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rikの新句(十九音)独り言。固定概念にはとらわれず、現時点で「生きている証明」をしました。
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思い付くままに始めて、百舌(もず)の速贄(はやにえ)。


「百舌(もず)の速贄(はやにえ)」という言葉がある。百舌という鳥が、虫やカエルなどを捕(つか)まえて、木の小枝などに突き刺しておく。後で食べるためである。しかし、それを忘れてしまって、そのままになっていることが多い。百舌の生贄(いけにえ)とも言う。

その百舌の速贄ではないが、私にもそのような経験が多い。思い付くままに何かを始めて、そのこと自体を忘れてしまうのである。

後でその資料を見て、思い出すことがある。しかし、すでに情熱が冷(さ)めてしまって、そのまま中途半端になってしまう。まったく困ったことではあるが、仕方ない。

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腸相を変える必要ある人多し。


腸相というのは、人相というのに似ている。千差万別なのである。人相は顔で外面に現れているが、腸相はお腹(おなか)の中のことで、外からではわからない。

その腸相であるが、悪い人が多いらしい。腸相が悪いと、病気がちになったり、すでに病気の人もいる。

日本人の腸相は、食事の不適切で荒れている人が多いと言う。腸相をよくして、健康を保持するためには、肉食を減らして、玄米・野菜・果物を摂るのがよいらしい。しかし、個人差があって日本人であっても、ユダヤ系の人たちは肉食や牛乳・チーズなどはOK。一律に処置をすると、病人が増えてしまう。

私には、使い切れない優れたソフト。


最初から、メールとホームページは何とか続けている。しかし、その後にセットアップしたブログなどのソフトは、正直言って使い切れない。

この忍者ブログも、その機能の一部を利用しているだけで、私の手には負えない。さらに次々と入れた「goo」「Yahoo!」「Ameba」「Hatena」などは、よくわからないままに使っている。

ブログ以外でも、「YouTube」をはじめとして「Facebook・Facebookページ」「Google・Google+」などは使い切れていない。わからないままに日々過ごすのは、自分自身の身体がそうであるのと似ている。
「愚かさの研究」というエッセーを書こう!


歴史的に見ると、人間は愚かなことを繰り返しているようだ。とくに、戦争では馬鹿丸出しである。後になって考えてみると、あまり配慮がなされていなかったことに気づく。

そこで、自分自身が馬鹿の中に入らないために、その研究を行ってみようと思う。研究と言っても、Facebookページにまとめるだけで、過去のパターンを整理するだけのものだ。そして、将来の動向を見定める。そのようにすれば、その中に巻き込まれてもダメージが少ないからである。

ひとりよがりにならないために、多くの人から意見を求めるのがよいでしょう。そこで、理工式健康法フォーラムとして互いに自由な意見をアップする。前後の脈絡などは、あまり考慮しなくてもよい。同じ意見があっても、互いに矛盾をした考えがあってもかまいません。お互いに、参考になるからです。
すぐ疲れちゃうのはなぜか、老いたるゆえか?


ここのところ、すぐ疲れちゃうようになった。考えたら、私も古稀をとっくに過ぎたのだから、仕方のないことかもしれない。老いると、体力が減少するからであろう。

肉体的には、無理のないことだ。以前は部屋まで12階の階段を昇った。少し疲れたが、大丈夫だった。運動になると考えて、日々実行していた。しかし、10年くらい前に風邪をひいて苦しかったのでエレベータを利用した。そして、その後は昇らなくなってしまった。

精神的にも、疲れやすくなった。例えば、読書。読んでいると飽きてしまって、眠くなる。そんなことも、かつてはなかった。パソコンの作業も同じ。いまインプットをしているが、途中で面倒になってしまう。ひどいときは眠くなって、うつらうつらとしてしまう。加齢による現象なのだろうか。
誰からも相手にされず、独自の世界。


私のやっていることは、どうやら少し偏っているのかもしれない。あまり、興味をもってくれる人が少ないからである。そんなわけで、いきおい一人のみで行かざるをえない。

ブログやFacebookなどに、次から次へと投稿をする人がいる。過去の偉人の言葉などを紹介したり、世界のニュース、YouTubeからの音楽、いろいろなソースがある。ありがたいことではあるが、独自の世界にはならない。

むしろ、私はその人が作った作品を見たい。それが幼稚なできばえでも、かまわない。その人が、その中にいるということを見たいのである。過去の聖人が言ったことも、素晴らしいかもしれない。しかし、知人が自分自身で作った作品などには独特の味がある。
気が違いそうになるほど、なつかしいこと。


そのことを思い出すと、気が違いそうになるほど、なつかしい思い出がある。ふつう、過去の思い出は苦(にが)いことが多い。ゲーテほどの人でも、「あまり楽しいことはなかった」と、エッカーマンに言っている。かつて読んだ本に、そんなことが書いてあった記憶がある。

思い出す度に、気が違いそうになるほどなつかしい記憶がある。おそらく、誰にでもあるであろう。

私の場合、それは些細なこと。過去の思い出ではあるが、見た光景や誰かとした会話など。あまり決定的なことはなかったけれども、自分にとっては思い出すだけでも、興奮をするほどのなつかしさなのである。なぜ、そんなことがあるのだろうか。
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