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rikの新句(十九音)独り言。固定概念にはとらわれず、現時点で「生きている証明」をしました。
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何となく落ち着く場所は、寺の境内(けいだい)。


寺の境内に入ると、何となく落ち着く。なぜだろうか? 単に雰囲気がそうであるからというわけではないように、私は思う。

かつて、科学が発達していなかった時代には、寺がいろいろな指導や援助をしてくれた。学識があって有徳な僧が寺におり、いろいろな助言をしていた。また、天災があったり飢饉があると、避難場所は神社や寺であった。八百屋お七の話も、火事によって避難をした寺での出会いだったそうである。

さらに、鉄眼(てつげん)の話などを思い出す。寺を基地として、社会活動や経典の活版作成をする場所としていた。もしかしたら、そのような古い時代の思い出が、私たちの遺伝子の中に残っているのかもしれない。寺の境内は、過去の生活が体験をした身近な歴史の場所なのであろう。
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