rikの新句(十九音)独り言。固定概念にはとらわれず、現時点で「生きている証明」をしました。
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老いた日の手持ち無沙汰は、死期を早める?
老いてからの何もすることがない日々は、寿命を縮めるのかもしれない。知人たちを見ていると、さもありなんと思う。ある人は奥さんに先立たれてから、何もしなくなってしまった。そして、半年後に後を追うかのように、あっけなく死んでしまったのである。
亡くなる少し前に、お宅を尋ねた人がいた。すると、部屋の中には物がいっぱい乱雑に置いてある。面倒になって、片づけをしないらしい。それまでは、すべて奥さんが元気にやっていたことである。
部屋の掃除や、整理など。
おそらく、手持ち無沙汰だったのではなく、「やる気力を失(な)くしてしまった」のであろう。その人は、奥さんを愛し、すっかり頼り切っていたのだから。
老いてからの何もすることがない日々は、寿命を縮めるのかもしれない。知人たちを見ていると、さもありなんと思う。ある人は奥さんに先立たれてから、何もしなくなってしまった。そして、半年後に後を追うかのように、あっけなく死んでしまったのである。
亡くなる少し前に、お宅を尋ねた人がいた。すると、部屋の中には物がいっぱい乱雑に置いてある。面倒になって、片づけをしないらしい。それまでは、すべて奥さんが元気にやっていたことである。
部屋の掃除や、整理など。
おそらく、手持ち無沙汰だったのではなく、「やる気力を失(な)くしてしまった」のであろう。その人は、奥さんを愛し、すっかり頼り切っていたのだから。
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面倒になってしまった! 記事の書き込み。
新たな記事を書く。あるいは、前に書いた記事を修正する。つまり、日々更新をしていく。しかし、そんなことがいつしか面倒になってしまった。なぜならば、いつまでたっても自分自身の考え方が確立していないということが、つくづく身にしみてわかったからである。
「字を識(し)るは、憂患の始め」と、宗時代の蘇軾(そしょく)が言ったという。まったく、そのとおりだと思う。字ばかりか、知識を次から次へと求めていくと煩わしくてキリがない。
とどのつまり、未完成の自分がいくらがんばって文章を作っても、その文章は未完成ということになろう。不完全のそしりを免れない。『荘子』にあるように、有限の身で無限を求めるのは、いわゆる「しこめ(醜女)のお化粧」のようなものであろう。自分で気付かないうちが花。
新たな記事を書く。あるいは、前に書いた記事を修正する。つまり、日々更新をしていく。しかし、そんなことがいつしか面倒になってしまった。なぜならば、いつまでたっても自分自身の考え方が確立していないということが、つくづく身にしみてわかったからである。
「字を識(し)るは、憂患の始め」と、宗時代の蘇軾(そしょく)が言ったという。まったく、そのとおりだと思う。字ばかりか、知識を次から次へと求めていくと煩わしくてキリがない。
とどのつまり、未完成の自分がいくらがんばって文章を作っても、その文章は未完成ということになろう。不完全のそしりを免れない。『荘子』にあるように、有限の身で無限を求めるのは、いわゆる「しこめ(醜女)のお化粧」のようなものであろう。自分で気付かないうちが花。
大きいか小さいかなど、問題がない。
最近になって妙なことに気付いた。それは、きわめて曖昧模糊(あいまいもこ)とした空間と時間に対する概念。つまり、宇宙観とでもいおうか。
「壷中(こちゅう)天あり」という。また、お釈迦さまの手の中から出れなかった孫悟空。つまり、私たちは「時間と空間」の歪(ひずみ)の中で錯覚をしているのではないか。
そもそも時空それ自体が線形であるなどと、誰が考えたのだろう。壷老人や孫悟空は、直感的に反駁している。
考えてみれば、大腸菌などのパラサイトは「私たちの身体を銀河系よりも大きく感じている」かもしれない。そして、その銀河系が無数にあるという事実にも、ちょうど私たちの知識の場合と同じ。
まだちょっと言い足りないので、別な機会に補足をしよう。
最近になって妙なことに気付いた。それは、きわめて曖昧模糊(あいまいもこ)とした空間と時間に対する概念。つまり、宇宙観とでもいおうか。
「壷中(こちゅう)天あり」という。また、お釈迦さまの手の中から出れなかった孫悟空。つまり、私たちは「時間と空間」の歪(ひずみ)の中で錯覚をしているのではないか。
そもそも時空それ自体が線形であるなどと、誰が考えたのだろう。壷老人や孫悟空は、直感的に反駁している。
考えてみれば、大腸菌などのパラサイトは「私たちの身体を銀河系よりも大きく感じている」かもしれない。そして、その銀河系が無数にあるという事実にも、ちょうど私たちの知識の場合と同じ。
まだちょっと言い足りないので、別な機会に補足をしよう。
衰えることは、いったいどういう意味か?
