rikの新句(十九音)独り言。固定概念にはとらわれず、現時点で「生きている証明」をしました。
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ただ一人、宇宙に置かれたような心地。
なぜだろうか? 最近になって、何となく孤独感が増してきたみたいで、心細い。大げさにいうと、宇宙の中に自分がただよっているような感じ。決してそんなわけではないだろうが、何となく孤独感は否めない。
もしかしたら、もうじき自分自身が宇宙の中に還っていくのだろうか。つまり、死んで焼かれて、灰になってしまうことを暗示しているのかもしれない。
人間は死んだら脳も焼かれてしまうので、もはや思考することはできないという。そう言われてみると、そうかもしれない。しかし、私たちの考えている脳のほかにも知覚をする部分があったとしたら、どうであろうか。脳の機能が心臓にあると信じていた時代もあったのだから、さらに科学が進むと驚くことがわかるかもしれない。と、私(rik)は思う。
なぜだろうか? 最近になって、何となく孤独感が増してきたみたいで、心細い。大げさにいうと、宇宙の中に自分がただよっているような感じ。決してそんなわけではないだろうが、何となく孤独感は否めない。
もしかしたら、もうじき自分自身が宇宙の中に還っていくのだろうか。つまり、死んで焼かれて、灰になってしまうことを暗示しているのかもしれない。
人間は死んだら脳も焼かれてしまうので、もはや思考することはできないという。そう言われてみると、そうかもしれない。しかし、私たちの考えている脳のほかにも知覚をする部分があったとしたら、どうであろうか。脳の機能が心臓にあると信じていた時代もあったのだから、さらに科学が進むと驚くことがわかるかもしれない。と、私(rik)は思う。
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友もなく、金なく、地位もなくて安らか。
負け惜しみではない。親しかった友たちは、最近になって次々と死んでしまった。また、金や地位がないのは、満足な仕事を日々しなかったためであろう。そんなわけで、私はいわゆる三無斉である。
江戸中期の経世家、林子平(はやししへい 1738~1793)は、
<親も無し妻無し子無し板木無し金も無けれど死にたくも無し>
と歌って、六無斎(ろくむさい)と称した。
板木は印刷に使うものと思われるが、それがないと出版できないという意味らしい。むろん、金がないので板木を買うこともできない。そして、最後の「死にたくもなし」は彼自身の本音とも思われる。つまり、生きていれば「まだ、チャンスが来るんじゃないか」と、考えているのではないか。
負け惜しみではない。親しかった友たちは、最近になって次々と死んでしまった。また、金や地位がないのは、満足な仕事を日々しなかったためであろう。そんなわけで、私はいわゆる三無斉である。
江戸中期の経世家、林子平(はやししへい 1738~1793)は、
<親も無し妻無し子無し板木無し金も無けれど死にたくも無し>
と歌って、六無斎(ろくむさい)と称した。
板木は印刷に使うものと思われるが、それがないと出版できないという意味らしい。むろん、金がないので板木を買うこともできない。そして、最後の「死にたくもなし」は彼自身の本音とも思われる。つまり、生きていれば「まだ、チャンスが来るんじゃないか」と、考えているのではないか。
河川浴、行く水を見て心和みぬ。
河川浴といっても、裸になって水に入るわけでない。また、宗教とも関係がなく、むろん洗礼でもない。ただ、山奥の上流から流れ出た川の畔(ほとり)にいて、川面の清冽な空気を深呼吸する。おそらくオゾンも含まれていて、あたかも森林浴などと同じ効果があると思う。
『方丈記』の冒頭にある
<行(ゆ)く川の流れは絶えずして、しかも もと(本)の水にあらず。淀(よど)みに浮ぶ うたかた(泡沫)は、かつ消えかつ結びて、久しく止(とゞ)まる事なし。世の中にある人と住家(すみか)と、またかくの如し。>
などという文章を思い出したりもする。
河川浴は、健康や老化予防にも大いに効果があるだろう。
河川浴といっても、裸になって水に入るわけでない。また、宗教とも関係がなく、むろん洗礼でもない。ただ、山奥の上流から流れ出た川の畔(ほとり)にいて、川面の清冽な空気を深呼吸する。おそらくオゾンも含まれていて、あたかも森林浴などと同じ効果があると思う。
『方丈記』の冒頭にある
<行(ゆ)く川の流れは絶えずして、しかも もと(本)の水にあらず。淀(よど)みに浮ぶ うたかた(泡沫)は、かつ消えかつ結びて、久しく止(とゞ)まる事なし。世の中にある人と住家(すみか)と、またかくの如し。>
などという文章を思い出したりもする。
河川浴は、健康や老化予防にも大いに効果があるだろう。
膀胱は加齢とともに小さくなるか?
