rikの新句(十九音)独り言。固定概念にはとらわれず、現時点で「生きている証明」をしました。
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ブツブツと言い始めたら、注意が必要!
最近になって、知人が何やら独り言を言うようになった。
誰とも話をしていないときでも、いつもブツブツと呟(つぶや)いている。顔を見ると、何となく放心をしているみたい。
私が、
「どうしたの?」
と言うと、はっとして正気になるようだ。
すると、もはや何でもないのである。
ちょっと不気味ではあるが、ここのところ身の回りに、そんなタイプの人が増えているという。
おそらく、精神に異常を来たし始めているのかもしれない人が、多くなったのではないか。
正直な話、自分自身でも、そんなことがあって心配。
あなたは、いかが?
最近になって、知人が何やら独り言を言うようになった。
誰とも話をしていないときでも、いつもブツブツと呟(つぶや)いている。顔を見ると、何となく放心をしているみたい。
私が、
「どうしたの?」
と言うと、はっとして正気になるようだ。
すると、もはや何でもないのである。
ちょっと不気味ではあるが、ここのところ身の回りに、そんなタイプの人が増えているという。
おそらく、精神に異常を来たし始めているのかもしれない人が、多くなったのではないか。
正直な話、自分自身でも、そんなことがあって心配。
あなたは、いかが?
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体力は、次第次第に衰えていく。
老いてくると、それはいたしかたないことかもしれない。
しかし、智力はそうではないらしい。
老いてきても、ますます増していくようだ。
もっとも、加齢によって呆(ぼ)けてしまったり、記憶が薄らいでいく人も現実にかなり多くいることはいる。
また、高齢になってから、投資や趣味などでも愚かしいことを始めたり、まるで赤ちゃんのような理屈では考えられないことをする人もいる。
もしかしたら、老いると節操や自制心がなくなってしまうのではないか。
そんなことを思案していると、先行きが何となく不安になってしまう。
「オレだけは大丈夫だ」などと言えるのは、若いうちの間だけであろう。
体力が衰えていくのは、いたしかたない。
しかし、記憶力や智力は何とかして、いつまでも保持しておきたいのものだ。
あなたは、自信ありますか?
老いてくると、それはいたしかたないことかもしれない。
しかし、智力はそうではないらしい。
老いてきても、ますます増していくようだ。
もっとも、加齢によって呆(ぼ)けてしまったり、記憶が薄らいでいく人も現実にかなり多くいることはいる。
また、高齢になってから、投資や趣味などでも愚かしいことを始めたり、まるで赤ちゃんのような理屈では考えられないことをする人もいる。
もしかしたら、老いると節操や自制心がなくなってしまうのではないか。
そんなことを思案していると、先行きが何となく不安になってしまう。
「オレだけは大丈夫だ」などと言えるのは、若いうちの間だけであろう。
体力が衰えていくのは、いたしかたない。
しかし、記憶力や智力は何とかして、いつまでも保持しておきたいのものだ。
あなたは、自信ありますか?
