rikの新句(十九音)独り言。固定概念にはとらわれず、現時点で「生きている証明」をしました。
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水を飲め! 健康のため生水がよい。
一日に3リットルくらいの水を飲むのがよいらしい。私は身長の割には体重があるので、一日に5リットルくらいの水を飲んでいる。
むろんバケツに一杯も水を飲むと、水が体内に貯まってしまって、頭痛などを起こすらしい。しかし、多めに飲んでいると脳梗塞や心筋梗塞になりにくいと言う。
飲み水であるがペットボトルは、ふつう煮沸をしているので好ましくない。味はいいが、本来の水ではない。私は、水道水から塩素やフッ素などを取り除いたものを飲んでいる。詳細は、日本健康会の理工式健康法フォーラムにある「よい水を飲む」を見て欲しい。
一日に3リットルくらいの水を飲むのがよいらしい。私は身長の割には体重があるので、一日に5リットルくらいの水を飲んでいる。
むろんバケツに一杯も水を飲むと、水が体内に貯まってしまって、頭痛などを起こすらしい。しかし、多めに飲んでいると脳梗塞や心筋梗塞になりにくいと言う。
飲み水であるがペットボトルは、ふつう煮沸をしているので好ましくない。味はいいが、本来の水ではない。私は、水道水から塩素やフッ素などを取り除いたものを飲んでいる。詳細は、日本健康会の理工式健康法フォーラムにある「よい水を飲む」を見て欲しい。
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人生は「旅」ではないか、偉人も私も。
人生は一つの「旅」ではないかと思う。例えば、シャカのような偉大な人物の一生を見ても、いわゆる「旅」であった。それなりに記録が残っていて、雄大なスケールの「旅」である。(YouTube動画で前者は1時間49分56秒、後者は3分6秒)
しかし、そのようなことは大なり小なり、誰にでもあることではないか。取るに足らないような人間にとっても、それなりに一つの「旅」。
そして、その「旅」の終着点が「死」だ。もっとも、スエーデンボルグや小野篁(おののたかむら)のように、そこへ行き来して戻ってきた人にとっては、その「死」までも「旅」の範囲であったのかもしれない。
人生は一つの「旅」ではないかと思う。例えば、シャカのような偉大な人物の一生を見ても、いわゆる「旅」であった。それなりに記録が残っていて、雄大なスケールの「旅」である。(YouTube動画で前者は1時間49分56秒、後者は3分6秒)
しかし、そのようなことは大なり小なり、誰にでもあることではないか。取るに足らないような人間にとっても、それなりに一つの「旅」。
そして、その「旅」の終着点が「死」だ。もっとも、スエーデンボルグや小野篁(おののたかむら)のように、そこへ行き来して戻ってきた人にとっては、その「死」までも「旅」の範囲であったのかもしれない。
昔から、「老いて病は、致し方(いたしかた)なし」。
『法華経』に「生老病死」という言葉が出ている。生まれることはともかく、誰もが老いて、病気を患い、そして死んでいくという。いわゆる「四苦八苦」の三つである。
『旧約聖書』に出てくるソロモン王のような人も、晩年には自分自身の身体の体温も維持できなかったそうである。
ふじ みゆうさんは、次のように引用しておられた。
<ダビデ王は多くの日を重ねて老人になり、衣を何枚着せられても暖まらなかった。そこで家臣たちは、王に言った。「わが主君、王のために若い処女を探して、御そばにはべらせ、お世話をさせましょう。ふところに抱いてお休みになれば、暖かくなります。」彼らは美しい娘を求めてイスラエル領内をくまなく探し、シュネム生まれのアビシャグという娘を見つけ、王のもとに連れて来た。この上なく美しいこの娘は王の世話をし、王に仕えたが、王は彼女を知ることがなかった。(列王記上1-1~4)>
『法華経』に「生老病死」という言葉が出ている。生まれることはともかく、誰もが老いて、病気を患い、そして死んでいくという。いわゆる「四苦八苦」の三つである。
『旧約聖書』に出てくるソロモン王のような人も、晩年には自分自身の身体の体温も維持できなかったそうである。
ふじ みゆうさんは、次のように引用しておられた。
<ダビデ王は多くの日を重ねて老人になり、衣を何枚着せられても暖まらなかった。そこで家臣たちは、王に言った。「わが主君、王のために若い処女を探して、御そばにはべらせ、お世話をさせましょう。ふところに抱いてお休みになれば、暖かくなります。」彼らは美しい娘を求めてイスラエル領内をくまなく探し、シュネム生まれのアビシャグという娘を見つけ、王のもとに連れて来た。この上なく美しいこの娘は王の世話をし、王に仕えたが、王は彼女を知ることがなかった。(列王記上1-1~4)>
思い出は、懐かしくもあり、悲しくもある。
最近になって、今までのことを思い出すことがある。人生も七十歳を過ぎると、過去のことが脳裏によぎることが多くなるらしい。
その思い出なのであるが、なぜか懐かしさとともに、悲しさがともなう内容のことが多い。