歳をとると、オシッコが近くなる。個人差があるので一概には言えないが、ふつう膀胱の容量は成人で500ミリリットル。そして、250ミリリットルを超えるあたりから、膀胱の内圧が高くなって尿意をもよおす。
膀胱壁の筋肉は三層で、よく伸び縮みをする。しかし、歳をとってくるとオシッコを貯める容量が次第に少なくなってくるらしい。オシッコが近くなったり、ひどいときにはおもらしをしてしまう。
そうかといって、ちょっと尿意をもよおすごとにトイレに行くと、ますます近くなってしまうという。ある程度、我慢をして膀胱に貯める努力も必要であろう。いっぽうでは、ユダヤのラビによる教訓に「オシッコを我慢してはいけない。したくなったときは、すぐするように」というのがあったと思う。いったい、どちらがいいのだろうか。
歳をとると、オシッコが近くなる。個人差があるので一概には言えないが、ふつう膀胱の容量は成人で500ミリリットル。そして、250ミリリットルを超えるあたりから、膀胱の内圧が高くなって尿意をもよおす。
膀胱壁の筋肉は三層で、よく伸び縮みをする。しかし、歳をとってくるとオシッコを貯める容量が次第に少なくなってくるらしい。オシッコが近くなったり、ひどいときにはおもらしをしてしまう。
そうかといって、ちょっと尿意をもよおすごとにトイレに行くと、ますます近くなってしまうという。ある程度、我慢をして膀胱に貯める努力も必要であろう。いっぽうでは、ユダヤのラビによる教訓に「オシッコを我慢してはいけない。したくなったときは、すぐするように」というのがあったと思う。いったい、どちらがいいのだろうか。
大腸にいる細菌は百兆くらい。
私たち一人の大腸に寄生している細菌の数は、何と100種類で百兆もいるという。まったく、ものすごい数である。大腸は、小腸に続く消化管の最後の部分。上から盲腸・結腸・直腸と続き、長さは成人で1.5メートルくらい。そこでは消化酵素を作らないが、水分と電解質を吸収して糞便を作る。
大腸には、さまざまな細菌がいて、腸内で消化・吸収されなかったものの大部分を発酵・腐敗させてガスを発生する。そのようなものは人体に不要化とも思われるが、光岡知足氏は『腸内細菌の話』で、「有用な菌もあって栄養や感染防御に役立っている」と述べている。
さらに、「このヒトと細菌の関係は、生物の長い歴史のなかで互いに共存を前提として獲得しえた生存様式といえましょう」とも書いておられる。
私たち一人の大腸に寄生している細菌の数は、何と100種類で百兆もいるという。まったく、ものすごい数である。大腸は、小腸に続く消化管の最後の部分。上から盲腸・結腸・直腸と続き、長さは成人で1.5メートルくらい。そこでは消化酵素を作らないが、水分と電解質を吸収して糞便を作る。
大腸には、さまざまな細菌がいて、腸内で消化・吸収されなかったものの大部分を発酵・腐敗させてガスを発生する。そのようなものは人体に不要化とも思われるが、光岡知足氏は『腸内細菌の話』で、「有用な菌もあって栄養や感染防御に役立っている」と述べている。
さらに、「このヒトと細菌の関係は、生物の長い歴史のなかで互いに共存を前提として獲得しえた生存様式といえましょう」とも書いておられる。
何気なく鼻毛を抜くと、化膿の危険!
何となく、鼻がムズムズとすることがある。そこで、指でそこを弄(まさぐ)り、きゅっと掴(つか)んで鼻毛を抜く。ちょっと痛いが、瞬間のことである。抜いた後は、すっきりして気持ちがよい。
しかし、そのようなことを何回もすると、抜いた後に細菌が入ってしまって化膿することがあるのではないか。したがって、抜くのではなくて鋏で切ったほうが安全だ。それ専用で、先の丸くなった小型の鋏がある。
平賀源内の『風流志道軒伝』巻之一に「不偏不易の理を知らず、鼻毛を抜かないことから起こった大たわけなのじゃ。」というようなくだりがあるが、それはそれ、昔は昔、今は今。ついでながら、鼻毛ではないが耳の毛の話で、インドだったか、棒の先に付けた綿花を燃やして、その炎で毛を焼き切るというのがあったが、鼻には応用できないと思う。
何となく、鼻がムズムズとすることがある。そこで、指でそこを弄(まさぐ)り、きゅっと掴(つか)んで鼻毛を抜く。ちょっと痛いが、瞬間のことである。抜いた後は、すっきりして気持ちがよい。
しかし、そのようなことを何回もすると、抜いた後に細菌が入ってしまって化膿することがあるのではないか。したがって、抜くのではなくて鋏で切ったほうが安全だ。それ専用で、先の丸くなった小型の鋏がある。
平賀源内の『風流志道軒伝』巻之一に「不偏不易の理を知らず、鼻毛を抜かないことから起こった大たわけなのじゃ。」というようなくだりがあるが、それはそれ、昔は昔、今は今。ついでながら、鼻毛ではないが耳の毛の話で、インドだったか、棒の先に付けた綿花を燃やして、その炎で毛を焼き切るというのがあったが、鼻には応用できないと思う。
いやしくも始めてみたり、ビールの研究。
ビールの研究といっても、科学的なことではない。つまり、ここでは価格のことである。私(rik)は飲兵衛だから、ほとんど毎日ビールを飲む。しかしすでに年金生活者なので、なるべく安く飲みたい。そこで、外食をするときのことを考えてみた。
(1) サントリービール工場……グラス三杯という制約。30分ほどの工場見学という条件があるが無料。分倍河原から無料送迎バスがある。
(2) 吉野家で中瓶……500ml=400円。しかし、ビールだけ注文というわけにはいかない。ふつう、豚丼370円とともに注文。合計770円。
(3) サイゼリアで中ジョッキー……435ml=390円。これは、半熟卵のミラノ風ドリア368円とともに注文。合計758円。
ビールの研究といっても、科学的なことではない。つまり、ここでは価格のことである。私(rik)は飲兵衛だから、ほとんど毎日ビールを飲む。しかしすでに年金生活者なので、なるべく安く飲みたい。そこで、外食をするときのことを考えてみた。
(1) サントリービール工場……グラス三杯という制約。30分ほどの工場見学という条件があるが無料。分倍河原から無料送迎バスがある。
(2) 吉野家で中瓶……500ml=400円。しかし、ビールだけ注文というわけにはいかない。ふつう、豚丼370円とともに注文。合計770円。
(3) サイゼリアで中ジョッキー……435ml=390円。これは、半熟卵のミラノ風ドリア368円とともに注文。合計758円。