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rikの新句(十九音)独り言。固定概念にはとらわれず、現時点で「生きている証明」をしました。
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大仏と大観音と江戸六地蔵。


大仏と大観音のアルバムを作った。しかし、地蔵尊と大仏は、お顔やお姿が似ている。笠をかぶっている大地蔵ならば、それなりに区別ができるだろう。でも、笠をかぶっているからすべて地蔵だというわけにはいかない。

したがって、アルバムを分けることにした。つまり、「大仏・大観音」グループと「江戸六地蔵」とに。そして、「江戸六地蔵」には私たちの等身大よりも大きな地蔵尊も含めることにした。地蔵がある寺院は、かなり多いからである。

もっとも六地蔵などは、たいがい小さい。いうなれば、子どもくらいの大きさである。したがって、アルバムには載せない。あくまでも、大きさに着目をして、選択をする。宇野浩二の『木仏金仏石仏』(きぶつかなぶついしぼとけ)ではないが、その素材には関係をしないことにした。

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秘書さんのくださるサツマイモの思い出。


サツマイモには、特別な思い出がある。戦後の物のないときに、食べ物では苦労をした。昭和二十年(1945年)ころだ。ひもじい思いをした子どもたちに、母が空き地でサツマイモやピーナットを作ってくれた。

橘曙覧の短歌に、<たのしみはまれに魚煮て児等(こら)皆がうましうましといひて食ふ時>というのがある。母も、私たち食べ盛りの子どもを見て、うれしかったと思う。父母は蔓茎の部分も煮て、食べていたのを私は覚えている。

サツマイモが食べれるのも、多くの人のお陰だと思う。まず、青木昆陽。江戸時代の蘭学者だが、サツマイモを避難食として普及させて、甘藷先生とよばれた。目黒の瀧泉寺に行くと、墓と記念碑がある。ベルツは日本政府の関係者から問われて、満州ではピーナットを補助食にすればよいと答えたことが「ベルツ日記」にある。教師に迎えられて来日し、日本の伝染病・寄生虫病を研究して国民の健康に貢献をした。私にそんなことも思い出させるサツマイモである。秘書さん、どうもありがとう。
片倉のカタクリ咲いて、春は来にけり。


片倉には、片倉城跡公園がある。その中には池や住吉神社があって、彫刻なども置いてある。そこの小さな山林には、カタクリが密生している。

カタクリは「片栗」と書き、ユリ科の多年草。山地の林に生えて、高さ15センチくらい。葉は楕円形で表面には紫色のまだら模様がある。早春に紫色の花を下向きに付ける。花びらは六枚で、先が反り返っているのが特徴。その花が密生していると、私は何となく楽しくなってしまう。

脈絡のないことであるが、「フニクリフニクラ」という歌も思い出す。イタリアの古いカンツォーネであるが、ヴェスヴィオ火山頂までの登山鉄道の宣伝用に作曲された世界最古のコマーシャルソング。リヒャルト=シュトラウスは、曲がイタリア民謡と勘違いして、交響的幻想曲「イタリアから」に取り入れた。
糖尿病、病気だけれど病気ではない!


「病気だけれど病気ではない!」などと言うと、いったい何を意味することかと思うだろう。「AがBに等しいか、またはAがBに等しくない」というのと同じで、言葉の言い回しとしては面白くても、アントニム(反義語)またはトゥトロジー(同義反復)の関係とも異なり、ナンセンス(無意味)のようです。

しかし、私の言っている意味は「糖尿病とは上手に付き合え」という意味なのです。自覚症状がなく、傷みもない。そんなまま安心していると、失明したり、足の切断を余儀なくされる。発見をしたときは、直ちに人工透析に通うようになったりもする。

そこで、軽い糖尿病とともに生きるための日々の生活の知恵。それは尿糖をなるべく出さない工夫が必要。そこで、砂糖の忌諱など食事療法と、プチさん(プティ散策)などの生活習慣を考えた。
思い切って、不要なものは処分をしよう!


何が必要なのか、また何が不要なのか、それを決めるにも各自の人生観が影響してくる。個人差もあるし、価値観の相違も大きい。食べ物や生活習慣、日々の生活などにも関係してくるのではないだろうか。結局は、「何のために生きるのか?」などという問題にまで発展してしまう。

二度と使わないようなもの、簡単に入手できるもの、そのようなものは処分をしてもよいのではないか。昔なら蔵に保存をするであろうが、現在は場所のほうが高価であるから、やたらしまっておくことができない。

もはや財産の整理などが、できる状態ではない。かつては小額だが余剰金は学校に寄付をした。友達関係も、私が隠遁のような生活に入ったときに、ほとんど整理したことになる。もっとも、相手からも整理された感じであるが、……。だが、まだ書類や原稿などが未整理で、それが大変である。
先生の「箱庭療法」、取り入れてみた。


かつて三木アヤ先生がなさっていた「箱庭療法」はユングやカルフの理論を取り入れたオーソドックスなものだった。箱庭を介し、クライアントとセラピストとの二つの個性が対話をする。

私は、クライアントが対話を自分自身の中で実現することを考えた。つまり、セラピストを自分が兼任してしまう。もっとも、初期で軽度の症状でなければ、その実現は不可能であるが。

そんな方法として、『回想創造法』を開発した。それは、その中で自分自身を見直すことができる。今まで高齢者の精神療法として、過去の回想は忌諱をした時代があった。愚痴が多く、後ろ向きであるから。しかし、回想創造法では違う。さらに、『自己福音書』を作ることによって、精神が昇華することさえあるから不思議である。二つを対(つい)で行うと、より効果的。
楽しみは、『荘子』を読んで頷(うなず)けるとき。


『荘子』(そうじ)には、はったりや雄大な記述があって、ちょっと親しみにくい。それでも、私は読んでいると膝を叩きたいほど賛同して、頷いてしまうことが多くある。

荘子は、戦国時代の思想家。生没年は未詳だが、紀元前403年の晋の分裂から前221年の秦による中国統一までの動乱期の人であることは確か。老子とならぶ道家思想の中心人物。個々の事物の価値観は見かけ上のもので、すべてが平等であるとして、自然にまかせる生き方を説いた。郭象(252ころ~312)は、西晋の学者。『荘子』の内容を整えて、注を著した。道家哲学を推奨したのである。

そんな古い荘子や郭象の記述したものを読んで、思わず頷いてしまうときがあるので不思議である。
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