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rikの新句(十九音)独り言。固定概念にはとらわれず、現時点で「生きている証明」をしました。
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秘書さんのくださるサツマイモの思い出。


サツマイモには、特別な思い出がある。戦後の物のないときに、食べ物では苦労をした。昭和二十年(1945年)ころだ。ひもじい思いをした子どもたちに、母が空き地でサツマイモやピーナットを作ってくれた。

橘曙覧の短歌に、<たのしみはまれに魚煮て児等(こら)皆がうましうましといひて食ふ時>というのがある。母も、私たち食べ盛りの子どもを見て、うれしかったと思う。父母は蔓茎の部分も煮て、食べていたのを私は覚えている。

サツマイモが食べれるのも、多くの人のお陰だと思う。まず、青木昆陽。江戸時代の蘭学者だが、サツマイモを避難食として普及させて、甘藷先生とよばれた。目黒の瀧泉寺に行くと、墓と記念碑がある。ベルツは日本政府の関係者から問われて、満州ではピーナットを補助食にすればよいと答えたことが「ベルツ日記」にある。教師に迎えられて来日し、日本の伝染病・寄生虫病を研究して国民の健康に貢献をした。私にそんなことも思い出させるサツマイモである。秘書さん、どうもありがとう。
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