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rikの新句(十九音)独り言。固定概念にはとらわれず、現時点で「生きている証明」をしました。
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要注意!蛋白質と炭水化物。


三大栄養素とは、蛋白質と炭水化物と脂質。糖尿病の場合は、それらの食べものに注意が必要である。

蛋白質(プロテイン)は、 肉類、魚介類、卵類、大豆製品、乳製品に多く、筋肉や臓器の構成成分であり、酵素、抗体、ホルモンの原料になる。欠乏すると、体力や免疫力が低下。血管が細くなり、脳卒中の危険がある。子供には成長障害が起こる。過剰摂取すると、過剰分が尿に排泄され、腎臓に負担がかかって腎機能障害を起こすこともあるので注意。

炭水化物は、糖質・食物繊維の総称で、砂糖、穀類、そして砂糖と穀類を原料とする菓子などに多く含まれる。エネルギー源になり、中性脂肪に変えられて体内に貯められ、身体の構成成分となる。炭水化物が欠乏すると、思考力が低下したり、痩せる。過剰摂取すると、摂りすぎた分を身体に蓄蔵して肥満や糖尿病の原因になる。
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突然にやってくるのが身体の不調。


若いときはともかく、高齢になると身体の不調がいつくるかわからない。と言うよりも、むしろ不調の状態のほうが多いのではないか。体力の衰えなどの軽い不調や歯周病による入れ歯くらいならよいが、脳梗塞・心筋梗塞・認知症・アルツハイマー病・ガンなどの心配もある。

それらは、助かっても今後の人生が一変してしまう。自分では何もできなくなって、看病や介護をする人が必要だからである。そして、家族の介護をする人まで含めて、今までの生活の変更を余儀なくされる。

それらの病気は、私自身の今までの生活を考えると、いつなっても不思議ではない症状である。しかし、今後は大いに注意をして、脳梗塞・心筋梗塞・認知症・アルツハイマー病・ガンにはなりたくないと思う。また、妻にもなってほしくない。
幾重にも折り重なって、さざ波進む。


私は、川の流れを見るのが好きだ。よく多摩川の岸辺に座って、流れを眺めている。『方丈記』の冒頭「行(ゆ)く川の流れは絶えずして、しかも もと(本)の水にあらず。淀(よど)みに浮ぶ うたかた(泡沫)は、かつ消えかつ結びて、久しく止(とゞ)まる事なし。世の中にある人と住家(すみか)と、またかくの如し。」などを考えながら。

ちょうど階段状になっている場所の上手が淀みになっていて、そこを過ぎると流れが速くなり、さざ波ができる。それを見ていると、いつまでも飽きない。

アオサギは警戒心が強いためか、あまり近くには来ない。しかし、コサギは流れの向こう側くらいまで近づいてくることがある。コイもいるが、水がきれいになってアユやハヤなども復活してきたのであろう。
何をするのも面倒な体調嘆く。


何をするのも面倒なときがある。体調が優れなく、何となく病気がちのとき。そんなときは、物憂くて身体がしんどい。つい、グチりがち。

しかし、もしかしたら体調の問題でないかもしれない。もっと本質的な原因、例えば加齢による自然現象などが考えられる。なぜならば、若いころにはなかった気分だからである。

いずれにしても、「面倒くさい!」とか「億劫だ!」などと言ったりするようになると要注意。言うだけでなく、感じたり考えてもダメ。老化という現象は、少しずつではあるが非可逆的に進んでいくらしい。いちばんいいのは、そんなことを考えないことではないか。面倒なときがあっても、グチったり体調を嘆いたりしなければよいのだろうか。
老いてから、疲れがすぐに身体(からだ)に生ず。


若いころは、元気溌剌(げんきはつらつ)。いわゆる、「疲れ知らず」だった。それが、還暦を過ぎたころから事情が違ってきたようだ。何かをすると、すぐに疲れちゃうのだ。そして、続けるのが億劫(おっくう)というか、面倒になって投げ出す。

それでも、しばらくすると疲れがとれる。そこで、また始める。しかし、やはりすぐに疲れちゃう。そんな現実だから、困ったことだ。

何となく、古くなったバッテリーみたい。充電をすると、また使えるようになる。しかし、すぐにダメになる。しょっちゅう充電をしないと、役に立たない。そんなことがよくある。だから結局、バッテリー自体を新品に変えることになる。何となく、人間についてもいえることではないか。
キリのないこと、ことごとく、ほどほどにする。


人生の持ち時間が、だいぶ少なくなってしまった。そこで、キリのないことをいつまでもダラダラしているわけにはいかない。なるべく、自分自身でも納得のいく内容にしておきたいからである。

しかし、何がキリがあってキリがないかの選択も大事。サラリーマン時代には、キリがあってもなくても、馬車馬(ばしゃうま)のごとく働いた。そして、あまり疲れも知らなかった。かなり疲れたときでも、翌日になると元に戻るのが常だった。

しかし、老いてくると疲れが取れない。ダラダラとキリのないことをしていると、気分までおかしくなる。例えば、テレビなどを三時間以上も見ていると、肩が凝ってくる。また、頭がギンギンしてきて、気分が優れない。そんなことから、あまり熱中してもいけないことがわかってきた。
人生のおおかた終えて、後は死ぬだけ。


若かった時代は、とっくに過ぎて古希になる。つまり、人生のおおかたが過ぎてしまった。後に残った大事といえば、自分自身が死ぬことであろう。考えてみれば、今までの時間が「あっと言う間」に過ぎ去ってしまったみたい。

しかし、まだ死んだ経験がないので、死んだ後のことはわからない。だから、何となく心配のことがある。例えば、死後の生のこと。脳がすべてを感知するから、その脳が焼かれてしまったら、もはや考えることもできないし、判断をすることもできないという。それが、現代科学の常識であろう。

そうは言っても、何となく割り切れない感じがする。昔から言うように、魂という概念か、知覚や念だけが死後も残るという心配である。そして、よくいうように「死んでも死に切れない」などという葛藤の状態を恐れる。いったい、「こころ」とは何であろうか。
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