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rikの新句(十九音)独り言。固定概念にはとらわれず、現時点で「生きている証明」をしました。
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友が死に、次は自分が、そうなる不安。


友達が次々と死ぬ。年格好が同じくらいだから、当然のことかもしれない。私は、とっくに古稀を過ぎた。したがって、親しい人たちもそうである。そして、むしろ私よりも年長の友達が多いから、当然の成り行き。

そんなことはわかっているのだが、自分の番はまだまだと考えてしまう。友達の順番は、ほぼ私の考えたとおりである。しかし、その順番の中に自分自身が入っていない。入れていないのではなく、入れられないのである。

つまり、自分自身の死に関しては、よくわからない。自分では、そろそろお迎えではないかと思う。しかし、友達は私のことを百歳まで生きるなどという。その友達がくれた「長寿の心得」という手ぬぐいには「白寿(九十九歳)でお迎えの来たときは、頃を見てこちらからボツボツ行くと云へ」と書いてある。


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