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rikの新句(十九音)独り言。固定概念にはとらわれず、現時点で「生きている証明」をしました。
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友が死に、次は自分が、そうなる不安。


友達が次々と死ぬ。年格好が同じくらいだから、当然のことかもしれない。私は、とっくに古稀を過ぎた。したがって、親しい人たちもそうである。そして、むしろ私よりも年長の友達が多いから、当然の成り行き。

そんなことはわかっているのだが、自分の番はまだまだと考えてしまう。友達の順番は、ほぼ私の考えたとおりである。しかし、その順番の中に自分自身が入っていない。入れていないのではなく、入れられないのである。

つまり、自分自身の死に関しては、よくわからない。自分では、そろそろお迎えではないかと思う。しかし、友達は私のことを百歳まで生きるなどという。その友達がくれた「長寿の心得」という手ぬぐいには「白寿(九十九歳)でお迎えの来たときは、頃を見てこちらからボツボツ行くと云へ」と書いてある。


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少しずつ直していこう、フォーラムの中。


「理工式健康法フォーラム」というのを作った。フォーラムという名称だから、当初は多くの人の意見が集まるのではないかと考えた。しかし、実際に投稿などは少なく、ほとんどが読まれていないようだ。

仕方がないので、自問自答方式にすることにした。つまり、まず自分で設問をして、それに対して自分で答える方式である。やってみると、勉強にもなるし、なかなか面白い。

そんなことを続けている間に、Facebookページで作成をしたずいぶん大きなホームページとなってきた。「塵も積もれば山となる」である。
可能性、老いるとともに失いていく。


あれもしたい、これもしたいと考えたのは、つい数年前まで。その後、病んで入院をして手術をしたり、経過がよくなく通院をしているうちに、すっかり病人になってしまった。

そんなわけで、体力がなく細かい仕事を続けることができない。また、以前のような根気がなくなってしまった。視力が悪くなったことも、その原因かもしれない。

パソコンの画像処理に関するプログラムを作ることは、かなりの根気がいる。そして、目も疲れる。とうとう、そのような仕事を自分が続けることを諦めざるをえない。つまり、古稀を過ぎたころから、自分自身の可能性を次々と失ってしまったようである。
毎日の食生活を見直してゆく。


私も妻も、古稀を過ぎてから久しい。若かったときのように、たくさんの量を食べられなくなった。また、好みも大きく変わってきた。脂っこいものが、嫌いになったのである。

そこで、注文する食材を少し変えてベジタリアン風にしてみよう。今まで神農から宅配で取っていたのだが、それはそのままでOK。注文する品物を少し変えればよいのである。

主食だった玄米を七分搗き米に変える。今までは肉と魚を取らなかったが、さらに卵もやめる。牛乳はしばらく取るが、ヨーグルトはやめる。そんなところだろうか。
だらだらと続ける悪い癖を治そう!


何かをすると、ついだらだらといつまでも続ける。悪い癖だと思う。飽きっぽい一方では、かなり執着をすることもある。

パソコンなどは、いったん始めたら電源スイッチを切りたくない。つまり、起動の回数を減らしたい。そんなために、思い付いたことをすべてしてしまう。

しかし、最初はいいにしても時間が経過すると、かなり疲れてくる。そんなときには、あまり注意力が集中できない。そして、だらだらとしがちである。BGMを流しているので、それを聞くことのほうがメインになってしまうこともあって、作業がはかどらなくなってしまう。まったく、困ったことである。
ドデカミン、飲めば少しは元気になるか?


ドデカミンという清涼飲料水がある。私は最近になって疲労感が激しいので、ときどき飲んでいる。元気になるんじゃないかと思ったからだ。

その容器(ペットボトル)には、次のように書いてある。「12種類の元気成分! ビタミンC ビタミンB6 ナイアシン アラニン グリシン ロイシン イソロイシン バリン シトルリン マカ ガラナ ローヤルゼリー」 ただし、マカ以後の三つについては含有量が書かれていない。だから微少なためか、不定であるためなのかもわからない。

本来ならば食べ物や飲み物などから、摂らなければならない栄養素が取れなくなっているという。つまり、現代の科学的栽培方法では栄養分が失われてしまったらしい。そんなために、どうしても微少ミネラルなどが不足して、身体が失調するらしい。
クープランの『葦』を聞けば、なぜかなつかし。


クープラン(François Couperin 1668~1733)は、フランスの作曲家。クープラン家は、ドイツのバッハ家と似た音楽家の家系。大クープランと呼ばれる。

『葦』(あし Les Roseaux)は、クラヴサン曲集第13組曲第2番。しかし、私はクラヴサンでなくラローチャ(Alica de Larrocha)が、ピアノで演奏したものを聞く。別の人で、アコーデオンのものもあった。

そして、なぜかなつかしい気持ちになる。葦というタイトルのせいであろうか。パスカルの『パンセ』にある記述などにも、思いが馳せていく。
Alica de Larrocha plays Couperin Les Roseaux
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