人間は誰しも老いて、衰える。当たり前のことである。人間ばかりでなく、たいがいの生物はそうである。この「衰える」ということは、単に一つの経年変化ではないか。機械や道具などでも、そのようなことがあるだろう。
しかし一方では、いつまでも衰えずに若い人がいる。めったにいないが、いることは事実と思う。自分はそうでないが、何となくわかるような気がするのだ。
「老いる」とか「衰える」というのは、時間に関する現象である。もしも、時間が止まっていたら、「老いる」ことも「衰える」ことも起こりえないのかもしれない。そして、さらに私は「時間自体が実在しない概念なのかもしれない」とも感じるのだが。何となく支離滅裂で、論理を構築するのが困難ではあるが、……
あなたは、どうであろうか。
人間は誰しも老いて、衰える。当たり前のことである。人間ばかりでなく、たいがいの生物はそうである。この「衰える」ということは、単に一つの経年変化ではないか。機械や道具などでも、そのようなことがあるだろう。
しかし一方では、いつまでも衰えずに若い人がいる。めったにいないが、いることは事実と思う。自分はそうでないが、何となくわかるような気がするのだ。
「老いる」とか「衰える」というのは、時間に関する現象である。もしも、時間が止まっていたら、「老いる」ことも「衰える」ことも起こりえないのかもしれない。そして、さらに私は「時間自体が実在しない概念なのかもしれない」とも感じるのだが。何となく支離滅裂で、論理を構築するのが困難ではあるが、……
あなたは、どうであろうか。
数日で、固有な文字を拾ってくれる。
ホームページやプログに、固有な文字をインプットする。直後はムリだが、数日後にはすでにその文字を拾っているようだ。
後になると、その文字をどこに書いたかを忘れてしまう。そんなときには、Googleで自分のURLをドメイン指定してウェブ検索をする。すると、またたく間に出てくる。
もっとも、特殊なものであればドメイン指定は不要。
例えば、「松柏林天満宮」。今のところ、二件。
また、「きりはなこくった」は分解されたものも出てくる。そこで、両端を「”」で囲んで「”きりはなこくった”」のようにインプットする。すると、検索上の一語になってドメイン指定をしなくても私のだけが並ぶ。
そんなわけで、後になっても書いた場所が簡単に探せる。したがって、そこを参照したり、書き加えたりすることが可能になる。このウェブ検索では。何とも、ありがたいシステムである。
ホームページやプログに、固有な文字をインプットする。直後はムリだが、数日後にはすでにその文字を拾っているようだ。
後になると、その文字をどこに書いたかを忘れてしまう。そんなときには、Googleで自分のURLをドメイン指定してウェブ検索をする。すると、またたく間に出てくる。
もっとも、特殊なものであればドメイン指定は不要。
例えば、「松柏林天満宮」。今のところ、二件。
また、「きりはなこくった」は分解されたものも出てくる。そこで、両端を「”」で囲んで「”きりはなこくった”」のようにインプットする。すると、検索上の一語になってドメイン指定をしなくても私のだけが並ぶ。
そんなわけで、後になっても書いた場所が簡単に探せる。したがって、そこを参照したり、書き加えたりすることが可能になる。このウェブ検索では。何とも、ありがたいシステムである。
デジカメは手に和む大きさ、私には。
初めて買ったオリンパスの「μ-20 DIGITAL」(400万画素)は、いまだに愛用している。まったく私の手に和む大きさで、扱い方も簡単。晴れた日は、オートにしておいてもよく撮れる。
各画像の縦・横変換や角度調整、そしてトリミングなどを「Paint Shop Pro」でする。そして、ホームページのアルバムに次々と貼り付ける。すでに、約一万枚の画像を作成した。
その他に、動画(ムービー)もかなりある。
そんなわけで、デジカメはもはや手放せないツール。
なぜオリンパスにしたかというと、かつて「オリンパスペン」というハーフサイズのカメラを愛用。しかし、重さや大きさなどははるかに改善されている。また、DPEの必要もない。ずいぶんと進化をしたものだ。
初めて買ったオリンパスの「μ-20 DIGITAL」(400万画素)は、いまだに愛用している。まったく私の手に和む大きさで、扱い方も簡単。晴れた日は、オートにしておいてもよく撮れる。
各画像の縦・横変換や角度調整、そしてトリミングなどを「Paint Shop Pro」でする。そして、ホームページのアルバムに次々と貼り付ける。すでに、約一万枚の画像を作成した。
その他に、動画(ムービー)もかなりある。
そんなわけで、デジカメはもはや手放せないツール。
なぜオリンパスにしたかというと、かつて「オリンパスペン」というハーフサイズのカメラを愛用。しかし、重さや大きさなどははるかに改善されている。また、DPEの必要もない。ずいぶんと進化をしたものだ。
人生は「待ちくたびれ」て、いつしか終わる。
いよいよ私も人生の終盤戦。救世主の現れるのを待ち続けていた民族があるが、私は別に救世主を待っているのではない。それでは、何を待ち続けて待ちくたびれたのか。
それは、一言では言えない。
しかし、無理やりに言ってしまえば、何と言おうか「心の安らぎ」とでも考えたらよいのだろう。何回も参考資料として引き合いに出すので恐縮ではあるが、「私の福音書」(自己福音書)にある「黒い皮袋」である。
そもそも、福音書とは「幸福の音信(いんしん)」の略で、新約聖書冒頭の四福音書や共観福音書のようなスタイルではないと思う。むしろ、パウロの手紙のような書式である。それが、度重なる修正・加筆のために伝記のようなスタイルになってしまったのであろう。……
今年は、パウロの生誕2000年である。
いよいよ私も人生の終盤戦。救世主の現れるのを待ち続けていた民族があるが、私は別に救世主を待っているのではない。それでは、何を待ち続けて待ちくたびれたのか。
それは、一言では言えない。
しかし、無理やりに言ってしまえば、何と言おうか「心の安らぎ」とでも考えたらよいのだろう。何回も参考資料として引き合いに出すので恐縮ではあるが、「私の福音書」(自己福音書)にある「黒い皮袋」である。
そもそも、福音書とは「幸福の音信(いんしん)」の略で、新約聖書冒頭の四福音書や共観福音書のようなスタイルではないと思う。むしろ、パウロの手紙のような書式である。それが、度重なる修正・加筆のために伝記のようなスタイルになってしまったのであろう。……
今年は、パウロの生誕2000年である。