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rikの新句(十九音)独り言。固定概念にはとらわれず、現時点で「生きている証明」をしました。
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わからないことばかりあり、マップの仕組み?


グーグルのマップを利用し始めたのが一年前。その素晴らしい仕組みに、ただ驚くばかり。そこで、勉強をして何とかマスターしたいと思った。

でも、やってみるとわからないことばかり。もたもたしていると、「いったい何のために何をやっているか」さえも自信がなくなってしまう。やはり、私にはムリであったのだろうか。

ここのところ、しばらくすると自分自身でやったことも忘れてしまう始末。そんなわけで、まずプライベートな

Googleマップ入門

が必要になる。

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字だらけと絵だらけとあり、プログの世界。


面白いので、ときどきプログの新着を見る。
とくに、誰の何々というプログを見るわけでない。リストから好みのタイトルを選ぶ。次々と書き込みがあって、1分間に60くらい上がってくる。つまり、1秒に1つがアップされている。作るほうも作るほうであるが、読むほうも大変であろう。また、カウンターを見るとほとんど読まれていない感じのものも多い。

字がぎっしりとつまったもの、そして素晴らしい絵のもの。まぁ何とエネルギッシュな人が多いものだと、つくづく感心してしまう。私もがんばってみたが、そろそろ疲れてきた。

最近になって発掘された古代アッシリアの粘土板に、「誰もが文章を書きたがる時勢になった。世は終わりだ!」というのがあったという。
疎ましく、不要なものは持ちたくもなし。


「人生のしがらみ」とでも、言ったらよいだろうか。
「しがらみ」は、「柵」からきている。川の水流をせき止めるために、杭(くい)を打って、木の枝や竹などを横に取り付けたものが柵。そこから、まとわりついたり、じゃまをするものを「世間のしがらみ」などと言うようになったらしい。つまり、「しがら(柵)む」という動詞の連用形である。

「疎ましい」は、いい感じがしないので遠ざけたい気持ち。つまり、イヤなのである。恐ろしかったり、気味が悪いこともある。つまり、しがらみでもつことになった品物のことだ。

パソコンのツールも同じ。ツールというか、ソフトの断片。そんなものが増えていくと、何とも効率の悪いシステムになってしまう。

どう見ても、やらせはやらせ、空しかるべし。


テレビを見ていると、やらせ番組がかなりある。面白くしようとして企画した結果であるが、実際には面白くない。からくりが、わかってしまうからである。

何かを言ったりしたりすると、「それは知っている」としたり顔にいう人がよくいる。私は、それを言うほど愚かではない。しかし、結果を視聴者に暗示するような番組は、すぐに飽きてしまう。なぜならば、相手の意思で動かされているからである。

「やらせがいけない」などと言っているのではない。私が言いたいのは、個性を奪ってしまうような方法を報道が用いるのは、困ったことだということ。

中には、笑う箇所まで指定するような愚かな番組があるという。
だんだんと負荷重くなり、のろのろとする。


老いてくると、何となく身体(からだ)が重い。そこで動きが鈍くなって、のろのろとする。それは、誰にも言える事実であろう。

しかし、ここで言っているのは身体のことではないんだ。
実は、私のこのパソコン。ノートパソコンでは負荷が大きいと考えて、DELLの「DIMENSION 8400」を入れたのは、すでにかなり以前。最初サクサクと動いていたのだが、いつの間にかそれも重くなってしまった。

ディスクのデフラグなどガベージコレクションやファイルの再配置などをするのだが、なかなか結果は改善されず、うまくいかない。面倒なもんだ。

やはり、さらに大型で高性能のものを入手する必要があるのだろうか。動きが鈍くなった理由は、何となくウイルス対策などのムダが多いシステムになってきたような気がする。
龐居士(ほうこじ)とフランチェスコは、垂涎の的。


龐居士(ほうこじ)とフランチェスコがしたことは潔(いさぎよ)く、かねてから私はうらやましく思っている。そして、自分もそうありたいなどと、いつも思うのではあるが、……

龐居士(ほうこじ)は参禅を始めるときに、家財道具をすべて荷車に載せて崖の上から海に捨てた。誰かが「困った人に施せばよいのに」と言うと、「自分自身に好ましくないものを他人に与えることはできない」と答えたらしい。

フランチェスコは自分が信仰に入るときに、敷物や衣類などの商品をすべて窓から投げ出して捨て、貧しい人に施したと書いてあった。

「垂涎(すいぜん)の的」は連語になっているが、「何としてでも手に入れたい貴重なもの」ということではなく、私の場合はむしろ「何とか真似をしたい羨(うらや)ましいこと」と言った意味。
脳のもつ不思議と不気味、うすうすわかる。


今までに「なぜ人間が愚かしいことをするか?」などと、いつも考えてきた。しかし、正直言うと「人間が」じゃない。考え始めた動機は、「私が」なのである。
私は学者ではないので、あまり学問には興味がない。しかし、自分自身のトラブルに対しては、興味どころか現実の切実な問題!

そこで、考えているうちに奇妙な結論に達した。
そして、あまりにもとっぴな事実なので、自分自身でも疑わしいのである。考えていることの整理と検討をするために、
  脳の不思議(脳の不思議・脳の不気味さ=私の宇宙(脳が考える時間・空間」))
とう長ったらしいテーマで、恐る恐るまとめているところ。

そのようなことは、一般の人たちの誰にもわかっていないらしい。あたかも、養鶏場に飼われているニワトリのように。


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