと、仕方がないからである。
脇侍(きょうじ)には、こんがら童子・せいたか童子。


高幡不動尊のご本尊である不動明王の脇侍である。脇侍は、本尊の右左に控えている仏像で、脇立(わきだち)ともいう。また、脇侍を脇士とも書いて、「わきじ」と読むこともある。阿弥陀如来の場合は観音菩薩と勢至菩薩、釈迦如来は文殊菩薩と普賢菩薩のことが多い。日光菩薩と月光菩薩であったりもする。

しかし、不動明王の場合は八大童子を従えているのがふつう。目黒不動尊の境内には、そのような石像があった。しかし、実際には向かって右に八大童子のうちのこんがら(矜羯羅)童子、左にせいたか(制多迦)童子の二人を従えていることが多い。

私は、せいたか童子は背が高いので、背高童子と書くものとばかり思っていた。そして、その二人の風袋(ふうたい)から、何となく寒山・十得を思い出したりするのである。
小乗を改めて読み、深い感激。


小乗仏教などというと、何となく蔑(さげす)んだ感じがする。しかし、そうであろうか。私は、『ダンマパダ』(法句経)や『スッタニパータ』(経集=ブッダのことば)、『サンユッタニカーヤ』などを読んで、深い感激をしみじみと味わう。いずれも、サンスクリット語ではなく、パーリ語からの翻訳である。

ともすると『法華経』などの大乗経典が、何となく大げさに感じるくらいである。大風呂敷を広げたと言うと、ちょっと不謹慎かもしれないが、何となく人間性を離れているような感じもするからだ。

それはともかく、大乗は後で作られたものだから、小乗の欠点をかなりカバーしている。したがって、教学的にも複雑になってしまった。やはり初期の仏典には、人間的な素朴な教えが多く含まれている。
何ゆえか、アポロニウスは忘れられたり。


歴史の中では、一方が片方の偉大のために薄らいでしまうことがある。前に見たアマデウスという映画もそうであったが、フンメルもベートーベンの影に隠れてしまった。このアポロニウスは、イエスの一部になってしまったようだ。

アポロニウスには、イエス=キリストと同一人物説がある。だから、イエス伝説に組み込まれたともいう。時期的には、イエスよりも少し前に活躍をした。

アポロニウスは、堂々とした容姿で、さわやかな弁舌を行った。莫大な財産を受け継いだが、貧しい人に分け与えてしまい、ボロをまとって素足で歩いたという。動物の言葉を理解し、人の考えを読むことができた。そして、未来を予見することができたらしい。死んだ少女の頭に手を置いて、生き返らせたともいう。百歳ぐらいまで生きて、その後は姿を消してしまった。
『法華経』と『聖書』の一部、同じ作者か?


何となく、マテオ・マルコ・ルカの三福音書が同じ人の著作みたいだし、さらに『法華経』と『聖書』の一部が同じ作者のように思えるが、いかがでしょうか。

法華経は、鳩摩羅什が翻訳をしたサンスクリット原本『正しい教えの白蓮』のこと。また、『聖書』は最初にあるモーゼ五書であり、さらに福音書の一部に語られている内容。『共観福音書』についても、アポロニウスの言葉を記したQなどを基に、三つが同一人物の著述であるような気がしてならない。

『法華経』にある放蕩息子のエピソードや、ルカによる福音書15章後半などは、ずいぶんと似ている。しかし、ちょっと自信がないので、知識人や親切な人が多いヤフーの知恵袋に質問をしてみたが、回答は一つもなかった。
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