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rikの新句(十九音)独り言。固定概念にはとらわれず、現時点で「生きている証明」をしました。
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ガゴメ昆布とダッタンそばは、健康によい。


ガゴメコンブというのがあるそうだ。ぬめりが多くて、消化器系によいらしい。「ガゴメ」の意味はわからないが、もしかしたら昆布の取れる地方の名称かもしれない。生産量が少ないので、あまり市場には出ていないそうだ。

ダッタンソバには、ルチンが多く含まれている。「ダッタン」は「韃靼」と書いて、タタールのことである。ロシア映画「アンドレイ=ルブリョフ」という作品に、ヨーロッパ地方をタタールが侵略したときのことが詳しく出ていた。

いずれも渡邊師からご教示いただいた。渡邊師は仏家でありながら、健康や食べ物に関して細心の注意を払われているので、古希を過ぎてもお元気である。高幡不動尊で、護摩を焚く前に説教をされている。
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ドラマ見て、しばしの間(あいだ)我を忘れれる。


映画やテレビドラマを見たり、小説などを読んでいると、つい釣り込まれてしまうことがある。自分自身が、物語の登場人物になったような気がすることもしばしば。いったい、客観が主観になってしまうのは、なぜだろうか。

カタルシスは、浄化を意味するギリシャ語。アリストテレスは、劇の効果としてカタルシスがあるという。劇中の出来事や劇中の登場人物、さらに観客について述べている。「おそれやあわれみ」を抱くことによって、心が浄化されると考えたらしい。

いずれにしても、例えば市川雷蔵や片岡孝夫、そして田村正和の眠狂四郎のようなニヒルな性格の持ち主に対して、あまりなじみのない私がカタルシスするのが不思議である。
偶然が重なりて、日々現実となる。


ちょっとした偶然が重なって、日々の現実を構成する。したがって、よくよく考えると不思議な経緯(いきさつ)が多いことに気付く。何となく誰かが人為的に動かしている気配さえ感じることがあるから不思議。

もしかしたら神が存在して、人間を動かしているのかもしれない。人間自身の意思も大切であるが、成り行きについては如何(いかん)ともしがたいことがあまりにも多い。

そこで、運命論・宿命論などというものが出てくる。すべての事象は、あらかじめ決められていて、それが当事者にはわからないだけであるなどという。しかし、私は単に偶然が重なって、それが日々の現実となって現われるのではないかと思う。そして、偶然が重なること自体、それも偶然であるので、現実は思うようにいかないのであろう。
心地よさ、それを求めて日々生かされる。


「人生の目的は何か?」と問われたら、何と応えればよいだろうか。「子孫を残すこと」とか「生をまっとうすること」などという人がいるかもしれない。また、「目的などない」という人もいるだろう。

哲学的なことや宗教的なことについて、私はよくわからない。しかし直感的に「人生は心地よさを求め続ける」一連のものではないかなどとも思う。そして、健康で心地よいときは、その他に何をしても充実することが多い。

反対に病気であったり、身体に大きな支障のあるときは、結果が覚束ない。そればかりか、ひどいときには生きているのがいやになってしまう。つまり、心地よさを求めるには最初に健康でなければならない。そんなことが次第にわかってきた。
シルバーになったら、あまり遠出をしない。


とうとう私も古希になって、東京都からシルバーパスが支給された。都内のバスや都電・都営地下鉄などが無料で乗れる。何ともうれしい限りである。

しかし、いきおい込んで次々と乗ったところで、せいぜいバス三回の乗換くらいまで。いくら運賃が無料であっても、やってみると乗り継ぎの時間もかなりかかる。また、五回も乗り換えると疲れてしまう。結局、回数を多く乗り継ぐのというのは実用的でないことがわかった。

そこで、まず最寄駅から終点駅まで行く。そして、そこの駅周辺を散策する。すんだら、ふたたび戻ってくる。そんな使い方を覚えた。また、終点の電車駅から、一駅間を歩くのもよいだろう。かなり目新しい発見があったりして、なかなか楽しいものだ。つまり、あまり遠出をしないことが、事故や疲れから逃れる一つの方法ではないか。
何という目的もなく日々バスに乗る。


特別の用があり、バスに乗ってどこかへ行くのではない。ただ、何となく乗るのである。シルバーパスを持ってから、そんな日々が続く。雨でも降らないかぎり、バスに乗る。そして、あちこちに行くのである。

シルバーパスは無料で都内のバスに乗れる。素晴らしいシステムであって、私の行動範囲を広げてくれる。いきおい、用もないのに晴れた日は出かけることになる。

かつて読んだ怪奇小説のアンソロジーに、あった話を思い出す。その男は恋人と山の別荘に来る。やがて、恋人が行方不明になったので、探偵が張り込んで男を見張る。男はどこへも行かず、半日がかりで薪を割っている。探偵は、男が何をしているのだろうかと考えた。後で捕らえられて、男は言った。「ただ運動をして、自分を空腹にするのが目的でした」。
老いにつれ我がままになる気持ち、諌める。


高齢になると、何となく我がままになるみたい。何か物事をするときに面倒くさく思ったり、煩わしくもなる。あれもいや、これもいやなどという気持ちが起こりやすい。

趣味や食べ物などの好みも、少しずつ変わってくるようだ。つまり、全体的に性格が我がままになってくるのではないか。そして、若いころに当然したような我慢ができなくなる。

そこで自分自身で、そのような気持ちを諌(いさ)めなければならない。なぜならば、注意をしてくれる人が、身の回りにあまりいないからである。「叱られる幸せ」という高幡不動尊の官長が書かれた本があったが、最近では叱ってくれる人が少なくなった。そんなわけで、自分で自分を叱る必要が生じる。
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