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rikの新句(十九音)独り言。固定概念にはとらわれず、現時点で「生きている証明」をしました。
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何となく寺や社(やしろ)は心のルーツ。


寺院や神社を訪ねると、何となく心が和む。もしかしたら、私ばかりではなく、日本人の一般的な心象かもしれない。あなたは、どうでしょうか。

かつて、地域に問題が起こると、そこに集まったり、そこを拠点とした時代があったと思う。また、駆け込み寺などというのも、実際に存在した。

施療院、施薬院などという言葉が残っていることから、往時の想像ができる。鉄眼のような僧は飢饉のときに、そこを根拠として活躍をした。施無畏者が多くいた時代には、彼らの根拠地になった。実際に施無畏寺(せむいじ)というのが、和歌山県有田郡湯浅町にある。真言宗御室派の寺で、山号は補陀落山。明恵が創建した。私は、そんなことをおぼろげに知っているので、心が何となく和むのかもしれない。

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