rikの新句(十九音)独り言。固定概念にはとらわれず、現時点で「生きている証明」をしました。
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システム(死捨無)という概念を思いつきたり。
私(Kuroda Kouta)は、三十歳代のはじめに「システム」という概念を思いついた。システムは「死捨無」を当てつけた言葉で、いわゆる英語の「System」ではない。ローマ字で書くときは、「sisutemu」となるだろう。
つまり、死捨無は「死・捨・無」の三つの内容を含む言葉だ。むろん、ここで死はいわゆる「死ぬ」こと、捨は「捨てる」こと、無はいわゆる「無」を意味する。修行する心の深さの度合いが、その順序のようになるというのだ。
なお、捨は「捨てる」ではあるが、「すて」と読まずに「しゃ」と読んでもよい。いつも思うのであるが、アッシジの聖フランチェスコや捨聖(すてひじり)と呼ばれた一遍のような生き方を少しでも模倣したいものである。
私(Kuroda Kouta)は、三十歳代のはじめに「システム」という概念を思いついた。システムは「死捨無」を当てつけた言葉で、いわゆる英語の「System」ではない。ローマ字で書くときは、「sisutemu」となるだろう。
つまり、死捨無は「死・捨・無」の三つの内容を含む言葉だ。むろん、ここで死はいわゆる「死ぬ」こと、捨は「捨てる」こと、無はいわゆる「無」を意味する。修行する心の深さの度合いが、その順序のようになるというのだ。
なお、捨は「捨てる」ではあるが、「すて」と読まずに「しゃ」と読んでもよい。いつも思うのであるが、アッシジの聖フランチェスコや捨聖(すてひじり)と呼ばれた一遍のような生き方を少しでも模倣したいものである。
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