rikの新句(十九音)独り言。固定概念にはとらわれず、現時点で「生きている証明」をしました。
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信仰は、一人ひとりの心の中に!
ここのところ「心の時代」が到来したのではないかと、私は思う。
心が貧しいために、世界中で問題が次々と起こるからである。
ふつう、宗教は徒党をなして信仰をする。政治などと、あまり変わらないのではないか。信仰から外れたとはいえないまでも、十字軍のようなケースも多々ある。また、最初は純真なグループが次第にカルト集団になってしまうこともある。なぜならば、社会と対立するからである。
そこで、信仰は一人ひとりが一人で行えばよいのである。
そんなことを取りとめもなく「安心立命のページ」を書き始めて、鈍い私も遅まきながら解かった次第。
だから、その方法ですれば「ジョーンズタウンの悲劇」のようなカルト集団の結末は迎えないはず。大好きな「修道士カドフェル」を見てさえも、つくづくとそんなことを考えた。
ここのところ「心の時代」が到来したのではないかと、私は思う。
心が貧しいために、世界中で問題が次々と起こるからである。
ふつう、宗教は徒党をなして信仰をする。政治などと、あまり変わらないのではないか。信仰から外れたとはいえないまでも、十字軍のようなケースも多々ある。また、最初は純真なグループが次第にカルト集団になってしまうこともある。なぜならば、社会と対立するからである。
そこで、信仰は一人ひとりが一人で行えばよいのである。
そんなことを取りとめもなく「安心立命のページ」を書き始めて、鈍い私も遅まきながら解かった次第。
だから、その方法ですれば「ジョーンズタウンの悲劇」のようなカルト集団の結末は迎えないはず。大好きな「修道士カドフェル」を見てさえも、つくづくとそんなことを考えた。
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