『ニュートン』と『ムー』があるかを探していたり。
ときどき書店に行くと、雑誌コーナーに行って、『ニュートン』や『ムー』があるかどうかを確かめる。そして、内容が面白かったら買う。
しかし、『ニュートン』は雑誌のところにはない。奥の科学書のコーナーに専用棚があるからだ。『ムー』は、手前の雑誌コーナーに置いてある。いつも私が買う聖蹟桜ヶ丘A館のくまざわ書店アカデミアでは。
前者は、竹内という編集者の考え方が私とは大いに異なるので、ちょっと抵抗を感じるが、すでに買ってもっている十数冊の内容は素晴らしい。
後者は、大学の同じ科の後輩であるマイトレーヤという人が愛読していたなどとテレビにかつて報道されたので、ちょっと買うときにやはり抵抗を感じる。
私は、宗教や超能力を好むわけではない。むしろ、その反対なのである。
ただ、自分自身の回りに生じている不可解な現象を調べたいだけだ。
むろん「ああ言えば、こう言う」などというような御託(ごたく)を並べたり、屁理屈をこねるつもりなど、まったくない。
ときどき書店に行くと、雑誌コーナーに行って、『ニュートン』や『ムー』があるかどうかを確かめる。そして、内容が面白かったら買う。
しかし、『ニュートン』は雑誌のところにはない。奥の科学書のコーナーに専用棚があるからだ。『ムー』は、手前の雑誌コーナーに置いてある。いつも私が買う聖蹟桜ヶ丘A館のくまざわ書店アカデミアでは。
前者は、竹内という編集者の考え方が私とは大いに異なるので、ちょっと抵抗を感じるが、すでに買ってもっている十数冊の内容は素晴らしい。
後者は、大学の同じ科の後輩であるマイトレーヤという人が愛読していたなどとテレビにかつて報道されたので、ちょっと買うときにやはり抵抗を感じる。
私は、宗教や超能力を好むわけではない。むしろ、その反対なのである。
ただ、自分自身の回りに生じている不可解な現象を調べたいだけだ。
むろん「ああ言えば、こう言う」などというような御託(ごたく)を並べたり、屁理屈をこねるつもりなど、まったくない。
紅白のだんだら車両、走るのを見た。
先日(2007年10月5日、金曜日)午後2時頃、京王線の多摩川橋梁を府中方面に向かって、工事用車両の編成が走っていくのを見た。
いつも、高幡不動の西側の車両基地に置いてある電車だ。
3両ほどで編成されていて、すべて紅白のだんだら模様が付いている。その中央の車両は、クレーン車であろうか特異な形をしているので、注意を引きやすい。
私は、おそらく夜間の保線工事用に利用するものとばかり思っていたので、日中に本線を走っているところを見たので、とてもうれしかった。
しかし、その走行には思いもよらず急に気付いたことだったので、デジカメで撮影する間がなかったことが、大いに残念。
でも、見ただけでも思い出になって楽しい。
先日(2007年10月5日、金曜日)午後2時頃、京王線の多摩川橋梁を府中方面に向かって、工事用車両の編成が走っていくのを見た。
いつも、高幡不動の西側の車両基地に置いてある電車だ。
3両ほどで編成されていて、すべて紅白のだんだら模様が付いている。その中央の車両は、クレーン車であろうか特異な形をしているので、注意を引きやすい。
私は、おそらく夜間の保線工事用に利用するものとばかり思っていたので、日中に本線を走っているところを見たので、とてもうれしかった。
しかし、その走行には思いもよらず急に気付いたことだったので、デジカメで撮影する間がなかったことが、大いに残念。
でも、見ただけでも思い出になって楽しい。
楽しみは、初めての道、小さな発見。
老いてしまったせいか、あまり遠くへは行けない。
しかし、近場のそぞろ歩きの中にも、大きな楽しみがある。
それは、ちょっとした小さな発見ができること。
路傍に咲いている美しい花や、珍しい花。そして木々。また、石や建物、さらに景色などすべてだ。
そして、暑い日差しのときの木陰の気持ちよさ、吹いてくる涼しい風なども。
そんな中に楽しみがあったり、小さな発見がある。
ときには、デジャビュ(既視感)というのであろうか、何となくなつかしい気持がする場所がある。
もしかしたら、幼いときに同じようなところに来たのかもしれない。さらに、自分ではなく、父母や祖父母たちがそこにいたのかもしれない。理由はわからなくても追体験をすることは、なかなか興味深い。
そんなことを考えると、楽しくなってしまう。
初めてのコースを行くと、そんなことがよくある。
老いてしまったせいか、あまり遠くへは行けない。