『コヘレットの書』(伝道の書)に、<私は、この世に悲しむべき悪のあるのを見た。すなわち、富はこれを貯える持ち主に害を及ぼすことである。……人は、まったく来たように去って行かなければならない。これもまた悲しむべき悪である。風のために労する者には、何の益があるか?……人は一生、暗闇(くらやみ)と、悲しみと、多くの悩みと、病と、憤りの中にある。……悲しみは、笑いにまさる。顔に憂いをもつことによって、心は良くなるからである。>
とあった。
最近になって、今までのことを思い出すことがある。人生も七十歳を過ぎると、過去のことが脳裏によぎることが多くなるらしい。
その思い出なのであるが、なぜか懐かしさとともに、悲しさがともなう内容のことが多い。
『コヘレットの書』(伝道の書)に、<私は、この世に悲しむべき悪のあるのを見た。すなわち、富はこれを貯える持ち主に害を及ぼすことである。……人は、まったく来たように去って行かなければならない。これもまた悲しむべき悪である。風のために労する者には、何の益があるか?……人は一生、暗闇(くらやみ)と、悲しみと、多くの悩みと、病と、憤りの中にある。……悲しみは、笑いにまさる。顔に憂いをもつことによって、心は良くなるからである。>
とあった。
ダルシンがはためく高地、ブータン国は。
ダルシンとは、日本の神社に掲げる幟(のぼり)のようなものである。風が吹くと、旗めく。標高が高いので、風が強いのであろう。たいがいは、強く旗めいている。
ブータンは、仏教国である。まだ、あまり資本主義社会には影響されていない状態のように見受けられる。
高地なので、稲作はできない。そこで、蕎麦(そば)や馬鈴薯(じゃがいも)が作られる。ほとんど肉食などはしていないらしい。ドキュメントなどの映像を見ていると、何となくなつかしい気持ちになるのはなぜだろうか。
ダルシンとは、日本の神社に掲げる幟(のぼり)のようなものである。風が吹くと、旗めく。標高が高いので、風が強いのであろう。たいがいは、強く旗めいている。
ブータンは、仏教国である。まだ、あまり資本主義社会には影響されていない状態のように見受けられる。
高地なので、稲作はできない。そこで、蕎麦(そば)や馬鈴薯(じゃがいも)が作られる。ほとんど肉食などはしていないらしい。ドキュメントなどの映像を見ていると、何となくなつかしい気持ちになるのはなぜだろうか。
我ながら、脳と身体(からだ)の不可思議多し。
脳や身体(からだ)は、自分自身の一部でありながら、わからないことが多い。そして考えてみると、ますますわからなくなる。
脳で考えるのだが、そのこと自体もわからない。かつて、「こころ」というように心臓が考える場所だと考えた時代もあった。私はさらに、そこに流れている血液が考えるのではないかと疑った時期があった。そして、聖書などで血液に関して、特別な配慮をしているのを納得したりした。
身体についても、わからないことが多くある。糖尿病の場合は血糖値が高くなってしまう。そしてそれが、循環器系障害の原因になるという。むろん、その場合は脳に行く血液も血糖値が高いまま。つまり、糖尿病は脳がコントロールできない症状である。
脳や身体(からだ)は、自分自身の一部でありながら、わからないことが多い。そして考えてみると、ますますわからなくなる。
脳で考えるのだが、そのこと自体もわからない。かつて、「こころ」というように心臓が考える場所だと考えた時代もあった。私はさらに、そこに流れている血液が考えるのではないかと疑った時期があった。そして、聖書などで血液に関して、特別な配慮をしているのを納得したりした。
身体についても、わからないことが多くある。糖尿病の場合は血糖値が高くなってしまう。そしてそれが、循環器系障害の原因になるという。むろん、その場合は脳に行く血液も血糖値が高いまま。つまり、糖尿病は脳がコントロールできない症状である。
老いてきて記憶喪失、恍惚の人?
老いてくると、記憶があいまいになる。ものの名前や人の名前を失念する。話をしていても、「あー・うー」などと言うようになる。アルツハイマー病なども、恐ろしい。
「恍惚の人」は、有吉佐和子の小説であるが、加齢による症状でもある。歳をとると、どうしても脳の機能が衰えてくるのであろうか。そうならないように、注意をしなければならない。
「かくも長き不在」は、マルグリット=デュラス・ジェラール=ジャルロの原作で、敵国によってなされた脳の実験によって、記憶を失った男のストーリである。待ちわびていた妻と再会するのであるが、記憶は蘇(よみがえ)らなかった。逃げるために突然に走り出して、トラックに当たって死ぬ。何ともやりきれない終末であった。
老いてくると、記憶があいまいになる。ものの名前や人の名前を失念する。話をしていても、「あー・うー」などと言うようになる。アルツハイマー病なども、恐ろしい。
「恍惚の人」は、有吉佐和子の小説であるが、加齢による症状でもある。歳をとると、どうしても脳の機能が衰えてくるのであろうか。そうならないように、注意をしなければならない。
「かくも長き不在」は、マルグリット=デュラス・ジェラール=ジャルロの原作で、敵国によってなされた脳の実験によって、記憶を失った男のストーリである。待ちわびていた妻と再会するのであるが、記憶は蘇(よみがえ)らなかった。逃げるために突然に走り出して、トラックに当たって死ぬ。何ともやりきれない終末であった。