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rikの新句(十九音)独り言。固定概念にはとらわれず、現時点で「生きている証明」をしました。
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面白くないこと多く、老いたる日々に。


体調がよくないので、あまり気分が優れない。したがって、こころが晴れないのである。何となく、憂鬱な日が続く。

どこがどう悪いということではないのかもしれない。しかし、いっぽうでは尿に2000(+++)もの糖が出ているので、末期状態かもしれない。医者の意見では、いつ糖尿病昏睡に陥っても不思議ではない身体なのである。

それでも、都内に行って写真を撮ってきたりする。大江戸線の各駅周辺シリーズを作るためである。通院もしていないし、いわゆる食事療法や運動療法などはしていない。ただ、くちゃくちゃ(療法)とラップリン(療法)と湯治(療法)をしているだけである。したがって、面白くなくても仕方がないのである。

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意味のないことの連続、私の人生。


少なくとも今までは、日々があまり意味のないことの連続であったような気がする。確かに、そのときはがんばったり、熱心になったりする。しかし、やはり後になってみると、そのことが大きな意味もなかったとつくづくとわかる。何のために、何をしてきたかがいまひとつはっきりしない。

おそらく、残りの人生でもそうだろう。今までが、とりたてて言うこともない日々であって、その一日一日の積み重ねが現在である。過去の実績とか今日の成果などと言っても、そんなものではないだろうか。

そんなことを考えると、いったい人生の目的は何であろうかと、つくづく疑問に思う。金儲けや立身出世などに励む人が多いが、どうもそんな次元で私には納得ができない。いっそ、「人生には子孫を残すこと以外には、とくに目的がない」のだと考えてしまうことのほうが理解しやすい。
老人の眠りは浅く、目覚めが早い。


若いころは、寝ぼうをよくした。つまり、朝になっても起きられないのである。それが、いつごろからであろうか、めっきり朝が早くなってしまった。午前三時ごろには起きてしまうのである。

そうかと言って、熟睡をしたわけではない。眠りも浅いほうかもしれない。水分を多く摂るために、オシッコに数回起きる。したがって、眠りの分断化もあるのだろう。日中に、うつらうつらして眠くなるときもある。

とどのつまり、私も老人になったのである。横井也有の言うような嘆きが次々と生じる。すなわち、単に眠りだけでなく身体全体が、
<耳もとおくなり、眼はかすみ、四肢のふしぶしは痛むようになってしまいました。老人と話をして、まどろかしく感じたり、また老人をうとましく思ったのは、つい先日のような気がする>
のです。


簡単なことを求める齢(よわい)となりぬ。


歳のせいか、あまり複雑なことは苦手になった。どうしても、できることは簡単なものやことに限られてくる。あまり複雑なものは、使い切れない。

家電製品でも、そうだ。しかし、以前とは違って機能が多くなり、仕様もかなり複雑である。だから、使いこなすことができない。例えば、洗濯機なども途中で止めると、蓋を開けられない。チャイルドロックという装置が付いているからである。仕方がないので、いつも洗濯機内が冷えるのを待つ。

自動車なども、使いこなせない。そんなわけで、運転免許証を更新するのもやめてしまった。大型と自動二輪をもっていたのだが、教習所で実習レッスンを受けて来いとの案内があった。しかし、自信がないので更新手続きをしないで運転をやめることにした。このパソコンも、かなり複雑である。さらに、WindowやFacebookも四苦八苦。でも、老化予防の一環としてのパソコンは、まだやめたくない。
楽しみは、身近なものに新たな発見。


若いころは、エネルギッシュに動き回ったものである。しかし、加齢に伴って体力がなくなった。遠くへは、行けないのである。また、身体が疲れてしまうようなこともムリ。そんなわけで、身近なものやところに着目。

身の回りにも、楽しみは多くあるだろう。小さな喜びではあるが、探せばキリがない。バスを利用したり、電車で半日ぐらいのところにも、結構ある。

例えば、神社・仏閣巡りである。それらは、解放されていることが多いので、いつでも中に入れる。本殿や本堂はムリであっても、境内には参拝・散策できるからありがたい。そして、大仏・大観音がましましたり、魚籃観音があったりする。そんな楽しみがあるので、プチさんと言って、あちこちに行ってみる。また、行く前にグーグルの地図を見るのも楽しい。

くちゃくちゃとラップリンとで、糖尿なおす。


糖尿病になってから久しい。そして、あまりにもその患者の多いことに驚いている。つまり、ふつうの方法では治らないと知った。いわゆる食事療法と運動療法である。その両方ともが無意味とは言わないが、あまり効果がないのではないか。

なぜならば、それを忠実に実行して完治した人が非常に少ないからである。そこで、自分自身の責任で自分が考えたことを初めてみた。それが、「くちゃくちゃ療法」と「ラップリン療法」なのである。いずれも自分が生成したものだからタダ。やってみるとフィードバック効果が、抜群であるらしい。

前者は、唾液を一日に2リットルほど飲むための方法。後者は、オシッコを一日に小さじ一杯ほど飲む方法である。いずれも、副作用もなく何となく安全みたい。やってみると日々の体調がよく、糖尿病の末期症状もまだ出てこない。もう少し、いや一生続けるとよいのかもしれない。
言い出せばキリなく続く、政治と宗教。


私は、政治と宗教に関しては意見を言ったことが、まったくないとは言わないまでも、非常に少ない。なぜならば、言い出すとキリがないからである。

ブログなどに意見を言い出して、「これでもか、これでもまだか?」というような案配で、いつまでも続けている人も見受ける。その方法が間違っているわけではないが、あまり効果のあることとは思えない。

つまり、自分自身が政治家であったり、国会議員などの代議士ではないので、非常に大きな社会に対して、自分自身の意見を公表しているのである。あたかもメガホンを持って、街角で演説をするようなもの。かつて日蓮がしたように、苦労や困難がさまざまな形でやってくる。私は、すでに高齢で体力ももはやないから、ムリだと思う。だから、政治と宗教に関しては、どうしても自信がないのである。
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