しかし、近場のそぞろ歩きの中にも、大きな楽しみがある。
それは、ちょっとした小さな発見ができること。
路傍に咲いている美しい花や、珍しい花。そして木々。また、石や建物、さらに景色などすべてだ。
そして、暑い日差しのときの木陰の気持ちよさ、吹いてくる涼しい風なども。
そんな中に楽しみがあったり、小さな発見がある。
ときには、デジャビュ(既視感)というのであろうか、何となくなつかしい気持がする場所がある。
もしかしたら、幼いときに同じようなところに来たのかもしれない。さらに、自分ではなく、父母や祖父母たちがそこにいたのかもしれない。理由はわからなくても追体験をすることは、なかなか興味深い。
そんなことを考えると、楽しくなってしまう。
初めてのコースを行くと、そんなことがよくある。
可能性、次々と失せ(うせ)元の木阿弥(もくあみ)。
だいぶ前に、健康に関する広報をホームページでしようと考えた。
初めは、この市を中心とした地域社会で行って、全国的な運動にしたいとも企画をしたのだが、どうもうまくいかない。
私たちの回りには、あまりにも病人が多いので、ついそんなことを考えてしまったのだが。そして賛同者も、当初から10数人いたからである。
しかし、予防が目的であって、個々の治療などはできない。
医療機関でないからであり、個人差が大きいからである。その個人差を考えないと、現在の医療でもあまり効果がないだろう。
会長だった人のほかに二人が死んだり、一人はアルツハイマー、そして二人が寝たきり。奥さんが、認知症になった人もいる。
健康を指向して、病気にならない「食べ物」や「生活習慣」を考えたのだが、市の広報で集まった人たちは、すでにかなりの重病人であった人がほとんど。中には肝炎の人や、重度の糖尿病で失明寸前の人もいた。
なってから直すのではなく、なる前に予防をしようという主旨が、どうもはっきりしなかったからであろう。
だいぶ前に、健康に関する広報をホームページでしようと考えた。
初めは、この市を中心とした地域社会で行って、全国的な運動にしたいとも企画をしたのだが、どうもうまくいかない。
私たちの回りには、あまりにも病人が多いので、ついそんなことを考えてしまったのだが。そして賛同者も、当初から10数人いたからである。
しかし、予防が目的であって、個々の治療などはできない。
医療機関でないからであり、個人差が大きいからである。その個人差を考えないと、現在の医療でもあまり効果がないだろう。
会長だった人のほかに二人が死んだり、一人はアルツハイマー、そして二人が寝たきり。奥さんが、認知症になった人もいる。
健康を指向して、病気にならない「食べ物」や「生活習慣」を考えたのだが、市の広報で集まった人たちは、すでにかなりの重病人であった人がほとんど。中には肝炎の人や、重度の糖尿病で失明寸前の人もいた。
なってから直すのではなく、なる前に予防をしようという主旨が、どうもはっきりしなかったからであろう。
いろいろな人に答えた文章残る。
一時期、老化予防のために自分自身の「脳の活性化」をはかる試みをした。
その方法として、いろいろなサイトの質問を利用するのである。
つまり、質問に対して考えて回答をすることによって、自分自身の記憶の整理や確認などをするのだ。
むろん、中途半端な回答や無責任の内容はいけない。そのようなことは、相手のあることだから当然であろう。
しかし、後で考えてみると
健康Q&A
パソコンQ&A
雑学Q&A
などの内容は、何となく無責任で軽薄。我ながら恥ずかしくもなり、今になって何とかならないものかと思う。
そんなために、ここのところ時間がある度に書き直しているのだが。
しかし、それがいわゆる「恥の上塗り」にならなければよいが。
一時期、老化予防のために自分自身の「脳の活性化」をはかる試みをした。
その方法として、いろいろなサイトの質問を利用するのである。
つまり、質問に対して考えて回答をすることによって、自分自身の記憶の整理や確認などをするのだ。
むろん、中途半端な回答や無責任の内容はいけない。そのようなことは、相手のあることだから当然であろう。
しかし、後で考えてみると
健康Q&A
パソコンQ&A
雑学Q&A
などの内容は、何となく無責任で軽薄。我ながら恥ずかしくもなり、今になって何とかならないものかと思う。
そんなために、ここのところ時間がある度に書き直しているのだが。
しかし、それがいわゆる「恥の上塗り」にならなければよいが。