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rikの新句(十九音)独り言。固定概念にはとらわれず、現時点で「生きている証明」をしました。
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カタコンブ、望ましい墓地、大涅槃像。


カタコンブ(catacombes:フランス語、カタコンベとも言う)とは、もともと初期キリスト教徒の地下墓所を言った。当時は、キリスト教が迫害されていたので礼拝所として地下が使用された。その天井や壁には、美しい壁画や碑文が残されている。

涅槃像(ねはんぞう)は、釈迦入滅の姿を描いた絵や彫像のこと。「寝釈迦」(ねじゃか)ということもある。

早晩、墓地は行き詰ってしまうようだ。家族分断化などの問題や将来の傾向を考えると、どうしても永代供養の必要性があろう。大々的な墓地の分譲をするよりも、今後は涅槃像を据えたカタコンブ方式にすればよいと私は考えていた。 そう思っていた矢先、高乗寺で墓地の新規分譲をするときに、その方式を取り入れた。やはり、土地に行き詰まったからではなかろうか。
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もう一度行ってみたいと思う場所あり。


何となく懐かしく、記憶に残っている場所。忘れがたい印象というほどでなく、ちょっとした思い出が残った場所でよい。ふと、そんな場所にもう一度行ってみたくなる。もしかしたら犯罪者の心理に、似ているのかもしれない。

そして、もう一度行ってみる。それは、何とも懐かしい追体験だ。追体験は、ふつう他人の体験をその作品などを通してたどることにより、あたかも自分の体験としてとらえること。しかし、自分自身の体験を自分自身が捉えてもよいだろう。つまり、自分自身の過去を自分で追体験するのである。

松尾芭蕉の辞世の句に、「旅に病んで夢は荒野を駆け巡る」があったと思う。旅行中に病気で倒れ、アウトになる寸前になっても「荒野を駆け巡る」という心意気。やはりそれほど、あちこちを経廻(へめぐ)ってみたいのであろう。

物知りで博学でない愚かのきわみ。


単なる物知りであって、いろいろなことを知っている。しかし、それらは科学的知識ではないし、論理的な裏付けのあることでもない。いわゆる雑学などと、馬鹿にされる類い。例えば『荘子』を読んで、恵子のことなどを思い出す。

つまり、知っていても人生にプラスにならないことをごてごて知識としている。社会に対しても、何のプラスにもならない。実際に、私自身がそうであるから恥ずかしい。

また、何に何が書いてあったかなどと引用をする。そのこと自体、悪いことでないだろう。しかし、自分自身が理解していないことを他人の理解で代用するようなことは、やはり恥ずかしいことであろう。物事を知っていても、いわゆる博学ではないということは、やはり愚かの極みではないだろうか。
楽しみは駅を経巡(へめぐ)り新たな発見。


この新句(十九音)は、まったく同じものがあってもよい。例えば、朝ごはんを食べて「おいしかった」と、毎日のように言ってもよいのと変わらない。新句は「生活の一部」であり、「日々記憶の断片」であるからだ。むろん、その中には「生活の知恵」が記録されることもあろう。

本題に戻って、駅周辺を歩いて「新たな発見」と言っても、それは驚天動地のような大発見ではなく、小さな喜びであってもよい。そのようなことは、ちょっと注意をすれば気付くことである。

そんなことが、今まであまり歩いたことがない道を行く楽しみなのだ。つまり、些細なことでも新たなことであれば、フレッシュな感じがするのである。また、新たでなくて改めて出あったときも、それなりの見方をすれば、それが新たな再発見になるであろう。
何となく落ち着く場所は、寺の境内(けいだい)。


寺の境内に入ると、何となく落ち着く。なぜだろうか? 単に雰囲気がそうであるからというわけではないように、私は思う。

かつて、科学が発達していなかった時代には、寺がいろいろな指導や援助をしてくれた。学識があって有徳な僧が寺におり、いろいろな助言をしていた。また、天災があったり飢饉があると、避難場所は神社や寺であった。八百屋お七の話も、火事によって避難をした寺での出会いだったそうである。

さらに、鉄眼(てつげん)の話などを思い出す。寺を基地として、社会活動や経典の活版作成をする場所としていた。もしかしたら、そのような古い時代の思い出が、私たちの遺伝子の中に残っているのかもしれない。寺の境内は、過去の生活が体験をした身近な歴史の場所なのであろう。
ひっそりと隠れるように佇む魚籃。


高幡不動尊五重塔の下に、ひっそりと隠れるようにして佇(たたず)んでおられる小さい魚籃観音(ぎょらんかんのん)さま。とても美しいお顔をしている。そして、何となくメランコリックなご表情。私は、いつもこの魚籃観音さまに逢うのが楽しみ。

魚籃観音は奥殿にも、ご一体おられる。他に魚籃観音ではない観音さまが、定慧観音、そして大日堂横の観音、さらに五重塔下ホールに展示されている観音などがおられる。しかし、私はこのひっそりと佇んでおられる観音さまがいちばん好きだ。

小さくても美しい姿で、大きな魚の上に乗っている。ほとんどの人が知らないのではないか。金剛浮図の中におられるタイ国の観音さまを拝顔する前に、いつもしばらく魚籃観音の横顔を眺めるのが楽しみであり、慰めである。
ひっそりと暮らしていても心は豊か。


隠遁のような生活を始めてから、すでに十年。あまり人と付き合いもせずに、ひっそりと暮らしている。以前は同窓会やゴルフなどの誘いが頻繁だったが、ていねいに断ってきた。そして、ここ数年は誰からもお声がかからなくなった。変人ということで、とおってしまったのかもしれない。

それでも、自分自身は満ち足りている。社会にまったく参加しないというわけではなく、いつも電車やバスに乗る。また、吉野家やミスドなどへも出かけていく。シェーキーズも、週に一回行く。体内のカルシウムを少しでも補充するために、ピザの大食いをするのだ。

不思議なことに、大仏や大観音などにも興味をもち始めた。以前は、そんなことなく仕事オンリーだったのに。大仏なども、所詮は人間が作ったものだとわかりながら、それでも見ていると心が和み、豊かになるので不思議だ。
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